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4 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: サトウ シノブ(佐藤 しのぶ)さん

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日本の学校で使用する教材作成のために、ハワイ州ヒロのHawaii Japanese Centerでボランティアをしているシノブ・サトウさんにインタビューをしました。92歳まで地元放送局でアナウンサーとして活躍していただけあって豊富な昔語りをしてくださりました。日本語学校での「修身」の教えを今でも覚えていらっしゃいます。ハワイに住んでいるおばあちゃんからの願いとして、日本の子どもたちに親孝行を大事にしてほしいというメッセージをいただきました。

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© 2008 多文化社会米国理解教育研究会

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放送局では92才まで

私は新聞社で活字拾いをしていました。そこで働いているときにオオクボ・キヨシさんに出会ったのです。その方が新聞社へ来て活字を拾っている私を見て、放送局へこないかと誘ってくれたんです。それから放送局で雇ってもらうことになりました。放送局では番組のアナウンサーをしていました。アナウンサーは他にも3人ほどいたと思います。みんな日系で日本から来た人ばかりでした。私は他の放送局にもいき、92才まで放送局で働いていたのです。その時には原稿も書いて全部一人でやっていたんです。放送局には50年以上働いたことになります。小さい頃から働くときは真面目に働きなさいと教えられてきたのでその通りに一生懸命働きました。

Jack Iwata - Mimeograph Machine
Contributed by: eishida

日本語は一切禁止

戦争が始まると日本語学校も閉鎖され、日本語放送も禁止されました。私は米軍で洋裁の仕事をしていましたが、当時は日本人を雇うことはなかったと思います。夜は真っ暗にして明かりを消すか窓をきっちり閉めてちょっとでももれるとやかましく言われます。そしてバスに乗ると「Not for Japanese」といって要するに日本語を使うなということでみんな黙って乗っていました。日本語は禁止されて、領事館や日本語の教師などをしていた人たちは監禁されたりしました。幸い私の主人は日本語新聞の記者をしていたのですが引っ張られなかったのです。でも監禁された人は最初はホノルル、その後は米国の本土へ送られたのです。戦争が終わってハワイへみんな帰ってきて自分たちの子どもたちは2世でしょ。アメリカの軍隊に召集されてアメリカ人として忠実に戦ったから、戦後には日系人一人あたり2万ドルをもらったのです。

Henry Sugimoto, "Untitled ('No Japs Wanted;)"
Contributed by: eishida

信じられなかった真珠湾攻撃

日本語が聞こえる放送は禁止されていたので情報は入りませんでした。12月7日の真珠湾の攻撃を聞いた時、まさか日本が攻撃するとは夢にも思いませんでした。それを聞いた時、私はアメリカに育ったのでアメリカ市民だと思っていますから日本が爆撃したのかと思いました。

The "Day of Infamy" - a Turning Point for these Women
Contributed by: cshikai

今でも忘れない修身の教え

私たちの時代には修身がありました。日本も変わったでしょうが、ここも親孝行といっても日系の人はわからないのです。自分から就職したら親と同居することもないのです。私たちの間では修身がないからだなんて言っているのです。人には親切に、正直であれという教えは頭から離れません。修身は本当にいいことばかりでした。私は正直だからこうして仕事もやってこれて、みなさんに感謝しているんです。こちらでも今は正直ということがわからなくなっています。泥棒や殺人などの凶悪犯罪の報道を聞くと本当にいやになります。昔は日本語学校もありましたし、教育勅語を覚えなかったら帰してもらえなかったんですよ。公立学校を14時に終えてその後に1時間日本語学校に通ったのです。とっても厳しい先生で家でも何度も何度も練習しました。その先生はお寺のお坊さんと教員を兼ねていた人です。

尋常小学校修身書
Contributed by: team-nikkei-usa

日本の子どもたちへのメッセージ

両親がもしもテレビを見ないようにといった時には、テレビにはいい番組も子ども向けの番組も大人向けの番組もいろいろあるのです。もしも両親がこの番組をみてはいけないと言ったらその通りにしてください。そして子ども用のテレビがありますからそれをみてよいところを学んでください。それから両親に対して親孝行をして、親の言うことを聞いて親切にしてあげることです。親孝行の意味がわからなかったら親に聞いてください。親孝行ということを忘れないでください。それがハワイに住んでいるおばあちゃんからのお願いです。アロハ。

プロフィール
1912年4月10日 ハワイ島パパイコウ生まれ。 両親はハワイの田舎で砂糖きび畑に勤めていた。4年生(9才か10才の時に)日本に一時帰国し、4年間ほど日本に滞在した後再びハワイへ戻り暮らすことになる。ハワイではカトリック系の個人経営の学校に通い、仕事は日本人新聞社に勤務。その後オオクボ・キヨシ氏に認められ放送局に転職。92才まで現役のアナウンサーとして活躍。

日系アメリカ人の個人史をつむぐ - サトウ シノブ(佐藤 しのぶ)さん
Contributed by: team-nikkei-usa


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