Histórias de estudantes vindo para o Japão - Pesquisa sobre imigração feita por membros do Grupo de Estudos sobre Migração -
O objetivo é que os estudantes que vivem em Kansai cooperem entre si para investigar e pesquisar diversas questões relacionadas à imigração e emigração. O Grupo de Estudos sobre Migração foi formado em 2005. Esta é uma coluna de 9 partes que apresenta algumas das pesquisas conjuntas conduzidas por membros voluntários do grupo de estudo sobre o tema “Experiências de estudantes internacionais no Japão na década de 1930: uma comparação de estudantes internacionais da América do Norte e do Leste Asiático”.
Stories from this series
第9回 ある台湾人女性の日本留学体験 -許秋槎のライフヒストリー-
2 de Março de 2011 • Chieko Shirota
はじめに 1920年代から30年代にかけて、日本の統治下であった台湾から多くの若者が日本本土に留学した。いわゆる内地留学である。専門分野は多岐にわたっているが、特に実業と医学関係が多かった。1930年代後半以降には、男子だけではなく女子の留学生も増加する。女子を含む台湾人の日本留学の隆盛の背景には、日本統治下において男女ともに教育水準の向上によって進学熱が高まったものの、台湾での高等教育の限界があったことがあげられる。また、日本統治下で日本の言葉や風習にすでに慣れ親しんで…
第8回(後編) 朝鮮人学生の留学と就業―立命館大学の場合―
17 de Fevereiro de 2011 • Norifumi Kawahara
>>前編4 朝鮮籍学生の修学と進路前掲の『全立命館學友會名簿』を利用して、1943(昭和18)年における卒業後の居住地と就業について説明してみよう。まずは、再び回想から考えてみよう(太字は筆者)。 「あの当時に大学に学んでいる人というのはですね、むこうから、本国(朝鮮)から来るんですよ。そして、卒業したら帰っちゃうんです。ほとんどがそうで、ごく少数の人たちがここに残るわけ」 これまでは、1930年代の朝鮮籍学生をとりまく知識の還流、もしくは回流をめぐって検討されてきた。…
第8回(前編) 朝鮮人学生の留学と就業―立命館大学の場合―
10 de Fevereiro de 2011 • Norifumi Kawahara
1 はじめに―東・東南アジアからの留学生―1930年代の日本では、国際的な飛躍を目指す一方で、国際連盟の脱退を筆頭に、国際社会からの孤立が懸念されていた。その対応のひとつとして、政府は近隣諸国から積極的に留学生を受け入れる政策を模索していた。それは、日本の勢力圏であった台湾、朝鮮や満州などの「外地」だけでなく、東南アジアの非勢力圏からの受容もみられた。 朝鮮総督府学務局『在内地朝鮮学生状況調』(1920)、朝鮮教育学奨学部『在内地朝鮮学生調』(1926)や内務省警察局編『社…
第7回 望郷のハワイ -中島直人と『ハワイ物語』-
18 de Junho de 2010 • Yoshitaka Hibi
おそらく、中島直人という名前を知っている人はほとんどいないだろう。戦前のハワイ生まれの小説家である。この記事では、ぼほぼ無名だがしかしその経歴を調べ作品を読めば抜群に面白い、このマイナー作家を紹介し、その価値を説いてみたい。 1.中島直人とは誰か まずは経歴から紹介しよう。中島直人は、1904年4月20日、ハワイ、オアフ島ワイパフ(Waipahu)に熊本県からハワイに移民した父母の子として生まれた。いわゆる2世である。パールシティ公立学校へ通う一方、日本語による補習学校ポ…
第6回 1930年代における広島市内の日系二世の分布と一世との関係
4 de Maio de 2010 • Kojiro Iida
はじめに本報告では、従来、利用されることの無かったと思われる『広島県滞在米布出生者名簿』(広島県海外協会、1932年、以下『出生者名簿』)を用いて、広島市内に在住する日系二世の分布の特徴を明らかにし、さらに彼らの年齢別・職業別人口構成と学校、さらに親にあたる一世とはどのような関係で市内に居住することになったのかについても考察したい。 1. 広島市内の二世の分布とその特色 ジョン・ステファンによれば、ハワイ日系二世の日本留学は1918年頃に始まり30年代に本格化…
第5回 普遍主義とナショナリズムの狭間で―1930年代における日系二世仏教徒の日本留学―
18 de Janeiro de 2010 • Tomoe Moriya
1 はじめに日本から海外へいった日本人移民の子どもたち、すなわちハワイやアメリカ本土で生まれアメリカ市民権をもつ日系二世仏教徒のなかには、日本に留学して仏教を学び僧侶資格(海外での布教を行う「開教使」と呼ばれる)を得て帰国するものもあらわれてくる。 私の調査によると、早いケースでは1920年代後半から日本へ留学していたことがうかがえるが、多くは1930年代で年齢も20歳代かそれ以上であった。彼らは、高校または大学を卒業するか中退して来日し、龍谷大学か京都女子高等専門学校(現…