望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その7/8
その6>>
『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスターは、日本舞踊家の藤間勘須磨(濱口須磨子)で、彼女に関する記事が『ポストン文藝』を賑わしている。彼女は1934年に日本へ行き、5代目藤間勘十郎のもとで名取りになった若い二世である。
日系社会には各流派の名取りがいて、それぞれ弟子を養成していた。生活が安定すると子女に日本舞踊を習わせて、日本的な立ち居振舞を身につけさせ、日本の古典芸能を理解できるようにするのが、親の願望であり、ステイタス・シンボルにもなっていた。とくに収容所内では様々な稽古事が盛んで、古典芸能などに縁がなかった…