Pesquisa em revistas literárias nipo-americanas: com foco em revistas japonesas
Muitas revistas de origem japonesa em língua japonesa foram perdidas durante o período caótico durante e após a guerra, e foram descartadas porque seus sucessores não conseguiam entender a língua japonesa. Nesta coluna, discutiremos ``Yokkaku'', que foi chamada de revista fantasma porque tinha apenas um nome, mas não conseguia encontrar a verdadeira, bem como revistas sobre campos de concentração que estavam faltando nos registros americanos porque eram japonesas. revistas e revistas sobre imigrantes do pós-guerra. Apresentaremos os títulos das revistas incluídas na coleção de revistas literárias nipo-americanas, como as revistas literárias que foram adicionadas.
Todas essas valiosas revistas literárias não estão armazenadas juntas em uma biblioteca, mas foram emprestadas de revistas privadas e foram concluídas com a cooperação de muitos artistas literários nipo-americanos.
*Reproduzido de Sadae Shinoda e Iwao Yamamoto, "Pesquisa em revistas literárias nipo-americanas - com foco em revistas japonesas" (Fuji Publishing, 1998).
Stories from this series
アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その2/9
2 de Setembro de 2011 • Iwao Yamamoto
その1>> 2.『NY文藝』の創刊とその後の経過 『NY文藝』は1955年に創刊され、1975年の第11号をもって終刊となった。創刊および発行の継続に中心的な役割を果たしたのが、編集兼発行人を務めたあべよしお(阿部芳雄)(第1-5号)と秋谷一郎(第6-11号)である。共に戦後、ニューヨークに再定住した帰米二世であり、『NY文藝』の創刊時、あべは44歳、秋谷は46歳であった。この同人誌の創刊とその後の経過を、秋谷一郎「十二年の足跡」(『NY文藝』第10号」)をも参考に…
アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その1/9
26 de Agosto de 2011 • Iwao Yamamoto
はじめに 1955 年、ニューヨークで『 NY文藝』が創刊された。ロサンゼルスで『南加文藝』が創刊される10年前のことである。その第3号に「ニューヨークで発行されるアメリカ唯一の文芸同人雑誌」と記されている。戦後のアメリカで初めて本格的な文芸誌が生まれたのである。 ニューヨークにおける日系日本語文学活動はほとんど知られていない。そもそもそのような活動があったのかどうかさえ不明であった。『在米日本人史』(1940)も『米国日系人百年史』(1961)もニューヨークを中心とす…
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その8/8
19 de Agosto de 2011 • Sataye Shinoda
その7>>4.『ポストン文藝』の特色と果たした役割『ポストン文藝』の第一の特色は、特定の集団ではなく一般の収容者を対象とした総合雑誌であったこと。内容は文学のみならず、様々な娯楽的要素をもった読物や写真、芝居や日本舞踊公演に関する記事もあり、いわゆる「講談本」や演劇などのファン雑誌の要素も含まれていた。 第二の特色は呼び寄せを含む一世が発行の中心的役割を担ったこと。編集者及び寄稿者に帰米二世はいるが、その数は少ない。一世が創り出したものに帰米二世が参加するいう形をとっていた…
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その7/8
12 de Agosto de 2011 • Sataye Shinoda
その6>>『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスターは、日本舞踊家の藤間勘須磨(濱口須磨子)で、彼女に関する記事が『ポストン文藝』を賑わしている。彼女は1934年に日本へ行き、5代目藤間勘十郎のもとで名取りになった若い二世である。 日系社会には各流派の名取りがいて、それぞれ弟子を養成していた。生活が安定すると子女に日本舞踊を習わせて、日本的な立ち居振舞を身につけさせ、日本の古典…
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その6/8
5 de Agosto de 2011 • Sataye Shinoda
その5>>かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。 詩の分野では第一に外川明の名をあげることができる。彼は1903年、山梨県南都留郡に生まれた。父は妻と3歳の明をおいてアメリカへ渡り、16年間帰国しなかった。村の尋常小学校を卒業後、彼は養蚕、農業、道路修理の労働者、富士登山の強力(ごうりき)、行商人などあらゆる仕事をして母を助け、父の帰りを待った。1922年に父が帰国したとき、彼はすでに19歳の若者にな…
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その5/8
29 de Julho de 2011 • Sataye Shinoda
その4>>木内春波(貞勝)の「おもかげ」(45年7、8月号)は、初恋に破れて転落の人生を送った男が老人となって収容所の病院で死の床に横たわるとき、優しい看護婦に出あう。それはかつての恋人の娘だと分かるが、真実を明かさずに死んで行くという物語である。文章もしっかりしていて、物語の運びも手なれたものである。木内は当時40代、若い頃文学青年だったが仕事に追われてものを書く暇がなく、収容所でやっとその時間を与えられたという。「技師長」(44年10月号)は、変り者といわれた隣人の一世…