Alberto J. Matsumoto

Nisei Japanese-Argentine. In 1990, he came to Japan as a government-financed international student. He received a Master’s degree in Law from the Yokohama National University. In 1997, he established a translation company specialized in public relations and legal work. He was a court interpreter in district courts and family courts in Yokohama and Tokyo. He also works as a broadcast interpreter at NHK. He teaches the history of Japanese immigrants and the educational system in Japan to Nikkei trainees at JICA (Japan International Cooperation Agency). He also teaches Spanish at the University of Shizuoka and social economics and laws in Latin America at the Department of law at Dokkyo University. He gives lectures on multi-culturalism for foreign advisors. He has published books in Spanish on the themes of income tax and resident status. In Japanese, he has published “54 Chapters to Learn About Argentine” (Akashi Shoten), “Learn How to Speak Spanish in 30 Days” (Natsumesha) and others. http://www.ideamatsu.com

Updated June 2013

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

メキシコ榎本殖民団に「海外移住の夢」を託した榎本武揚という人物 ― その1

明治維新から始まった日本人の海外移民は、ハワイ王国に第一陣が到着してから昨年の2018年で150年になった。その後アメリカ本土と中南米にも多くの日本人が移住した。メキシコへの最初の移民は、1897年にチアパス州エスクイントラに入植した「榎本殖民団」である。このグループは、明治政府の元外務大臣、榎本武揚によって推進された移民団体だ。しかし、事前の調査不足や土地や気候の不完全な情報、資金不足ゆえに1年もしないうちにその多くが殖民地から逃亡。1901年に殖民地は事実上崩壊した。しかし、この地に残った移民6人が日墨協働会社を設立。メキシコ革命による内戦の影響を受けながらも、様々な事業を展開し、メキシコ社会へ多大な貢献をしたとして、榎本殖民団の名は今でもよく知られることとなった1。今回は、榎本武揚が、幕末から明治維新にかけての動乱の時代をどのように生き、彼がなぜメキシコへ殖民団を送ったのかを見ていきたいと思う ...

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法改正によるアジア諸国の技能実習生がさらに増加〜日系就労者の新たな試練

2019年4月から新しい入管法が実施される。これまでの「技能実習」という在留資格に加え、「特定技能」というビザが新たに設けることで、以後数年かけて37万人の外国人労働者を日本へ受け入れようと試みている。人手不足が深刻な業種や部門では、この特定技能というビザに関心がもたれている。このビザは滞在期間が現在の3年から5年へと延長され、一定の諸条件をクリアすれば6年目からは今は認めらていない家族の呼び寄せも可能になるからだ。日本と協定があるアジアの8カ国からの外国人のみが対象となっている。この法改正で最も注目されているのが、これまで原則禁止されていた単純労働でのビザ取得が事実上解禁されたことである。

1990年(平成2年)の入管法改正では、バブル経済の影響による人手不足解消が大きな政策課題で、中南米諸国等の日系人が対象となっていた。日系二世と三世及びその家族に限定されていたため、その結果、日本に世界3位の日系社会ができあがった1

この入管法のもと日本へやってきた日系人は、血縁関係をもとにした通称 ...

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ラテンアメリカにおける日系人の政治活動 ― その2

その1を読む >>

今年6月、愛知県立大学で開催されたラテンアメリカ学会1で、上智大学大学院の長村裕佳子会員は、「ブラジル軍事政権下における日系政治家のボジショナリティーとキャリア戦略」について興味深い発表を行った2。その発表によると、戦後、ブラジルでは日系人の地位向上や社会進出を公約に掲げる日系二世や三世の政界進出が相次ぎ、日系有権者が多い地方の選挙区では日系人だけの票で当選する候補者もいたという。しかし、州や連邦レベルになると、非日系有権者の票を獲得しないことには当選できず、再選には知名度と実績が求められるため、日系候補者も幅広い層から支持を得ることが重要になる。そのため、日系候補者は、しだいに日系コミュニティだけではなくブラジルのために政治に関わっていることを強くアピールするようになったという。

事実、1970年代頃は、当時の年配の一世や二世が支持する日系候補者が当選していたが、1980年代になると、必ずしも日系社会の意向を反映した日系候補者が当選するとは限らなくなった。これは ...

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

ラテンアメリカにおける日系人の政治活動 ― その1

ラテンアメリカでは、以前は多くの国で独裁政権が誕生したが、ここ30年の間、政治不安を抱えながらも民主化が進んだ。しかし、選挙によって樹立した「民主的な政権」でも、野党の活動が制限され、政治家を監禁もしくは投獄している国はいくつもあり、未だに政治的暴力が行われている。そのせいか、日系社会では以前から日系人の政治活動に対して慎重論が強い。戦後の民族主義的、軍事政権の時代には、その傾向が強く政権側の要職は歓迎されても、野党もしくは反政府の政治活動はタブー視されていた。実際、私も高校生の時、大学で政治学を専攻したいと親へ話をした時、猛反対されたことを今も覚えている1

南米では、表向きは民主的な政治が行われていても、裏では暴力が存在し ...

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

ローマ字表記の日本「食と店」

世界では、日本食ブームが始まる前からある程度知られていた「sushi」、「tempura」、「yakisoba」、「yakitori)」等以外にも、「onigiri」、「dorayaki」という言葉もローマ字表記して見かけることが多くなった。 日本の食材やメニューで使われることはもちろんのこと、最近では親しみやすさやイメージ性を込めて店や会社名に使用されることもある。

ここ数年南米では、日系社会の中だけでなく、一般の非日系人によるイベントなどでもこうしたローマ字表記の日本語が違和感なく使われているのを目にする機会が多くなった。意味不明の日本語のワードやフレーズがプリントされたTシャツは、今でも世界各地で売られているが、最近ではスペイン語やポルトガル語とマッチングした日本語が使われた商品も多くなっている。

以前は「MISTURA(創作、多様性のミックス、という意味)」というペルー最大のグルメフェアに参加していたリマの日系和食レストランのオーナーたちは、2017年の11月 ...

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