Alberto J. Matsumoto

Nisei Japanese-Argentine. In 1990, he came to Japan as a government-financed international student. He received a Master’s degree in Law from the Yokohama National University. In 1997, he established a translation company specialized in public relations and legal work. He was a court interpreter in district courts and family courts in Yokohama and Tokyo. He also works as a broadcast interpreter at NHK. He teaches the history of Japanese immigrants and the educational system in Japan to Nikkei trainees at JICA (Japan International Cooperation Agency). He also teaches Spanish at the University of Shizuoka and social economics and laws in Latin America at the Department of law at Dokkyo University. He gives lectures on multi-culturalism for foreign advisors. He has published books in Spanish on the themes of income tax and resident status. In Japanese, he has published “54 Chapters to Learn About Argentine” (Akashi Shoten), “Learn How to Speak Spanish in 30 Days” (Natsumesha) and others. http://www.ideamatsu.com

Updated June 2013

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

「コラボラドーレス会議2018」とブラジル地方の日系社会訪問

2018年8月末、厚生労働省の招へいでブラジルのサンパウロで開催された「コラボラドーレス会議:現代の日本〜在日ブラジル人の日本社会への統合」という国際シンポジウムに出席する機会を得た。私はこの会議に参加するのを機に、地方の日系コミュニティも訪問した。

「コラボラドーレス会議」は、日本政府が1990年代に設置したブラジル人日系就労者をサポートするために設立されたCIATE1(国外就労者情報援護センター)が毎年企画している会合である。ブラジル人やペルー人が就労目的で来日し始めてから30年、現在日本に在留しているブラジル人は19万人、ペルー人は4万8千人で、そのほとんどがすでに定住している。しかし、他の国の日系人より日本社会への統合があまりスムーズでないケースもあり、未就学になっている子弟や低い高校進学率という教育問題が指摘されている。そのため、今回は特に日本各地の集住地区に在住しているブラジル人の社会統合が十分でないという問題意識からのシンポジウムであった。

この会合には著名な専門家やブラジル外務省の高官、元就労者 ...

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平成時代の日本と定着した南米日系就労者たち

2019年、この日本では「平成」が終わり「令和」という元号になった。31年にわたる平成時代は、南米から渡日した日系就労者の歴史とほぼ重る。1980年代後半のバブル期は、製造業界における深刻な人手不足問題を解決するため、政府は入管法を改正し南米からの日系二世や三世及びその配偶者が日本で制限なく働けるようにした。当時、多くの中南米諸国では経済が低迷し、失業率も貧困率もかなり高く、80年代のペルーではゲリラによるテロ活動が起きていた。私の出身国アルゼンチンでは年間5千パーセントというハイパーインフレが発生し、現地通貨ペソでの平均月給がドル換算で250ドル前後だったことを覚えている。そして、ブラジルやペルーの平均月給はもっと低かったのである1

一方、90年代前半の日本はバブル最盛期からその陰りが出始めたころだったが、我々にはその予兆さえ全く感じられなかった。私は1990年4月に国費留学生として来日したが、アルゼンチンでは感じたことがないすごい好景気にあると思ったことを記憶している ...

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ハワイの「GANNENMONO」と「日系レガシー」

2018年6月、日本人の海外移住史にとって大きな行事がハワイのホノルルで開催された。それは、ハワイ日本人移民150周年を祝う「Gannenmono」式典であり、日本から秋篠宮同妃殿下がご臨席され、政府からは元自衛隊幹部の佐藤正久外務副大臣、JICAの北岡伸一理事長等が出席された。ハワイの代表者として、イゲ州知事、アリヨシ元州知事、アメミヤホノルル市長代理、アイリン・ヒラノ・イノウエ日米カウンシル会長(故ダン・イノウエ上院議員の妻)、マツダ元ハワイ大学総長などが参加された。私も初めてハワイを訪問し、この式典と同時に開催された海外日系人大会に参加した。

日本人労働者がハワイのサトウキビ畑で働くために初めて海外に行ったのは今から150年前の1868年。幕末から日本とハワイは交流があり、1860年には幕府使節団の「咸臨丸 ...

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日系次世代リーダーズフォーラムの意義と効果

数年前から日本の外務省は中南米の次世代日系指導者を招へいしている。私は、外務省中南米局の依頼によって、6年前からこの事業に関わっている。タイトな日程の中、招へいされた日系人らは、各関係機関やときには内閣総理大臣とも面会する機会を得る。これは、将来日系コミュニティを率いるリーダとして日本との架け橋になってほしいと、日本政府が期待しているからである。私は、海外日系人とののネットワークをもっと強化し形にしたいという日本政府の思惑を常に感じてきた。

2018年6月、外務省は15人の次世代日系指導者を招へいした1。彼らは、JICA市ヶ谷ビルの国際会議場で行われた外務省とJICAの共同主催による特別企画、「中南米日系社会ネクストリーダーズ・フォーラム〜日本と中南米の架け橋を目指して2」という会合へ参加し、意見交換を行った。この会合には、日本にいる日系留学生や在日日系人を支援している団体 ...

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メキシコ榎本殖民団に「海外移住の夢」を託した榎本武揚という人物 ― その2

その1を読む >>

殖民団をメキシコのチアパス州へ

榎本武揚は、外務省を去った後も、海外殖民への夢を追い続けた。1893年に殖民協会を設立し、海外殖民を送る事業を立ち上げた。

1888年にすでに日本と修好通商条約を提携し、1891年には中南米初の領事館が開設されていたメキシコに目を付けた。当時メキシコを統治していたのはポリフィリオ・ディアス政権で、1876年クーデーターによって誕生し35年間に及ぶ長期政権を樹立した。国内開発のため、外国資本を積極的に導入し、産業の近代化を図るとともに、移民を誘致していた。日本政府が調査にあたらせたところ、農業で大きな利益が得られるだろうという報告結果がすでにでていた。

そのため、同協会は、幹事の根本正(ねもと・しょう)1を1894年7月から95年3月の間にメキシコやブラジル ...

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