Alberto J. Matsumoto

Nisei Japanese-Argentine. In 1990, he came to Japan as a government-financed international student. He received a Master’s degree in Law from the Yokohama National University. In 1997, he established a translation company specialized in public relations and legal work. He was a court interpreter in district courts and family courts in Yokohama and Tokyo. He also works as a broadcast interpreter at NHK. He teaches the history of Japanese immigrants and the educational system in Japan to Nikkei trainees at JICA (Japan International Cooperation Agency). He also teaches Spanish at the University of Shizuoka and social economics and laws in Latin America at the Department of law at Dokkyo University. He gives lectures on multi-culturalism for foreign advisors. He has published books in Spanish on the themes of income tax and resident status. In Japanese, he has published “54 Chapters to Learn About Argentine” (Akashi Shoten), “Learn How to Speak Spanish in 30 Days” (Natsumesha) and others. http://www.ideamatsu.com

Updated June 2013

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

Carlos Kasuga, um exemplo de líder nikkei nas Américas

Qualquer dirigente nikkei no continente americano conhece em pessoa ou ouviu falar do Sr. Carlos Kasuga, seja devido ao seu sucesso como empresário no México ou às suas atividades institucionais na Associação Panamericana Nikkei. Ainda assim, não são muitos aqueles que conhecem a história da imigração japonesa para o México. De acordo com a Enciclopédia dos Nikkeis do Continente Americano1, tudo começou com Enomoto e sua expedição de colonização a Chiapas em 1897. Enomoto é uma figura interessante, pois havia sido ministro das Relações Exteriores durante o ...

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Kizuna 2020: Bondade e solidariedade nikkeis durante a pandemia da COVID-19

日本の日系ラティーノの新型コロナウィルスに対する迷いと希望

2020年4月16日現在、新型コロナウィルスが全世界に拡散し猛威を振るっており、その状況は日々変化している。今年2月3日、横浜に大型クルーザーが寄港した1。これが日本の見えないそれもまだ十分に知られていない「敵」との戦いの始まりだった。感染拡大を防止するため、3月に学校の一斉休校やイベント自粛要請が出た。3月に入るとイタリアやスペインをはじめとする欧州全体の出入国規制も厳しくなり、その反動で中南米諸国も同じような措置をとった。最終的には国や州別のロックダウン(都市封鎖)が行われ、一部の国では兵士の警備が伴う夜間外出禁止令が発せられた。我々一般市民は、きちんとした手洗いやマスク使用、部屋の換気や三つの密「密閉空間、密集場所、密接場面」をつくらない、外出を極力控えるという予防策をとることが推奨された ...

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

2021年パラグアイCOPANI ~ 私の願い-その2

その1を読む >>

ここ数年、多くの日系リーダーはCOPANI大会の疲労を口にしている。詰め込みの講演や分科会オンパレードを指摘する人も多く、内容だけでなく時間的余裕や特徴ある発表を望んでいる。ときには開催国の重要課題について他の国の関連事例を取り上げたり、専門家の意見を伺う機会を持つことも必要かもしれない。基調講演は日系人である必要もないし、トピックを絞って様々な世代を交えて議論するのもいいだろう。

多くの大会では若者「ユース」の部門があり、若者同士で意見交換する機会を提供している。しかし、若者だけのワークショップでは大会の成果は半減してしまう。そのような場にこそ、各国のベテラン指導者にも参加してもらい、彼らと共に話をし、時には助言をもらい、世代を交えて正面から議論することが良いと思われる。若者もそれを求めているに違いないが、遠慮もあるし、そのアプローチを間違えると意見の食い違いが深まり排他的は関係になってしまうリスクがあるので注意しなければならない。

リマ大会では、若者のゲーム式の分科会に参加した ...

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

2021年パラグアイCOPANI ~ 私の願い-その1

第1回目のCOPANI(Convención Panamericana Nikkei パンアメリカン日系人大会)は1981年にメキシコシティーで開催され、昨年9月にはサンフランシスコで第20回大会が行われた。ここまでCOPANIが続けられた背景には、創設者の一人でメキシコの日系二世、実業家のカルロス春日氏の貢献は無視できないだろう1。北米でCOPANIが開催されたのは、1989年のロサンゼルス大会、2001年のニューヨーク大会、2005年のバンクーバー大会に引き続き今回で4回目で、アメリカ合衆国では3回目の開催であった。サンフランシスコ大会には、少ない実行委員ながらも、約250人が参加した。15年ぶりの北米での開催ということもあり、サンフランシスコのコミュニティ紙『日米ウィークリー』は大会の詳細をとりあげた2 ...

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Os nikkeis da América Latina e os nikkeis latinos

二世代目以降の「県人会」と今後の架け橋としての役割

近年、南米の日本人移住者と出身県との交流ツールだった「県人会」の形態や役割が変わってきた。戦前は、同郷の人が集まり限られた情報を交換する場であり、残された家族との連絡を橋渡しする機関であった。戦後になると各県からの助成を得て運営する県人会も増え、特に日本が経済大国になった70年代から90年代ぐらいにかけては、各県の助成金をもとに日系二世や三世の短期研修や農業後継者育成や中期留学を援助したり、高齢移住者の里帰り支援や県の若者南米派遣交流事業を展開する県人会もでてきた。移住先では、農村部や都市部にかかわらず、県人会は仲間を助け、親睦を図ってきた。

JICAや研究者の統計によると、戦前だけでもハワイを含むアメリカ大陸には65万人の日本人が移住しており、都道府県別にみると、広島(96,848)、沖縄(72,227)、熊本 ...

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