Keiko Fukuda

Keiko Fukuda nasceu na província de Oita, se formou na Universidade Católica Internacional e trabalhou num editorial de revistas informativas em Tókio. Em 1992 imigrou aos EUA e trabalhou como editora chefe numa revista dedicada a comunidade japonesa. Em 2003 decidiu trabalhar como ¨free-lance¨ e, atualmente, escreve artigos para revistas focalizando entrevistas a personalidades.  Publicou junto a outros escritores o “Nihon ni Umarete” (Nascido no Japão) da editora Hankyuu Comunicações. Website: https://angeleno.net 

Atualizado em julho de 2020 

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A ilustre visita vinda diretamente de Sendai para o Workshop do Tanabata Matsuri

O autêntico amor ao Japão que se sente em Los Angeles 

Na Semana Nissei de 2009, que é um dos maiores festivais da colonia japonesa, o “Tanabata Matsuri” foi um grande tema. Foi organizado um workshop no Little Tókio em frente ao edifício do Centro Cultural Japonês Americano no fim de semana do dia 14 de Mayo para promover os trabalhos voluntários que serão realizados para preparar a grande festa que será en Agosto.

Para coordenar este workshop pessoalmente, estiveram presentes diretamente de Sendai o Sr. Koichirou Narumi, sexta geração da familia Narumi ...

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migration ja

31年間の米国生活から日本に引き揚げた後永住権を再取得した徳留絹枝さん

子どもの将来考え永住権取得

様々な理由で米国暮らしの後に日本に引き揚げたり、またアメリカに残る選択をしたりする新一世の話を聞くうち、一度日本に引き揚げた後に再びアメリカに戻ってきた人の話も聞きたいと思うようになった。そんな時、2019年の夏にオレンジ・カウンティーのアーバインで開催されたセミナーで、偶然再会した徳留絹枝さんのことを思い出した。徳留さんはユダヤ人と日本人の関係に焦点を当てた著書で知られる活動家(私はジャーナリストだと思っていたが、徳留さん本人は活動家と紹介してほしいと言う)で、再会した時「日本に一度帰っていたんですが、またアメリカに戻ってきました」と話していたのだ。再会から1年以上経ったコロナ禍の中、私はzoomで徳留さんの帰国の決断、永住権を取得し直して再移住した経緯を伺う機会をもらった。

徳留さんが最初に渡米したのは夫のアメリカ駐在への同行が目的で、1978年のことだった。二人の子どもは当時まだ幼く、土曜の日本語補習校には通っていたが、「子どもたちがこれから日本に帰ると言葉や生活習慣の面で苦労するに違いない」と思い ...

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migration ja

永住権当選から18年後の現在地 — 中島恒久さん

時給7ドルからのアメリカ生活

サンフランシスコ近郊のIT企業でCOOを務める中島さんと知り合ったのは、某日系ビジネス団体の会報向けの取材だった。取材後に彼のプロフィールをまとめるために名前で検索した。すると、てっきり日本からの駐在員だと思っていた中島さんが実は、同時多発テロ事件直後に永住権抽選プログラムでグリーンカードを手にし、自力で渡米した人だということが分かった。最近は狭き門となっている同プログラムだが、当選後にアメリカに移住した人たちのその後を知りたいと思っていたこともあり、改めて取材を申し込み、話を聞かせてもらった。

中島さんがアメリカを意識し始めたのは、高校生の頃、夢中になったジャズ音楽がきっかけだったと振り返る。「大学生になると、ますますジャズにのめり込んで、ベースを演奏していました。仲間の中にはボストンの音楽大学に留学する人もいました。でも僕は行くなら留学や、ましては旅行ではなく、地に足つけてアメリカで生活してやると思っていました。単なる妬みなんですけどね(笑)」。

当時大阪に住んでいた中島さんは ...

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migration ja

アメリカを終の住処とせず日本に引き揚げる人たちの理由

在米48年後、夫婦で日本へ

私の周囲で日本に引き揚げる人が増えている。私自身も節目を迎えつつある。日本で働く長男が私の両親と住んでいるので安心ではあるが、彼らの介護が必要になってくると一人っ子の私が日本に引き揚げて親の面倒をみなければならない。新一世の中にはアメリカを終の住処とせず、私のように「日本に残してきた親の面倒をみるために引き揚げる」という人もいれば、「医療費が高いアメリカでは老後は過ごしづらいから日本へ」という人もいる。そこで、遠からずその日を迎えようとしている自分自身の予習の意味も込めて、長年住んだアメリカから日本に引き揚げた人の話を聞かせてもらった。

今年の2月にロサンゼルスから九州北部に引き揚げたRさんは現在70代。渡米してきたのは1972年だというから、アメリカ生活は実に48年にも及んだ。アメリカで日本人の配偶者と一緒になり、共に生涯、アメリカで暮らしていくと考えていた。

「退職したのは63歳でした。その頃には、アメリカという国の良さ、懐の深さがだんだん薄れていくように感じていました ...

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Toyota USA’s Christopher Yang, a Nisei Born in Southern California

Motivation to Study Japanese

The reason why Nisei children who were born in the U.S. go to Japanese-language schools or hoshūkō is that their parents hope that they will acquire the language of the land where their roots lie. That was also the case for my two children. Every Saturday morning, I would hurry them along to Japanese school, with not a bit of enthusiasm on their part. This is the point where children diverge. Some will rebel against having to go to school on Saturdays on top of the usual Monday to Friday, and will end up quitting ...

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