Akira Tsurukame

鶴亀彰は1941年に鹿児島県で生まれ、鹿児島のラ・サール高校、京都の京都外国語大学を卒業後、1964年に国際観光業のニューオリエントエキスプレス社に入社。1966年に同社の米国事務所に駐在員として派遣され、ロサンゼルスとニューヨークで勤務。1979年に退社し、家族と一緒に世界を見て回った。1980年にロサンゼルスでカリフォルニア・コーディネーターズ社を設立。日本から米国やメキシコに進出する企業のための現地支援を行う。またその後、日米の仲間と一緒に、カリフォルニアの起業家達が日本市場への進出する際の支援を提供するビジネスカフェ社をシリコンバレー、ロサンゼルス、東京で設立。

ビジネス以外では鶴亀の生涯を通じての関心は日本と世界の関係で、中でも日米関係である。また日本の米国への移民の歴史にも興味を持ち、研究を続けている。北米のみならず、南米の日系社会の状況を調査すべく、メキシコやペルーやチリやアルゼンチンやブラジル等を3ヶ月に渡り訪問した。最近では日系社会に貢献した戦前の一世達を取り上げ、カリフォルニア州オレンジ郡で毎月発行されている「オレンジニュース」に記事を掲載したり、2018年には明治維新、日本人移民150周年を記念すべく、新一世の仲間達と一緒に「日系パイオニアに感謝する会」を立ち上げ、戦前の一世や二世に対する感謝を表明する企画を成功裡に実現した。鶴亀は現在ロミタ市に妻と息子と一緒に在住。現在78歳。

(2019年4月 更新)

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Imagine Little Tokyo Short Story Contest V

喜寿の手習い

夫の7回目の命日を3日後に控えた一月半ばのその日、和子バーチャンは朝から機嫌が悪かった。いつもの通り、午前5時に起きた。老人の一人暮らしで、仕事している訳でもなく、気ままな生活なのだが、長年の習慣で、目覚ましがなくても自然に眼が開く。ベッドの上で身を起こした途端に、身体にかすかな痛みが走った。激しい痛みではない。右脇腹が疼いた。「あ、雨だな」と呟きながら、洗面所に入り、窓のカーテンを開けると、案の定、外は雨だった。まだ時間が早いせいか、もやと雨が混じった乳白色が家の周りを覆っていた。静かな小雨がシトシトと窓を叩いていた。

「まるで私の体は湿度計なんだから」とまた一人で呟いた ...

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