Sachio Negawa

Sachio Negawa é professor-assistente dos departamentos de Tradução e Línguas Estrangeiras da Universidade de Brasília. Mora no Brasil desde 1996. É especialista em História da Imigração e Estudos Comparativos entre Culturas. Tem-se dedicado com afinco ao estudo das instituições de ensino nas comunidades japonesa e asiática em geral.

Atualizado em março de 2007

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海を渡った日本の教育

第8回 子どもと教員の生活世界(2)

サンパウロ市在住のYT氏(1933年生まれ)は、日系二世の建築家で、筆者の大切な友人の一人だ。外国語教育が禁止された時期に幼少期を送った人だが、日伯両語のバイリンガルで、氏とお話する時はいつも日本語である。そんな氏とある日、戦中期の教育の話をしていて、ふと「Yさんは教育勅語なんて習ったんですか?」と聞いてみたところ、「全部言ってみましょうか」と言って、「チンオモウフニ、ワガコウソコウソウ、クニヲハジムルコトコウエンニ、トクヲタツルコト、シンコウナリ…」とやりはじめた。今でも教育勅語を全部そらで言えるという。

筆者にとっては、二重の驚きである。一つは ...

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海を渡った日本の教育

第7回 子どもと教員の生活世界(1)

バイリンガル教育の効能が喧伝される昨今、思い至るのは1930年代のブラジル日系児童・生徒たちの言語生活である。当時の多くの日系の子どもたちは、午前中はポルトガル語でブラジル正課の授業を受け、午後からは日本人学校に通う(あるいはその逆)というバイリンガル生活を送っていた。同じ校舎で、半日はポルトガル語、あとの半日は日本語という学校も少なくなかった(写真7-1)。

RY氏はサンパウロ州アリアンサ出身の日系二世。見事な日伯語のバイリンガルで、1930年代の子どもの頃に歌ったというガット童謡を紹介してくださった。ガット童謡とは、1930年代後半に有限責任ブラジル拓植組合(ブラ拓)によって組織された「ガット運動」の一環として作曲された童謡である。「ガット」とは 、ポルトガル語の「Gozar ...

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海を渡った日本の教育

第6回 女子教育(2)

前回は、戦前のブラジルにおける日系女子教育の開花について述べた(本連載第5回参照)。こうした女子教育機関の教育内容として特筆されるのは、知識・教養の教授とともに、日系女子としてのしつけ、礼儀作法の教育が重視された点であろう(写真6-1)。日伯実科女学校の創立者郷原ますえもサンパウロ女学院創立者の赤間みちへも、ブラジルで発行されたいくつかの著書があり、礼儀作法についてそれぞれ健筆をふるっている。

たとえば、筆者の手元にある郷原の著書『生活の知恵―礼法―』は、1959年に日伯実科女学校から発行された戦後のものだが、しつけ教育の傾向をよく表しているといえる。同書の「まえがき」には、まず、「本書は当国生まれの二世の方々の日常生活の手引をするために編集いたしました ...

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海を渡った日本の教育

第5回 女子教育(1)

戦前から戦後にかけて、ブラジルの日系コミュニティには、「花嫁学校」と呼ばれる女子教育機関が存在した。それらは、移民の子女に裁縫や料理などの 技能を教授し、日本人女性らしい良妻賢母型のしつけを施す学校施設であったが、後には日本の女学校課程に準ずる高等女学部やポルトガル語部を併設し、総合 学園的な教育機関として発展したものもあった。

中でも、日伯実科女学校、サンパウロ女学院、サンタセシリア割烹学校の三つは、「三大花嫁学校」と呼ばれ、日系コミュニティ内では抜きん出たステー タスを有していた。これらの学校を卒業した女性たちは、コミュニティの指導者層の男性と結婚してその夫人となる例が多く、みずからも日系婦人組織のリー ダーシップをとる者が多かった。また、サンパウロ州内陸部の諸都市やパラナ州にまで ...

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第4回 小林美登利と聖州義塾

吉田松陰の松下村塾、福沢諭吉の慶応義塾、弘前の東奥義塾などの例を引くまでもなく、日本の歴史は連綿たる私塾教育の伝統を持っている。大阪大学医 学部の前身が緒方洪庵の適塾ということを考えると、官立学校もまた私塾の伝統の上に創られてきたことは否定できない。彼らこそ、日本的教育文化の一つの源 と言ってよいであろう。実際、ほぼすべてのブラジル日系教育機関も小規模な私立学校、すなわち私塾として出発した。

前回述べたように、「コロニア一の学校」として教師や設備の質を誇った大正小学校でさえも、教師一人、生徒三人、教室は一般家屋の間借りという私塾からはじまった(本連載第2回参照)。それゆえ、ブラジル日系社会では、限られた条件の中でさまざまな特徴ある学校を生み出された。小林美登利(こばやし ...

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