Ryusuke Kawai

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第14回 南米行きか、帰化か

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。帰国するかとどまるか、長年心が揺れ動く助次だが、今度は南米に行くといったり、帰化を考えたり……。知的好奇心は相変わらずで、日本から書物を送ってほしいと頼んでいる。

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1959年1月×日

〈アンデスの大草原へ〉

美さん、私はこの作(農作業)が終わり次第、南米行を決行します。目的地は未開の地。海抜二万呎(フィート)、アンデスの大草原、炎熱150度のアマゾンの大森林 ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第13回 アンクル・ジョージ語る 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。わが子のように甥や姪のことを心配し、あしながおじさんとして学費の援助やアドバイスをし、直接手紙のやりとりをしてきた。とくに、一番年下の姪には、アンクル・ジョージとして、自分の墓のことなどについても話している。

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1957年6月×日

〈アメリカでも猫はニャーとなく〉

明ちゃん、お手紙ありがとう。つい、悪口が過ぎたので、返事は来ないと思っていました。字も中々上手だし、文もスラスラと書けており、今の若い人は文がうまい ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第12回 強盗に襲われる 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。相変わらず帰国するか、義妹らをアメリカに呼び寄せるか思案するなかで、あるとき郊外でひとりポツンと暮らしている助次は、強盗に押し入られる。

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1955年6月

〈一時は万事休すかと〉

美さん、暫くご無沙汰しました。みなさん、お変わりはありませんか。お手紙を頂いた数日後の一夕、寝こみを強盗に襲われました。重傷を負い一週間ばかり病院で治療を受け、ようやく傷も癒えたので、数日前デルレー(デルレービーチ)へ帰り友人(白人)の家で世話になっております ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第11回 不調ながら新たな試みを模索

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。60代になり体調不良を訴えることが多くなり、同胞の死を知り気弱になるが、桜を植えることなど新たな試みをつねに思索している。

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〈知人の息子がコリアで戦死〉

1953年10月6日

美さん、今日は久し振りに雨が降りませんでした。永い降り続きで畑も市街も低地は一面の水です。6回目の台風フロ−レンスが過ぎ去ったと思うと、7回目が東南250マイルの地点に吹き起こりました。

今、丁度12時15分。空は曇って星一つ見えません。涼しい風が海から吹いております。温度は78度(約26℃)、フロリダも大分涼しくなり日も少し短くなりました。午後の7時頃は薄暗くなります ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第10回 自分を「父」と呼んだ甥が逝く

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。互いに実の家族同様の気持ちになるなかで、ある日甥が病を患っているのを知る。遠く日本にいる甥をそしてその母である義妹を励まし、慰めるが……。

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1953年2月×日

美さん、前回の手紙の翌日から当国南部を風靡中(流行っている)のフル—にかかりずっと病院に居ります。医師の話では全快にはなお4、5週間を要するそうです。一時は熱が102度(約39℃)にも上がりました。全く食欲もなく注射と水ばかりで生きて来ました。私は随分、大病をしましたが ...

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