Ryusuke Kawai

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。「大和コロニー『フロリダに日本を残した男たち』」(旬報社)、「『十九の春』を探して」、「122対0の青春」(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著「No-No Boy」の翻訳を旬報社より出版。

(2016年1月 更新)

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アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その2

その1>>

顧客は日系、アジア系、非アジア系というバランス

一方、品揃えについては、日系人・日本人を対象にスタートしながら徐々に日本食の広まりをとらえて変化させていった柔軟さが業績を伸ばした。

宇和島屋の顧客は、その3分の1が日本人あるいは日系人、3分の1が日系以外のアジア系、残りの3分の1が白人ほか非アジア系と見ている。このバランスが功を奏しているようだ。

「これからはべルビューにあるような店を展開していきたい。ハイクオリティーのものを売っていくようにしたい」と、新店舗展開に積極的なCEOが言うように、他店と差別化を図る戦略を今後は進めるようだ。

現在の宇和島屋のそばにモリグチ会長は、コンドミニアム(マンション)を所有しているが、そのビルには大きく「富士貞」と漢字で書かれている ...

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アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その1

ずらり並んだ日本酒の瓶。ここ数年の日本酒ブームでどこのスーパーの酒類売り場でもずいぶんと銘柄が増えたものだが、この店ではビンについた値札がすべてドル($)表示。といっても免税店ではない。

同じく、納豆、豆腐はもちろんのこと、どら焼きも大福などの和菓子もドル表示。そして、総菜コーナーには海苔巻きから太巻き、各種弁当も並ぶが、これらもみんな“ドル”だ。

一方、精肉コーナーに行くと大きな肉の塊が並び、氷の上にのった鮮魚は、並べ方も切り身もスケールがでかく、こちらは日本離れしているのでドルでも自然だ。

ここはアメリカ西海岸、ワシントン州の都市シアトルのスーパー、「Uwajimaya」(宇和島屋)の店内だ ...

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70年代、日系アメリカ人が遠いヒロシマへ捧げた歌

9月、アジア系アメリカ人文学の研究者たちの集まりに出席したとき、珍しい音源を入手した。出席者の一人で、アジア系アメリカ人が1980年代に設立した音楽NPO「Asian Improv aRts/Records」(AIR)の日本通信員をつとめる神田稔さんからいただいたものだ。

ふだんあまり目にすることのない、文化の狭間にある音楽を追う彼が勧めるものだけに興味をそそられた。その音源は「YOKOHAMA, CALIFORNIA.」(ヨコハマ、カリフォルニア)。この名の日系アメリカ人グループが70年代に制作したLPのコピーだった。

このLPは、今となってはかなりレアものらしく、元をただせば洋楽を中心とするインディペンデント・レコード会社「MUSIC CAMP ...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その3

>>その2

沖家と酒井家

沖氏のおかげでいくつかの謎が解けたというか、コロニーがどういう歴史的な経緯で誕生したかが浮かび上がってきたが、さらに沖氏の姉である長屋光子さんからは、沖家やコロニーについてのエピソードを聞いた。長屋さんは、祖父である光三郎氏のことを覚えていて、「体が大きくて、厳しい人だった」と振り返る。また、祖母とは田舎(峰山町)の大きな門構えの家で小さいころ一緒に暮らしていたこともあったという。

この祖母というのが酒井襄氏の姉にあたるわけで、光三郎氏がアメリカで急逝してしまい、コロニーの事業も結局失敗に終わってしまったことで、祖母は、複雑な立場と心境にあったろうと述懐していた。

また、子供のころに、ヤマトコロニーの写真を見たことがあり、いまでも記憶にあるという。

「バラックのような建物のベランダがあるようなところで ...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その2

>>その1

謎が解け、コロニーの背景も

こうして酒井氏と知り合ったことをきっかけとして、これ以後何人かの人たちに取材できたことで、酒井襄氏に関する謎が一気に解けていっただけでなく、ヤマトコロニーが誕生していく歴史的な背景が明らかになっていった。というのは、電話で連絡をとった隆子さんから教えてもらった沖守弘氏という写真家にまず出会ったからだった。

沖という名前がこのコロニーへのおもな入植者の一人であることはわかっていた。1961年に新日米新聞社から発行された「米国日系人百年史―在米日系人発展人士録」には、日本からの米国移民の歴史が各州別に具体的な名前をあげながら紹介されている。フロリダ州の紹介のなかで、ヤマトコロニーについての記載があるが、そこに宮津から入植した一人として沖という名前がでてくる。しかし、苗字だけで名前はない。

この沖と縁戚関係にあるのが沖守弘氏だと教えられ、さっそく都内にある沖氏の自宅を訪ねた。昭和4年生まれの沖氏は、インドで救貧活動をつづけた修道女、マザーテレサを70年代から撮り続け ...

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