Ryusuke Kawai

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第22回 中央北部三州の日系人

中央北部三州とは、ミネソタ(Minnesota)、南ダコタ(South Dakota)、北ダコタ(North Dakota)の三州を指している。百年史では、第十六章で10ページを割いている。

ミネソタ州

「一八九三年のシカゴ万国博開催以前に、田中楠太郎経営の百貨店「起立工商会」や「関西貿易商」と呼ぶ日本人商店がセントポールに在り、松原重栄らが営業にあたっていたというからずいぶん古い話である」と、日本人のこの州でのさきがけについて触れている。

日本絵画など美術品を扱って成功した北川留太郎、病理学の権威としてアメリカ人にも知られ、ミネソタ大学などで教鞭をとった池田叶博士 ...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第21回 テキサス州の日系人

「百年史」は、「第十五章テキサス州」に36ページを割いている。ここで紹介されている日本人は、他のたいていの諸州の章に登場するこれまでの日本人移民と、その活動の内容が異なる。テキサスでは、出稼ぎ労働者的な移民もいるが、際立つのはおもに米作のために、日本から資本を投下して入植地を作ろうとする試みである。

入植事業にかかわったものをはじめ、初期の移民のなかで目立った活動やユニークな例などをエピソードを交えて読者をひきつけている。

こうした例を、いくつかまとめて再録するが、その前に、テキサスにおける日本人の存在の概説が書かれているので、それをまとめてみる。

日本人とテキサスの記録に残る最初の関係は、綿花取引に関わり1895年に日本綿花株式会社がテキサス綿花を直接輸入したことに遡る。しかし、それ以前に港町ギャルべストン(ガルベストン)に船乗りとしてやってきた日本人が上陸して、暮らしたと考えられる ...

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第20回 ネブラスカ州とニューメキシコ州の日系人

ネブラスカ州

ネブラスカ州は平野が多く、地味豊沃で農業や畜産に適している。おもな産業は農業で、穀物、果物、野菜、砂糖大根、牧草など多種類で、馬の名産としても知られる。州都のオマハは製造業が盛んである。

この州に本格的に日本人が移住してきたのは、1904年で、岡島金弥によってオマハの缶詰工場に約120人が送り込まれたのが最初とみられる。

そのほかの移住者としては、UP鉄道、バーリントン鉄道の沿線に、集団で送り込まれたものがいて、その後、付近の農園で働き、なかには農業家として住みついたものもいる。

商業としては、オマハ、ノースプラット、スカッチブラフなどでホテルや洋食店 ...

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第19回 アリゾナ州とコロラド州の日系人

アリゾナ州

「砂漠とカクタスとカウボーイとで表象されたアリゾナの炎熱と闘い抜いて今日の農耕地を築きあげた日本人の開拓者的努力は尊い」という書き出しで「百年史」のなかのアリゾナ州ははじまる。また、「アリゾナの農業にとり日本人は大恩人である」ともいう。

日本人による農業は、1905年にサンフランシスコの日米勧業社によって120人の労働者が精糖会社の農園に入り込んだのが最初である。以来、各地で各種野菜やイチゴなどの栽培が行われた。

州内の日本人農業史の特色としては次のように記している。

「日米開戦直前から岸山嘉十郎がフイニックス南部のサウス・マウンテン傾斜地に春の切り花(スーク、スナップドラゴンなど)の耕作をはじめ、戦後、中村、渡辺、中川らもこれにつづき同地帯一帯に花園業が盛んになったことである」

農業労働より早く、この地に入り込んだ日本人もいる。1980年代の初期に入った大貫八郎である ...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第18回 ネヴァダ州の日系人

戦後は各地に散在し、縮小

「百年史」が、各州別で紹介のために割いているページ数は、該当する州に在住する日本人や移民当初の日系人の数とは関係がないようだ。前回紹介したユタ州の日系人は、44ページにわたって紹介されているが、その西隣になるネヴァダ州(第10章)は、わずか5ページである。

1910年当時の日本人の数は、ユタ州が2110人で、ネヴァダ州には864人。この割合にしては、ネヴァダ州についての日系人の情報は少ない。その理由は、戦争を挟んだのちもユタ州では大きな日系人社会が存続したのに対して、ネヴァダ州は事情が違ったからだったようだ。

「日米開戦にともない、銅山地帯は強制立退きに遭い、戦後は一部商業に従事するもののみが帰還するにすぎず、他地方も減ったのが多く、ネヴァダ州日系人は各地に散在し戦前よりも振るわぬ現状である ...

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