Yumiko Hashimoto

Yumiko Hashimoto é nascida na cidade de Kobe da província de Hyogo. Vive em Los Angeles desde 1997. Trabalha como jornalista da Nikkey Community escrevendo artigos focalizando temas locais. Durante a sua vida no Japão, nunca tinha ouvido falar de campos de refugiados da Segunda Guerra Mundial e nem conhecia a palavra “Nikkei”. Ela participa deste Discover Nikkei com a esperança de poder aproximar um pouco entre si, os nikkeis que vivem aqui.

Atualizado em outubro de 2008

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『ロス疑惑』に思う

2月23日早朝、一大ニュースが日本中を、そしてLAの日系社会をも駆け巡った。 『ロス疑惑』妻殺害容疑 三浦知義元被告 ロス市警サイパンで逮捕 私が勤務する、ロサンゼルスの日本語新聞、日刊サン2月25日号の第一面である。(記事は日本のサンケイスポーツ社と契約) 27年前の『ロス疑惑』騒動を知らない、海外の若い方のために事件と今回の容疑を、簡単に説明しておこう。1981年11月、LAダウンタウン近く の駐車場で三浦元被告の妻、一美さん(当時28歳)が頭部を銃撃された。意識不明のまま一美さんは、米軍のヘリコプターで異例の“帰国”。しかし翌年帰ら ぬ人に。その後、三浦元被告に1億5千万円の保険金が下りたことなどから、『週刊文春』誌がスクープ記事を発表。警視庁も動き出し、逮捕となった。三浦元 被告は、1審で無期懲役の有罪判決が下されたが、2審で逆転無罪、最高裁でも2003年無罪が確定した。今回の LAPD(ロス市警)によるサイパンでの逮捕は、この一美さん殺害事件の殺人容疑などによるものだという。 一面に『逮捕』を日本とほぼ同じスピードで掲載しただけに、日刊サンには次々と日本からのジャーナリストたちが連絡してきた。一番熱心だったのは、 日本から急いでロスに飛ばされてきた、日本の新聞や雑誌記者たち。もちろん LA 支局のテレビ、新聞社の記者も電話をかけてきて、何か情…

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新年会は日本人街で〜アフター・パーティのお楽しみ

日系コミュニティの取材をする者にとって、1月から3月(!)は「毎週土日に休みなし」と考えておかねばならない。なぜなら、この時期、各都道府県 の県人会、団体、趣味の会などLA日系社会に存在するほぼ全ての組織が、新年会・総会を開くからだ。お呼びがかかれば全てというわけにはいかないが、なる べく会に参加させていただく。先日も県人会の新年会に出席したばかり。ダウンタウンから車で10分、LA東部にある宴会場で行われた、その会はお国訛りも 飛び出す、楽しいものであった。 そこで、ある会員が話していたことが気にかかっている。 「いつもこういう集まりはリトル東京のニューオータニでやっていたんだけれど…。遠くから来てる人もいるからね。めったに日本人街に来ない人たちは、新年会の後、車を置いたまま、お店をのぞいたり、日系のスーパーマーケットに行くのが楽しみだったんだ」 サンフェルナンドバレーの奥やオレンジ郡のずっと南から、車で2時間かけて、この新年会にやってくる人もいる。家の周りにはもちろん日系マーケット などないから、県人会の集まりで日本人街にやってくるのは、日本の食べ物や本・雑誌、化粧品などを買い物する絶好の機会なのだという。 そんな日本人街・リトル東京でのお楽しみも、昨年11月「ニューオータニ・ホテル&ガーデン」が撤退で大きく事情は変わった。リトル東京で30年間 ランドマークの役割…

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よみがえったか? リトル東京の映画館

リトル東京のはずれ、メイン通りを車で走る際、いつも気になっていた看板があった。「LINDA LEA」「JAPANESE FILMS」古めかしい“東映”のマークも見えた。ここが、日本映画専門の映画館だったと初めて聞いたときは驚いたものだ。今、日本映画がLAで上映され るとすれば、日本でヒットした作品が米系の配給会社によって1週間のみ、独立系映画館で上映されることがあるくらい。しかも客席はガラガラのことも多い。 それほど影の薄くなった日本映画を専門に上映する映画館があったなんて。そして、昔はこんなところにまでリトル東京が広がっていたんだな…。今では英語と いうよりスペイン語の文字が目立つその附近を漠然と眺めていたものだ。 当時を知る人に聞けば、LAにはリトル東京の他にも、クレンショー、ラブレア地区にも日本語専門の映画館があったそうだ。黒澤や溝口といったアメリ カ人の映画通が好む監督の作品が必ずしも人気があったわけではなかった。娯楽のなかった時代、チャンバラやヤクザ映画が好まれた。映画館は移民1世から彼 らの子孫でにぎわい、一種の社交場と化していた。しかし、日本のバブルの恩恵は受けることがなかったのだろう。どの映画館も90年代に入る前にはバタバタ と文字通り幕を下ろしている。 んな「リンダ・リー」が再建されると聞いたのは、もう2年以上も前だったろ…

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