Yumiko Hashimoto

Yumiko Hashimoto é nascida na cidade de Kobe da província de Hyogo. Vive em Los Angeles desde 1997. Trabalha como jornalista da Nikkey Community escrevendo artigos focalizando temas locais. Durante a sua vida no Japão, nunca tinha ouvido falar de campos de refugiados da Segunda Guerra Mundial e nem conhecia a palavra “Nikkei”. Ela participa deste Discover Nikkei com a esperança de poder aproximar um pouco entre si, os nikkeis que vivem aqui.

Atualizado em outubro de 2008

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ビバリーヒルズにフローズン・ヨーグルトの店を開いた“大和なでしこ”川島正子さん

“ビバリーヒルズにお店を開いた日本人の女性オーナー”-お会いする前は、どんなにアメリカナイズされた強い女性なのだろうと、想像していた。ロデオドラ イブのビバリードライブ沿いにあるフローズン・ヨーグルトの店「Sno:la」のオーナー、川島正子さんはそういった先入観を180度転換させる、心穏や かで柔軟性のある“大和なでしこ”だった。 「ずっと長い間エンターテイメントの仕事をしています。イベント(コンサート、スポーツなど)を日本に招聘して、ツアーを組むんです。ローリング・ストーンズやスティービー・ワンダー、プリンス…、いろんな人とツアーする機会がありました」 「Sno:la」を始める前からの本業として、川島さんは洋楽のアーティストを中心に日本公演を実現させるプロモーターで、現在も忙しく世界中を飛 び回っている。91年からLAへ。アーティストのエージェンシーはほとんどLAにあることから、契約書を交わすたび、アメリカで法律を勉強したいという思 いが強くなり、LAに移り住むことを決意、仕事をしながら大学に通い、ディプロマも取得した。 レストランや食べ物のお店に関わった経験は一切なし、という川島さんが本業を中断してまでも、フローズン・ヨーグルトのお店を始めようと思ったのは、本当にふとした思いからだった。 「常にロードに出ているミ…

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日本語を習い始める大人の日系人たち(後編)

>>前編ロサンゼルスの日系社会を取材していると、3世の方々が日系社会で活躍されていることに気付く。今回もベニスのジャパニーズ・コミュニティ・セン ターの日本語クラスも、日系人の生徒たちはみな3世だった。建国230年のアメリカで4世以上の世代になれば、日系に対する意識は薄れてしまうということ なのか。 3世といっても子どもからお年寄りまで、当然さまざまな世代がいるわけだが、日系社会で積極的に行動する30~50代ならば、その両親(2世)は強 制収容所世代だ。その世代は、日本人の血を引いているというだけで、戦中戦後にアメリカで辛い思いをした。彼らの中には自分の子どもに日本語を教えさせよ うとしなかった人もいる。逆に、50~60年代に米で巻き起こったマイノリティの公民権運動に刺激を受け、日本人のルーツに誇りを見出した人もいる。 (「日系社会で活動しているのは3世が多い」という点に関しては、Discover Nikkei.org の西村さんに、「何世というよりも、育った時代も日本への興味に関連しているのでは」というご指摘をいただいた。収容所、公民権運動という2つの史実は、 その時代を経験した人にしか分からない影響を残すはず。もう一つ付け加えると、育った地域というのも関連が少なからずあると思う) ベニスの日本語クラスで実施したアンケートでも、子どものころに日本語学校に通った人と、通わなかった…

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日本語を習い始める大人の日系人たち(前編)

“このほんはいいですね” ケイ・ガーヴィン(川上ガーヴィン香保里)さんが、黒板に大きな字でこう書いた。全部ひらがなだ。この日は、付加疑問文を教えている。 “ぜんぜん、よくありません” 答え方を黒板に書きつづる。 「100%、No という意味です」。ケイさんが英語で説明すると、「もう一回(説明して)!」と生徒から日本語でリクエストの声が飛ぶ。 ここは、WLAのベニス・ジャパニーズ・コミュニティ・センター(12448 Braddock Drive, LA CA 90066: tel 310-822-8885)。日本人のケイさんを先生に、夜間の日本語クラスが毎週金曜日に行われる。日本語を習いに集まっているのは、昼間の仕事を終え てやって来た、40~50歳代くらいの大人たち。ほとんどが日系人だが、白人の姿もしばしば見かける。武道から日本に興味を持った人や、配偶者やパート ナーが日本人という人たちだ。このセンターでは、土曜日に子どもたちに向けた日本語教室を開いている。 「この dirty の意味は何ですか?」ケイさんが質問する。 一人の生徒が小さな声で答えると、 「それも正解!」とケイさんが、大声で誉める。 土曜日のクラスでは間違いかもしれないが、文法的には正しい答えだった。何より、ケイさんは生徒が答えを絞り出してくれたことが嬉しい。 200…

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南カリフォルニアの日系無料メディア誌/紙

以前、私はロサンゼルスにある日系無料誌で編集やライターの仕事に携わっていた。私が入社した90年代後半、ミツワ(当時のヤオハン)やニジヤ・ マーケットで手に入る日系無料誌で、今も残るのは「ライトハウス」「ブリッジUSA」「U.S. フロントライン」「TVファン」「日刊サン」くらいだろう。廃刊してしまった無料誌には、「VOGA」「ゲートウエイ U.S.A.」「マジョラム」あたりが思いつく。「USジャパン・ビジネスニュース」という硬派な新聞は買収されて、今は形態を替えている。 今でこそ、日本でも各駅に無料誌が置かれる時代になったが、わずか10年前は、“無料雑誌”なんて日本人には信じられなかったと思う。その後すぐに インターネットが浸透し、「情報はタダ」が常識となった。さらに雑誌は広告費だけでも制作できるという、かつては業界の裏事情みたいなことも平然と知られ ていること、コンピュータ使用によるDTP化で、編集や製版の知識がなくても出版に参画できることが、無料誌量産の大きな理由だ。 ロサンゼルス日系社会の無料誌のさきがけは、70年代半ばに誕生した「ゲートウエイU.S.A.」(後に廃刊)。今でも無料誌の代表格である「ライ トハウス」「ブリッジ U.S.A.」は、ともに1989年、いわゆる日本のバブル景気の真っ最中に発刊された。当時のLA日系社会には、有料紙「羅府新報」…

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Quando o japonês se torna cidadão americano (segunda parte)

>> Primeira parte "Eu nunca pensei que me transformei em americana" Yamaguchi Toshiko é orientadora do Curso de Cidadania do Pioneer Center em Little Tokio. Em Los Angeles é uma das grandes empreendedora de cursos de cidadania no idioma japonês e é responsável por muitos japoneses que conseguiram a cidadania ou se transformaram em Novos Isseis ou Novos Cidadãos Americanos. Segundo suas palavras, que também possui a cidadania americana, por mais que você seja chamada a Nova Issei Nikkei, o coração sempre será japo…

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