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1974年渡米のハワイアンレストラン・ボブズ経営者・佐藤公昭さん

フィルムプロダクションの仕事をしている27歳の長男、仁虎(Nico)さんとボブズの店内で

基地の中には憧れのアメリカ

観光客として数度ハワイを訪れただけの私でも、懐かしさを感じる店がロサンゼルス郊外のガーデナにある。店の名前はボブズハワイアンスタイルレストラン。その名の通り、ボブのハワイ料理の店だ。現在の経営者は、前オーナーのボブさんから譲り受けた佐藤公昭さん(以下キミさん)。日本からの新一世であるキミさんの代になっても、店は変わらずハワイ出身者の常連客の支持を集めている。その秘密は何なのか、キミさんはどのような半生を歩んできた人なのか?

キミさんには、常連である友人の紹介で、店で一度会っていた。その時に以前は音楽業界にいたこと、しかも一時期はロサンゼルスにも拠点を置いていた小室哲哉氏の片腕だったこと、その後、詐欺に巻き込まれて家を2件失ったことなど波乱万丈な過去について知った。彼の背景についてさらに深く知りたくなった私は、営業時間終了間際のボブズで、話を聞く時間をもらった。

1958年東京港区出身。小学校高学年の頃に住んでた狛江市の隣に、調布の米軍基地があった。「当時はテレビで『フリッパー』や『パートリッジファミリー』をやっていたでしょう?テレビと同じで、基地のフェンスの向こうには芝生の庭がある家が続いていて、いいなあ、と憧れ何度かスニークインしたよ。英語もできないのに、女の子に話しかけたりしてね(笑)」。憧れから、日本の高校を半年で中退した後、アメリカの高校に進学しようと決めた。

「中小企業の経営者だった祖父が、お金のことは支援してくれました。親は、僕がやんちゃで手がかかったんで、アメリカ行きについては大賛成。行けるわけないと本気にはとってなかったと思うけどね。それで16歳の時、バーモント州の全寮制英語学校へ留学、その後でニューヨークへ行きタイムスクエアのラーメン屋でバイトをしてたんだ」。ただ当時では珍しい未成年の留学なので行く手段を見つけるのに苦労した。その後、英語学校の友人3人と一緒にニューヨークからダットサン(ブルーバード)でサンディエゴまで大陸を横断した。「カリフォルニアに来てみたら、気候は穏やかだし、日本にも東海岸より近いしで、ここがいいと、ビザも出してくれる私立のハイスクールをやっと見つけて入学することにしたよ。チャールズ・ブロンソンの息子も数学のクラスで一緒だったし、歴史の先生はモンキーズのピーター・トークソンだったのにはびっくりしたな」。


芸能界から飲食業界へ、さらに小室哲哉の片腕に

19歳でアメリカの高校を卒業し、大学に入学するも一旦、日本へ帰国。そして、アメリカで知り合った人の紹介で芸能事務所に入った。桑名正博の所属事務所に入った後、山下達郎の事務所で25歳まで働いた。しかし、人間関係に嫌気がさした頃、ハイスクール時代のバイト先だった店の寿司職人が、ハリウッドで日本食レストランを数店舗経営して成功していると知った。「よし、自分もロッキー青木を目指そうという思いでその日本人の知り合いを頼りに再渡米したんだ。皿洗いから始めて、厨房、寿司、そしてマネージャーを経験した」。

その後、小室夫人となったアーティストのKEIKOと。1999年に撮影

1988年にはラグナビーチで日本食の店の経営に乗り出した。しかし、軌道に乗ることなく、1年半後に売却。その頃、結婚して子どもも生まれていた。次の仕事に選んだのはレコーディングのコーディネーター。日本からやってくるミュージシャンのために、ホテル、スタジオ、演奏する有名ミュージシャンや有名エンジニアを手配しレコーディングを順調に終わらせる仕事である。「日本の芸能界時代の知り合いとの繋がりがあったので、生活はきつかったけど仕事は少しずつ入り出したかな」。B’z, TUBE, HITOMI, TRF, 柳ジョージ、織田哲郎など音にこだわりを持った音楽家と、クリエイティブな仕事ができると実感した楽しい仕事であった。またアメリカ進出を狙う日本のミュージシャンのマネジメント(元レッドウォリアーズの木暮武彦と元BOW WOWの厚見玲衣のバンド『CASINO DRIVE』)も手がけるようになった。さらに、1996年、偶然再会した小室哲哉がアメリカ進出するにあたり、パーソナルマネージャーを依頼され、彼がアメリカに複数持っていた会社の役員や、ハワイのレコーディングスタジオ、バリ島の不動産や別荘やスタジオの管理を務めた。小室氏が日本へ引き上げるため、2002年にはその役目が終了。

その後、新しいビジネスのパートナーになったアメリカ人に騙され、資産の多くを失ってしまった。「日本人は知り合った人を信用しやすいのかもしれない。でも、ビジネスをやるからには相手を信用しないとやっていけないでしょう?」。ボブズに通うようになったのは、その裁判中だった。寿司シェフ時代に知り合ったハワイのバンド『カラパナ』のブッキングエージェントもやっていたので、このお店にライブのポスターを貼らせてもらいに来た時にボブさんに会った。ハワイの料理も好きだったので毎日通うようになり、そうした縁でボブさんから店を譲り受けることになったんだ」。

ツアーの途中でボブズに立ち寄ってくれたカラパナのメンバーと(中央がキミさん)


ハワイ系住民にとっての大切な居場所

ボブズのオーナーになってからすでに12年が経つ。当初は、同じガーデナでも交通量の少ない一角に位置していたが、その後、現在のロケーションに移転。銀行、ホテル、ショップが集中する、いわばガーデナの中でも中心と言えるエリアだ。レストランを経営していたバックグランドを持つキミさん、「ハワイが好きな自分ならできそうだ」と二つ返事で店を買い取ったが、しかし、事はスムーズには進まなかったと振り返る。

「ハワイ系のコミュニティーは繋がりが強くて、なかなかよそ者を受け入れてはくれなかった。最初の頃は日本人の僕が何をやろうとしているのかって、常連から観察されているような雰囲気だった。そのうち、アドバイスしてくれるようになって、そういうアドバイスは素直に取り入れた。それと日本と同じで、年上の男性のことをアンクル、女性はアーンティって呼んだり、挨拶で頰にキスをしたり、そういう習慣も身につけた。メニューはボブさんのレシピで続けている。ただ1つ、冷やし中華だけは僕のレシピで追加した」。料理だけではない。ハワイアンミュージックのライブやハワイの空気を感じさせてくれるインテリアなど、ホッとできるハワイ的な空間が今もそこにある。

さて、キミさんは将来のことをどう考えているのだろう?「まず、キャンピングトレーラーで北米ツアーしてみたいな。タトゥーアーティストになる道もある。以前、日本で修行して技術は身につけているからね。どこに住むか? まだ行ったことのない国もたくさんあるし、東南アジアが好きで、特にバリ島が好きだから、移っちゃうかもね」。何事にもとらわれることなく、その時に出会って魅力を感じたことに携わってきたキミさんらしい答えだ。

最後に、アメリカ生活がのべ40年近くになる今、どういう時に日本人だと実感するかを聞いた。「例えばこの間のサッカーワールドカップ。日本人チームが他の強豪国と戦い、素晴らしい試合を見せてくれた。そこから伝わるエネルギーみたいなものを感じた時とか。あとは空手を子供に教えている時だね」。

取材している最中も、店を出入りする常連客がキミさんに言葉をかけたり、ハグしてきたりした。彼らにとって掛け替えのない居場所を守ってくれていることに対する、キミさんへの感謝の気持ちが伝わってきた。


URL: Bob’s Hawaiian Style Restaurant

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© 2018 Keiko Fukuda

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