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日系アメリカ文学を読む

第6回 『失われた祖国』

アメリカのトランプ大統領による排他的な移民政策によって、アメリカ国内の移民、マイノリティーのなかから隣国カナダへのさらなる移住を希望する人が急増しているという報道があった。アメリカより移民に寛容なカナダを好んでのことだという。

しかし、太平洋戦争開始後はアメリカと同様、いや、それ以上に日系人に対して厳しい隔離政策をとっていたのがカナダだった。太平洋岸のバンクーバー周辺の日系人は、財産を没収され、内陸部に強制移住させられた。カナダ生まれでカナダ国籍をもっていても、当時のアメリカ同様、日系人であればその権利をはく奪された。

また、アメリカでは、終戦と前後して収容所は廃止され、日系人は形式的には解放され自由になった。しかし、カナダでは終戦後4年間も、バンクーバーに戻ることが許されなかった。

こうした戦中、戦後に日系カナダ人家族が置かれた厳しい状況を物語として描いたのが日系カナダ人2世の女性作家、ジョイ・コガワ(Joy・Kogawa)の『Obasan』である。1981年に発表され、高い評価を得て、カナダ文学処女作品賞をはじめ、カナダ文学賞、そして全米図書賞を受賞した。

日本では83年に二見書房から長岡沙里の訳で『失われた祖国』として翻訳が出版され、98年に文庫化され中央公論社から出された。原題の『Obasan』は、文字通り「おばさん」のことであり、作品に登場する主人公の「おば」にあたる二人の人物に、物語を象徴させようとしたのか、英語圏の読者には意味不明でも暗示的にこうしたタイトルにしたのだろう。

コガワの実体験をもとにしたこの小説は、戦時中から戦後にかけての日系カナダ人のたどった道を背景にし、主人公の日系カナダ人三世のナオミが語る、家族についての物語である。戦争がはじまる前、ナオミの母親は祖母とともに日本に祖父母に会いにいったままになる。その後母からナオミには便りがない。一方、父親は開戦後キャンプにつれていかれる。

父方や母方の親戚に囲まれて幸せだった生活は一変し、ナオミと兄のスティーブンは、父方のおばアヤとおもに暮らす。日本で生まれたアヤは多くを語らず、差別や中傷に憤ることもなく、もくもくと人に尽くす人だった。

これに対して、母方のおば、エミリーは、国が日系人に対して行った政策の不当性と非道さに憤り、カナダ人として、戦後も国にその非を認めさせ、謝罪と補償を要求する運動を続けている。アヤおばさんの言葉が「地下深くに埋もれている」のに対して、エミリーおばさんは「言葉の戦士」だという。

ともに悲しみを背負っているのだが、その表わし方は対照的だ。ナオミは、この二人に象徴される二つの文化のはざまにいて、二人の怒りや悲しみの源に触れる。とりわけアヤおばさんの黙した頼りなげな姿を見つめている。だが、日本的なものへの敬意や慈しみがある一方で、いつも控えめにしていて我慢し、辛抱することを体で覚えていることへのわずらわしさと悲しさもナオミにはある。

物語は三部からなり、一部では、戦後27年を経て、アヤおばさんの夫であるおじの死をきっかけに、ナオミは少女時代を回想する。母親はなぜいなくなってしまったのか。その疑問は疑問のままとして残る。

二部では、エミリーおばさんがナオミの母親にあてた形で書いた戦時中の日記から、当時の日系人に対する国の政策をはじめ、大衆やメディアによる中傷、迫害の実態が明らかになる。

劣悪な環境で収容された日系人は男女別に隔離された。その理由として、「(日本)人種のこれ以上の繁殖を防ぐために」と書いた新聞があった。また、ある新聞の見出しには「彼らはカナダ人の鼻の孔に入って異臭を放つ物質である」とあったという。

そして、「長崎から届いた手紙」と題する三部で、物語は意外な展開を見せる。ナオミの目を通しての身近な人間たちの様子や移住先の自然環境、そしてときに夢の世界を通して語る心理描写とはうってかわって、どこかそれまで靄がかかっていた物語全体について、その芯をとらえたような、母についての真相が明らかになる。

物語を通し伝わってくるのは、過酷な状況のなかで生き抜いた一世、二世への敬意、家族の結束、同胞愛などだが、その根底にあるのは言うまでもなく、戦争の暴力性とそれが引き起こす、人間の心の歪みであり、戦争によって引き裂かれたアイデンティティーである。

カナダで生まれたカナダ国民であっても、「この国の日系人」と言われ、「いつ日本へ帰るのですか」と、尋ねられることもある日系人について、著者はナオミをして、切ない心の内を明かしている。

この寒々とした国に、私たちはいったいどこから来たというのだろう。ああ、カナダよ、あなたが認めようと否と、私たちはこの国で、あなたのそのふところで生まれたのです。あなたと同じ土と泥と沼と木の枝と根っこから生まれたのです。国民を雑草のように引っこ抜いて、道端に投げ捨ててしまうようなこの国が私たちの故国なのです。

ジョイ・コガワは、1935年に敬虔なクリスチャンである日系一世の両親のもとバンクーバーで生まれる。戦時中は家族とともに内陸部の旧鉱山の町に収容され、のちに別の地に強制移住させられる。

戦後は、アルバータ大学とトロント大学で学び、『Obasan』の続編として、1992年に補償運動を背景にした『Itsuka』を著しているほか、詩人としても活躍している。

(敬称略)

 

© 2017 Ryusuke Kawai

book review Canada discrimination gaman Joy Kogawa World War II

Sobre esta série

日系アメリカ人による小説をはじめ、日系アメリカ社会を捉えた作品、あるいは日本人による日系アメリカを舞台にした作品など、日本とアメリカを交差する文学作品を読み、日系の歴史を振り返りながらその魅力や意義を探る。