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日系アメリカ文学を読む

第5回 『荒野に追われた人々 戦時下日系米人家族の記録』

日系二世の女性作家、ヨシコ・ウチダは、1921(大正10)年、カリフォルニア州アラメダで生まれ、バークレーで育った。数多くの児童文学作品を残し、日本の民芸にも造詣の深い彼女が、戦時中の自身と家族の収容所体験をつづったノンフィクションが『荒野に追われた人々 戦時下日系米人家族の記録』(1985年、波多野和夫訳、岩波書店)である。

原題は『DESERT EXILE: The Uprooting of a Japanese American Family』で、1982年にシアトルにあるワシントン大学の出版部から出ている。収容所を体験した日系二世による数あるフィクション・ノンフィクションのなかの一つだが、出版されたのは、終戦から37年を経てのことだ。

本書が執筆されているころ、ようやくアメリカ政府は戦時中の日系人に対する政策の過ちを公に認め、当時の関係者への補償のための準備が進められた。しかし、すでにヨシコ・ウチダの両親のように多くの一世はこの世を去っていた。そして、本書が出版されてからほぼ10年後の1992年に著者もまた鬼籍に入った。

出版にあたって、若いアメリカ人に、さまざまな移民の活力によって栄光の歴史を築いてきたアメリカという国の歴史の一要素として、日系アメリカ人の歴史を知ってほしいというのが彼女の願いだった。それがようやく形になるまで長い年月を要したことについて、本書のエピローグでこう言っている。

<p……それは私がわれわれの監禁生活を思い出したくなかったとか、若いころの自分へのこのような内面の旅をしたくなかったからではなく、ここで述べられている言葉が、落ち着くのにふさわししい場所を見出すのに長い年月がかかったからなのである。私は、これらの言葉が、とうとうその場所を得たことを感謝している。

著者の父親は、日本では貧困のなかで育ったが、働きながら京都の同志社を卒業し、アメリカへ移住した。同じように母親も働きながら同志社で学んだ。二人は、双方を知る同志社の教師たちの勧めで文通をするようになり、一度も直接会うことはなかったが結婚、二人の娘をもうける。妹の方が著者、ヨシコだ。

父親は現地で三井物産の社員となり、サンフランシスコで白人の住む地域に家を借りて家族四人で暮らす。父は精力的に働き、コミュニティーや教会活動にも取り組み、母は他人への思いやりと気配りをもち、アメリカ社会のなかに溶け込んだ。家族は、キリスト教的な慈愛の精神をもつ一方で、日本の伝統文化や慣習を大切にした。こうした家庭環境で育った著者は、謹厳実直にたくましく新しい世界を生き抜いてきた両親を、そして同世代の一世たちを尊敬してきた。

戦争がはじまり、他の日系人同様それまでの家から強制立ち退きとなり、厩舎として使われていた仮収容所に暮らし、その後ユタ州の砂漠のなかにできたトパーズ収容所に入れられる。本書では、開戦当時大学生だった著者が、自宅から収容所にうつり、やがて奨学生として東部の大学で学ぶため収容所を出ていくまでの日々が淡々とつづられている。

劣悪な環境のなかで少しでも快適に、潤いのある生活をしようという試みがここでもわかる。一例をあげれば、残念ながら失敗に終わるが、砂漠のなかで柳の苗木を植えるなど、草木を育てようと必死になる。

また、マンザナー収容所(カリフォルニア)での“暴動”ほどではないが、ここでも日本支持の収容者による、アメリカ寄りに見える同じ収容者へ怒りの矛先を向けた暴行事件も発生する。白人の行政官寄りだとみられた著者の父へも文句がくる。収容生活が長引くにつれて、苛立ちからか不満のはけ口が同胞へも向けられていった。

収容生活のなかで著者は、読書をし美術教室へ通い、映画も観る。収容所内の学校で教師の仕事につき、熱心に子どもたちに教える。しかし、それは制約された自由の下でのことだと確信しこう言う。

たとえどんなことをしたところで、私は依然として、現実の世界の外辺に、人為的に政府が生み出した特殊社会に属していたのである。私がいたのは、眼を楽しませたり心をいやしたりするものの何一つとしてない、荒涼として過酷なながめの真ん中にある、有刺鉄線で囲まれた陰鬱でわびしい収容所なのであった。

この点について、当時の戦時転住局の収容所の長官だったディロン・S・マイヤーの次のような言葉を紹介している。

隔離は進取の精神を次第に沮喪させ、人間の尊厳と自由という生得の性向を弱め、疑心と不安と緊張とを生み出す。

二世である著者は、苦難に耐え生き抜いた一世を誇りに思い、その気持ちは世代を超えて伝えられるべきだという。収容や差別による痛手を受け耐えたことは誇りであり、決して恥じることではなく、恥じるべきは「われわれの国である」と強調する。そして、こうしたことが二度とおこならないようにするために本書を著したのだと。

だが、本書が日本で出版されるころ、日本の経済力がアメリカを脅かすという空気が広まり、日本への反感が湧きあがり、それがアジア人に対する反感や敵意や差別となって表れることへの危惧を、著者は抱いている。また戦時中のことが思い出されたのだ。

この危惧はまさに、時代を超えて抱き続けなければならないものだということを、マイノリティーや移民に対する差別や反感が容易に頭をもたげているいま、われわれは感じざるを得ない。

最後に、多くの日系二世、三世が、そのルーツである日本を訪れる機会が少ないなかで、著者は、フォード財団の在外研究員として日本で二年間を過ごし、祖先の墓参りをするなど、日本とのかかわりを大切にしている。

「私は、人里離れて樹木の中にあるお寺の墓地まで登って、祖父たちや母方の祖母の墓石に“祖先の魂をよみがえらせるために”水をかけた。また、地方を旅して、その信じられないほどの美しさを知った」と言う。

アメリカと日本への二重の帰属性に悩む一方で、二重なるがゆえの価値もしっかり受け止めている心に、私は日本人として共感を覚える。

 

© 2017 Ryusuke Kawai

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Sobre esta série

日系アメリカ人による小説をはじめ、日系アメリカ社会を捉えた作品、あるいは日本人による日系アメリカを舞台にした作品など、日本とアメリカを交差する文学作品を読み、日系の歴史を振り返りながらその魅力や意義を探る。