Escolha o seu idioma de preferência para tirar o máximo proveito das páginas do nosso Jornal:
English 日本語 Español Português

Fizemos muitas melhoras nas seções do nosso Jornal. Por favor, envie-nos a sua opinião ao escrever para editor@DiscoverNikkei.org!

マンザナーへ、そしてマンザナーから

第6回 (後編) 東カリフォルニア博物館へ

前編>>

東カリフォルニア博物館の日系史にかんする展示において、特筆すべき点は、博物館のなかにおいて一番に訪問者の目をひく、バラックの内部を再現した展示です。

このバラックの床には、ところどころに、ブリキ缶の側面を平べったくしたものが、床に打ちつけられていました。これらは、当時のバラックが、粗悪な材木と、タールを塗りつけた紙だけで造られていた為に、すきま風や、すきま風とともに入ってくる砂を、防ぐためのものでした。

今でこそ、全米日系人博物館をはじめ、各地の博物館などにおいて、収容施設の内部を再現する展示が見られるようになりましたが、東カリフォルニア博物館は、バラックの内部を展示として活用した、最初の博物館のひとつなのです。

また、実際に当時の人々が使った家具や、野球のための用具などが、数多く展示されていることも、私にとっては、とても印象的でした。

なかでも、最も日系人らしいと、私が思ったものは、収容された日系人によって作られた机です。戦争が終わって、まもなく70年が経とうとしていますが、その机の保存状態はとてもよく、まるで新品のようだったからです。この机を通して、日系人の手先の器用さという、“ジャパニーズ・エスニシティ”(日本、日本人の民族性)において大切なことを見い出すことが出来るからです。

また、展示されていた、手製の杖にも、“ジャパニーズ・エスニシティ”を見い出すことができます。当時の日系人は、流木など、身のまわりにある木材を集めては、杖のかたちに削り、色を塗り、小刀などを使って文字を彫り、相手にたいして敬意を示す為に、杖を贈る習慣がありました。この杖には、収容生活を送りながらも、自らのアイデンティティー-年長者や、日系社会に多大な貢献をした人々に対する、尊敬や感謝の気持ちを表す-を死守するという、日系人の強い意思(そして、意志もふくめて)を見い出すことが出来るのです。

私の一番のお気に入りは、日系人のある男性によってつくられた、汽車の模型です。この汽車は、HOゲージほどの大きさで、ブリキ缶や針金をうまく組みあわせて作られています。私自身、鉄道が好きなので、あまりの出来のよさと、その格好良さに、モーターと電球をつけて、改造して走らせたいなとおもったのは、ここだけの話です。

収容施設という、食料だけではなく、資源も限られていた状況において、日系人は、手に入れられるものを活用し、必要なものを、自分たちの手で“創った”のです。“ジャパニーズ・エスニシティ”、において大切とされることを、東カリフォルニア博物館の展示を通して、私は学ぶことが出来ました。

また、東カリフォルニア博物館のように(そして、全米日系人博物館も同じく)、日系史を扱っている博物館の展示物の多くは、当事者である日系人によって、寄贈されたものが多くあります。「日系人は、自らの歴史を大切にしている」、ということを、私は、改めて実感しました。

3つの展示に目を通し終えたところで、ポーターさんが、ボロボロになった本を持ってきました。それは、マンザナー仏教会によってつくられた仏教徒年鑑でした。

マンザナー仏教徒年鑑は、マンザナーが閉鎖される直前の、1945年の5月に発行されました。この頃になると、多くの日系人が、仕事や教育の機会を求めて、カリフォルニア州以外の場所に生活の場を移すようになっていきました。それと同時に、忘れてはならないことですが、なかには、ツール・レイク(隔離収容施設)に送られ、さらなる収容生活を送る人々もいました。

この仏教徒年鑑には、マンザナーで生活をしていた4,000人以上の人々の名前がおさめられていました。そのなかには、亡くなった人々、出征していった人々、そして、マンザナーで生まれた三世の人々の名前も収められています。マンザナーという「限られた空間」に、4,000人以上もの罪無き人々が、“囚われの身”になっていたことを考えると、私は今でも悲しい気分になり、涙が出そうになるだけではなく、背中のあたりがぞっとするのを感じるのです。

そのことはともかく、ポーターさんは私に言いました。

「これをね、英語にしてほしいの。いろいろな人のデータがあるけれど、日本語で印刷されているものだから、誰かに英語にしてほしいの。あなたが来たので、それをやってもらえないかなと思って」

私は、すぐに首をたてに振って、このプロジェクトをやることを決めました。以後、私は、東カリフォルニア博物館が開いているときは、仏教徒年鑑の英訳作業をおこない、それ以外の時間は、マンザナーの資料館において、実地調査や、来訪者のサポートをしました。

実習期間の大半を、仏教徒年鑑の英訳に費やしたため、マンザナーでの実地調査や、訪問者と対話する機会が、限られてしまったことは、残念なことでした。しかしながら、仏教徒年鑑という、「日系史における第一次史料」を取り扱う機会を得たことは、その後のわたしの日系史研究への、大きなステップとなりました。

参考リンク
1.東カリフォルニア博物館(英語)
URL: http://www.inyocounty.us/ecmuseum/

2. 東カリフォルニア博物館友の会(英語)
URL: http://www.fecm33.org/

3. NHK クローズアップ現代 GAMANの芸術~日系アメリカ人 尊厳の世界~ (2010年11月11日放送分)
URL: http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2963

© 2011 Takamichi Go

East California Museum history internship manzanar

Sobre esta série

2002年にアメリカへ留学し、『さらばマンザナール (原 題:Farewell to Manzanar )』との出会いで、日系史に目覚めた郷崇倫(ごう・たかみち)氏による、コラムシリーズ。自身の体験談を元に、日系史について語ります。

(* Signature image from Wikipedia.com by Daniel Mayer. )