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日系二世の建築家、ミノル・ヤマサキの「人生の記録」 ー飯塚真紀子著「9・11の標的をつくった男」ー

ロサンゼルス在住のジャーナリスト、飯塚真紀子さんが2010年8月に上梓した新著「9・11の標的をつくった男」(講談社)は、人の関心を引き付ける刺激的なタイトルだ。「9・11の標的」とは言うまでもなく、2001年9月11日に同時多発テロで倒壊した世界貿易センタービル(以下WTC)を意味する。そして、そのWTCの建築家が日系二世、ミノル・ヤマサキであり、同著の主人公なのである。

ミノル・ヤマサキさん(写真提供:近藤惠作)

ヤマサキは1912年、シアトルのスラム街で、富山から渡った一世の両親のもとに生まれた。人種差別を受けながら、父は靴屋の倉庫係として、また休日はチョコレート工場の掃除夫としても身を粉にした働き、息子をワシントン大学へと進学させた。

両親の口癖は「日本人だから、仕方ない」だった。貧しい暮らしも日本人だから、裏方の仕事にしか就けないのも日本人だから、という具合に。

夏休みの間は学費捻出のためアラスカの缶詰工場で働きながら、ヤマサキは優秀な成績を修め、34年、建築学士として卒業した。建築を選んだのはカリフォルニア大学で建築を学んだ叔父・公顕の影響である。

本来ならば、建築関係の職に就くところだが、日系人のヤマサキにとってそれは至難の業だった。彼よりも成績が下位だった白人の同級生が次々と就職していくのを横目に、西海岸よりも人種差別が少ないというだけの理由で、ヤマサキはニューヨークに向かう。そこでやっと得られた仕事は、日本の陶器を扱う貿易会社での梱包係だった。

彼が父親のように「日本人だから仕方ない」と建築の道を諦めていたら、その後の彼の成功はないし、WTCもまったく違った建築物になっていたはずである。ヤマサキは諦めることなく、建築部門のデザインコンペへの入選や夜学の大学院進学を経て、大学を卒業して4年後に、念願の設計事務所に入所する。そして1年後、エンパイヤステートビルの設計で知られる大手の建築事務所に移り、才能を大きく開花させ、業績が認められていく。さらにデトロイトの有名事務所に籍を置いた後、1949年、遂に独立を果たすのである。

その後のヤマサキの建築家としての名声はうなぎ上りだった。シェル構造のセントルイス空港、議論の的となったレイノルズ社の社屋などで一流建築家として認められたヤマサキは、デトロイトのレストランに入れば拍手で迎えられるほどの地元社会の顔になった。そしてWTCの建築家に選ばれた1962年には、まさに絶頂期を迎えていた。

著者の飯塚真紀子さん  (撮影:Ryuichi Oshimoto)

本作では、ゆかりの土地や人々を訪ね歩いた飯塚さんが、これまであまり知られることのなかった彼の素顔を丹念に浮き彫りにすることに成功している。著者としてヤマサキのどのような点に魅かれたかを聞くと、飯塚さんは「今の日本にはいない、昔の日本男児のような破天荒な生き方」と答えた。

「決してスマートではないが、ストレートに感情をぶつける人間臭さ。今の時代、なかなかカリスマ性を感じさせる人はいないが、彼には所員がついていきたくなるようなマグネティックな強さがあったと思う。その強さは、建築に対するヤマサキ自身の情熱から来ているのではないか。妥協を許さず、自己犠牲を払ってまでも突き進んで行く姿勢にも心打たれた」

同郷の先輩である飯塚さんと交流がある私は、この本を執筆中の彼女から「書き上げたいけれど、雑誌の仕事が忙しくなかなか完成までこぎ着けることができない」と聞かされていた。そして、取材執筆に7年かけた後、出来上がってみて初めて、「9・11の標的をつくった男」というタイトルを知り、冒頭に書いたように「よくぞ、ここまで絶妙なタイトルをつけたものだ」と感心した。

残念なことに、日本に住む日本人の興味は、同胞である在外日系人に向けられることが少ない。しかし、この「9・11の標的」というキーワードを入れることで、多くの人が注目することは間違いない。きっかけが「9・11」であったとしても、人々がこの本を手に取り、結果的に日系人建築家、ミノル・ヤマサキの卓越した能力と魅力的な人間性を知ることになれば、タイトルの作戦勝ちと言えるのである。

WTCも既になく、ヤマサキ自身も1986年に他界しているが、彼の情熱的な人生の記録がこうして1冊の本に残されたことを心から祝福したい。

 

© 2010 Keiko Fukuda

architect Makiko Iizuka Minoru Yamasaki nisei WTC