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二つの国の視点から

ジャニス・ミリキタニ~言葉の力を信じて、奉仕活動を続ける詩人-その1

日系アメリカ人には、珍しい苗字の人が結構いる。先祖を辿ると、広島、和歌山、熊本、沖縄などの地方出身者が多いためだろう。以前、このコラムでとりあげたゴタンダもそうだが、ミリキタニも、私は今まで日本でその苗字の人に出会ったことがない。

ジミー・ミリキタニ 「ミリキタニの猫」DVD

2006年に東京映画祭で、日系2世画家、ジミー・ミリキタニの人生を描いたドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」が上映され、「日本映画・ある視点」部門で最優秀作品賞を受賞した。その後、あちこちで上映されたので、この苗字がいくらか日本に浸透したかもしれない。漢字で書くと「三力谷」であることを、私はこの映画で知った。

この映画のタイトルを見たとき、まず私の脳裏に浮かんだのが、日系3世の詩人、ジャニス・ミリキタニのことだった。ジミーと彼女の間には血縁関係があるのではないか、と。

その疑問は映画を見て直ちに解消した。この映画は、アメリカ人の監督、リンダ・ハッテンドーフが、ニューヨークで路上生活をしていたジミー・ミリキタニに声をかけるところから始まる。2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ事件の影響で、夜の路上には人がいなくなり、ジミーが一人取り残された。それをみて、監督は自分の家にジミーを住まわせることにした。

作品のなかで監督は、ジミーとの共同生活をとおして、ジミーが戦争中に強制収容所に入れられていたことなど、少しずつ彼の過去を知っていく。その後、ニューヨークタイムズ紙にジャニス・ミリキタニが、自分が幼少のころ日系アメリカ人強制収容所で生活したこと、そして、テロ事件の後、アラブ系アメリカ人が第2次大戦中の日系人と同じ扱いを受けないか心配だと話しているという記事が掲載され、リンダはこの珍しい苗字を見て、ジミーとジャニスが縁戚関係にあるのではと直感した。ジミーに聞くと、ジャニスのことは知らないが、ミリキタニ・ファミリーはすべてつながっているという。そこでリンダは、サンフランシスコに住むジャニスに手紙を書き、ジャニスは返信に自分の詩集を添えてそれに応えた。

ジャニス・ミリキタニ 『We, the Dangerous』

ジャニスからの返信で、彼女の父、テッド・ミリキタニはジミーの従兄弟であることがわかった。早い機会に一度ジミーに会いたい、とも書かれていた。リンダは、同封されていた詩集に、収容所の詩があることを見つけ、その詩を朗読してジミーに聞かせている。『We, the Dangerous(我らは危険な人物)』という作品集に収められている「CRY」という詩で、戦時中、ツーリレーク収容所で埋葬された10人の子供たちと、彼らの記憶を留めるために石碑を建立した、西北アジア系アメリカ人社会の芸術家と活動家に捧げられた作品である。長編の詩なので、以下、冒頭の部分のみ。 


叫び
 ベビーベッドにナイフがある
 砂漠の風の刃が
 母の子宮のへその緒を切り裂く
 のどの回りの砂ぼこり
 松原さんの赤ちゃん、テツノ・キヨノさん
 山本さんの赤ちゃん
 石碑が語ることを
 私たちは決して忘れない

映画の最後、クレジットが出始めてから、邂逅したジミーとジャニスが「ミリキタニ・パワー!」と叫ぶ。その場面がとても印象的だった。ホームレスの支援をしているジャニスにとって、路上生活をしていた親類に会うことは因縁めいたものがあるし、自分と同じく創造的な道を追求しているジミーは誇らしくもあっただろう。

『Shedding Silence』

映像に映るジャニス・ミリキタニを見たのはこの映画で2度目だった。一度目は、もう10年以上前になるが、サンフランシスコにあるアジア系アメリカ・メディアセンター(CAAM)で、「Why is preparing fish a political act?(魚を用意することがなぜ政治的行為なのか?)」というドキュメンタリー映画を見せていただいたときのことである。1991年に製作されたこの記録映画は、ジャニス・ミリキタニを描いた作品で、タイトルは、彼女の同名の詩からとられている。このユニークな題の詩は、『Shedding Silence(沈黙を脱して)』という詩集に収められており、映画で彼女自身が朗読している。以下、抄訳。

魚を用意することがなぜ政治的行為なのか?
 祖母の手が
 魚を洗い 鱗を落としている
 内臓、卵、頭
 どの部分も使う
 包丁は 柄のネジが錆び
 彼女の皴になった指のように古い
 鍋はへこみ 古くなり 黒ずんで 
 汚れている (中略)
 かつてある人が彼女にアルミ製の鍋を売ろうとした
 微笑を過大に浮かべ 彼女を
ママサンと呼んだ
彼女の沈黙は
熱くなった醤油よりも濃く
魚の頭と一緒にゆでた筍よりも白い
魚を用意することは 政治的行為なのだ

彼女の祖母をママサンと呼び、アルミ製の鍋を売ろうとしたのは白人であろう。それに対する沈黙、それ自体が抵抗であり、政治的行為だということなのだろう。

ジャニスの祖母や母の世代は、差別に対して沈黙してきた世代である。だが、1980年代になって、沈黙していた2世たちがようやく、強制収容所のことを語りはじめる。これには、沈黙をよしとしない3世たちの働きかけがあったことは間違いない。1942年にカリフォルニア州で生まれた3世のジャニスは、ほどなくして収容所に入れられたが、幼少だったため、収容所の記憶はほとんどない。だが、彼女は詩という手段を用いて、1世、2世たちの補償・賠償運動を後押しした。

母が語った収容所体験を詩に

1981年、ジャニスの母も40年の沈黙を破って、日系人の戦時収容について公聴会で証言した。その証言記録をもとに書かれたのが、ジャニスの「Breaking Silence(沈黙を破る)」という詩である。彼女の第2詩集『Shedding Silence』に収められて以来、後に続いた『We, the Dangerous』にも『Love Works』にも収録されている。それだけ、彼女にとって大切な作品なのだろう。母の声を発見することで、自分自身も発見できたと、ジャニスは『Love Works』の冒頭で述べている。以下、その一部を試訳。

『Love Works』

沈黙を破る
 軍の最高責任者よ、
 私の時間はもうないから座って黙っていろと
 あなたに言われたら、私は言う
 誇りが私の唇に釘を刺し
 私の怒りを封じ込めてきた
 でも 自分の過去を白日の下にさらし
 今回は主張する
 私の青春はローワー収容所に埋められた
 おばあちゃんの亡霊はアマチ収容所を訪れ
 姪はツーリレイク収容所をさまよう
 涙よりも言葉が上等
 だから私は言葉を吐き出す
 この、沈黙を 殺す…

他にも、「Lullaby」「 Crazy Alice」「 We, the Dangerous」など、収容所を扱った詩がいくつかある。「We, the Dangerous」は、詩の題が彼女の第3詩集のタイトルにもなっているが、インターネット上の動画共有サービス、YouTubeを見ると、1999年にミリキタニがサンフランシスコ市からLifetime Achievement Awardという賞を受賞したときの映像がアップされており、そこで、Genevieve Leeという若いアジア系の女性がこの詩を朗読している。

朗読の後で、ミリキタニが受賞スピーチをしており、演説の最後で、彼女は自分の娘に向けて、「沈黙を破り、自分の人生をうたいなさい」という強いメッセージを投げかけている。詩情豊かで説得力のある彼女のスピーチに私は感銘を受けた。是非、皆さんにもYouTubeで聞いていただきたい。

その2>>

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第9回目からの転載です。

© 2010 Association Press and Tatsuya Sudo

Janice Mirikitani literature poet

Sobre esta série

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。