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メキシコの有名現代画家 ルイス・ニシザワ

周知のように、ルイス・ニシザワ氏は、メキシコが世界に輩出した卓越した芸術家のひとりである。父ケンジ・ニシザワから日本のルーツを、母マリア・ デ・へスースからメキシコのルーツを受け継ぎ、1918年2月2日にメキシコ州クアウティトランで生まれた。幼年時代は自然と触れ合うことが多く、それが 後に彼の作品へ強い影響を与えることになる。

1925年、家族でメキシコ・シティへ引っ越す。そこで、宝石屋で働きながら、ロドルフォ・ハルフテルの下、音楽を勉強した。そして、1942年 に、アルフレッド・サルセ、フリオ・カステジャーノ、ベンハミン・コリア、ホセ・チャベス・モラードなどの有名な芸術家が教鞭を取っていたサンカルロス芸 術院に入学。入学後5年して、造形美術のマスターの称号を授与される。そして、1955年から、国立造形美術学校で教員としてのキャリアをスタートし、現 在もそこで勤務している。

他方で、芸術家として活動を始めた当時、ナショナリズム的感情表現の追及を主な特徴としていたメキシコ美術学校に所属していた。しかしながら、ニシ ザワ氏はたった一つの美的傾向に傾くことなく、表現主義から抽象主義・具象主義に至るまで他のスタイルや絵画の流れを探求していった。

メキシコ人と日本人という二つのルーツの結合が、表現力に富んだ形式と豊かな色彩に満ちた彼の作品のきわめて重要な特徴をなしてきた。こうした要素は、壁画、画架、デッサン、陶芸、ステンドグラスや彫刻などの多様な手法によって表現されてきた。

"Camarones" 1987, mixta. 54 x 116 cm (Luis Nishizawa)

その卓越した才能ゆえに授与された表彰の中でも、メキシコ国立自治大学の名誉賞と国家芸術賞は特に際立ったものである。また、ニシザワ氏は、日本政府から勲章である瑞宝章を受章した。現在、メキシコの芸術学院とCONACULTAのメンバーも兼ねている。

ここで、日墨協会会長のイサオ・トダ氏が行ったインタビューを紹介しよう。

ある月曜日の午後、日墨協会のトダ氏と代表者たちが、コヨアカンにあるニシザワ邸に訪れた。

その日の約束は何日も前に申し込んだ。というのも、UNAMの授業やプレゼンなどで先生が多忙でいらっしゃるからだ。特に、日中、明るいうちは多く の時間を絵画の創作に費やされるため、先生の活動を邪魔しないよう、夜7時に訪問することにした。ベルを鳴らすと、二階の窓から、先生は親切そうに顔を覗 かせ、我々だと気付くと、ご自身で我々を迎え入れるために、降りてこられた。

"Autorretrato" 1965, mixta. 71.3 x 49 cm (Luis Nishizawa)

心のこもった歓迎を受けた後、我々のインタビューが始まった。

トダ氏: 「どのようにして先生は絵を描くことが好きになったのですか」

ニシザワ氏: 「幼い頃から、自然と触れ合う生活をしていました。当時、農場を経営していた父に、牧草地へ家畜を連れて行くように言われたことを覚えています。私はその 手伝いがとても好きだったんですよ。というのも、日の光によって、様々な色が変化していく様子を見れるからです。雨季には、空の青い色が映った水溜りが変 わっていく様を見ることができました。生まれてしばらくしてから足を生やし、尻尾を失い、その後、水溜りから消えていくオタマジャクシの生命の始まりのす ばらしさをじっと見つめたりしていたものです。さらに、幼い時から絵を描くのが上手なことを自分で分かっていたので、こうした幼い時の経験が、その後、両 親の支えによって、このキャリアを選ぶことを自分に決めさせたのだと思います」

トダ氏: 「では、メキシコ・シティでの先生の少年時代はどのようなものでしたか」

ニシザワ氏: 「今ではクアウティトランに合併したサン・マテオという集落から引っ越して来ました。当時はメキシコ・シティへ汽車で旅をしたものです。我が家は、当時か ら『荒れた地区』であったテピートのコロ二ア・モレーロスにあったんですよ。何度か不良グループに追い回されたことがあったんですが、なぜかは分からない んですが、いつも怪我させられることなく済みました。何回かは、不良グループのリーダーが、「行かせてやれ」と他のメンバーに言ったので、何事もありませ んでした。

その当時、いつも絵ばかり描いていました。それに気付いた両親は、その後、絵画の分野で初歩を身に付けるように援助してくれましたが、その前に、私 は職人として金の線状細工の仕事をしていました。仕事が終わると、姉がピアノの授業を受けていた高等音楽院に行ってたのですが、幸い、私がサンカルロス芸 術院に入学できるよう、その学校で中等教育を終わらせる便宜をはかっていただきました。中等教育を終えると、サンカルロス芸術院に入りました。

生活は貧しくとも、幼年期、思春期、そして、青年期の初めを、私はとても幸せに過ごしたと言えるでしょう。小さい頃から、孤独が好きで、歩くことも 好きだったので、一分おきに変わっていく色彩と生命によって、私を驚かせてくれる風景を長い間眺めるために、よく丘に登ったり、街の外れに行ったりしたものです」

"Los Frailes" 1997, suiboku. 94 x 185 cm (Luis Nishizawa)

トダ氏: 「では、学生として、また、画家としての経験は、どのようなものでしたか」

ニシザワ氏: 「メキシコ壁画運動の巨匠たちと知り合い、彼らと交流することができて、私はとても恵まれていたと感じます。また、絵画の巨匠である藤田嗣治氏やイサム・ ノグチ氏、北川民治氏と知り合う機会もありました。利根山光人氏や、列挙するにはあまりに多すぎるほどの数の他の日本の芸術家とも交流がありました。

画家としての最初の数年間は、自分の作品を公表するために、いかなる機会も利用しました。そうして、いろんな集団展示会、ビエンナーレに参加しまし たが、そうしたイベントの最高に楽しかった思い出や展示会を開いてくれた機関や主催者に対する感謝の気持ちは、今でも忘れることはありません」

トダ氏: 「最後に、先生の幅広い作品について、伺いたいのですが」

ニシザワ氏: 「自分で描いてきたものは全部好きです。壁画主義では自分でいろんなテーマを展開できる規模の大きさが好きですね。キャンバスに描いた作品では、抽象絵画 を描いてきた時期のもの、水墨画や具象絵画、表現主義、風景主義を描いていた時期の作品などが好きです。要するに、人生についての私の考えや見解の答えと して、描いてきたものは全て好きなんですよ」

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このように、インタビューは終始和やかに行われ、日墨協会での会食の約束を持って終了した。

*Artículo publicado originalmente en el Boletín Informativo Nichiboku Kyoukai, de la Asociación México Japonesa, A.C. Nº 132, Volumen XIV, julio de 2008

© 2008 Isawo Toda

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