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腰かけブラジル日系社会体験記

第1回 しょせん腰かけの辞

連載タイトルの由来からはじめることにしよう。話は少しだけ遠いところからはじまる。

高名な民俗学者と付き合いのあった出版社の主人が書いたエッセイ集を読んだことがある。『本屋風情』というタイトルがその本につけられた理由が、確かその巻頭の一文に記してあった。かなりあやふやだが私の記憶の中には、こんな話になってしまいこまれている。

その大先生に何か出版の計画があるというので主人は料亭に呼ばれる。主人を呼んだのは大先生本人ではなく弟子か何かである。料亭に着いて部屋に近 づいたところで先に話を始めていた御一同の声が聞こえ、もうすぐ呼んである本屋の主人が到着するという報告とそれに対する大先生の不興げな「本屋風情 が!」というやり取りが耳に入る。主人ははっとするが、その後なるほど自分は一介の本屋だと得心する。自分の本屋としての見聞を本にまとめることになり、 ほかに適当なものはないと題名に戴く。

そんな言われ方をして愉快なはずはないだろうと思うし、それをわざわざ本の題名に採用し、大先生の嫌なところをそれとなく世間に知らせることで意 趣返しをしているようにも取れるのだけれど、いきさつを記す文章はどこまでもさわやかだった。読み手の私はといえば、大して売れもしない本を心意気で出版 してきた主人には学者たちと二人三脚でひとつの学問を支えてきたという自負もあったろうにと思え、こんな邪慳な言葉は不当だと代わって文句を言ってやりた いような気持になったものだ。だから主人が、この一件にある種の爽快さのようなものすら感じ、それを読者に伝えようとしているらしいことを素直に受け止め ることはできなかった。

それが最近似たような経験をして、と言ってしまうと本当にそうだったろうかと多少心配になるのだが、とにかくある人とのやり取りのなかで、ドキリ とさせられる一言が私に向けて発せられた後、頭に浮かんだのはこの逸話だった。本屋の主人が感じた気分、それを堂々と本の題名にしてしまおうという発想は こんなものだったのかもしれないと思い当たった次第である。「本屋風情」は、私の場合「腰掛け」に当たる。

ものごころつくかつかない頃、その人は日本からブラジルに来たのだという。もちろん両親に連れてこられたわけだ。家ではずっと日本語だったので、学校に 上がってポルトガル語で苦労した。なんとか勉強して高等教育を受け、これまでブラジル人として立派にやってきた。ブラジル社会でも「成功」したと言えるだ けの実績もある。移民した人たちの経験に関心があるという私にそんな話を聞かせて下さっていた時だった。ところであなたブラジルどのくらいになるの?とい う問いに、もうすぐ3年になります、と答えた後の、いつまでいるの?、という質問に、あと1年ですと応じたところで返ってきたのが、あらまあそれぢゃあ腰 掛けねえ、だった。

少年少女時代に来た移民者の経験というのは、自分の意志で来る場合とはまた違って複雑なものだという。それまでにも似た境遇の話を聞いたことが あった私は、その人の苦労話がよく理解できるところがあったと思うから、よい聞き手だったはずだ。いい雰囲気の中で、お互いの信頼関係も成立し、移民の嘗 めた苦労を分かち合っているように思えた。「腰掛けねえ」はそういう「勘違い」を一言でただし、いい気になっていた私の首筋は一瞬ひんやりなった。

表情も強張っていたに違いない私がその時にどう答えたか忘れてしまったが、それを言った本人の表情に悪意がないことが同時に見て取れたことで、案 外あっさりと気を取り直し、というよりは開き直ってその場にいた。しかし「腰掛け」のレッテルが貼られた以上、それまでのような会話は弾まない。わずか数 年しかブラジルにいない人には、移民の経験はちょっとやそっとのことでは伝えられません。それは困難でもあるし、そう簡単に解った気になってもらっては困 ります。あなたがどういう人か確かめないで話をしてすまなかったわね。悪意はなくてもどこか気の毒な相手を眺めるような微笑の前に、その半生の物語は中途 で打ち切りとなった。

「腰掛け」と断定されたことで、一応移民の歴史に真面目に取り組んできたつもりの私は、もっと嫌な気分になってもよかったのかしれない。移民の歴 史や日系社会のことを知りたいなどという奇特な日本人がほかにどれだけいるというのだろう。それを実地に係わる年数が短いとわかったからといって(そもそ もそんなに短いのか!)、急によそよそしくするとは心が狭い。そんな風に感じてもよさそうなものだと今思えば思わなくもないのだが、その時も今もそんな気 持ちからは遠い。

「本屋風情」が学者のサークルから本屋を排除する言葉だったように、「腰掛け」は、あなたとわれわれ移民とは違うという強烈なメッセージだ。そこ で怒ったり、不快になったり、悲しんだりしてもはじまらない。本屋の主人もそこで開き直ったに違いない。いっしょではないのだ。仲間に入れてもらう必要も ない。はっきりと壁があることを突き付けられて見ると、爽快感らしいものが確かに私にも来た。自分の位置を明確にしてくれたこの一言を、エッセイのタイトルにでもしてみたい気にもなった。

ひょんなことからブラジル日系社会にかかわるようになったものの、ではブラジルに居を移すかと言われれば今のところその気はない。そんな私はブラ ジル日系社会から見ればどこまで行っても腰掛けだ。腰掛だからこそわかること―そんなものがあるのかどうか本当は知らない―をここでは書いてみようと思 う。ブラジル日系社会というのがどんなもので、どんな歴史があったのか。この作業はたぶん、日本人の私がなぜブラジル日系社会や移民史に関心を惹かれるの かを考える作業になるだろう。

© 2008 Fumihito Haga