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asami kitchin

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Created by: team-nikkei-usa

asami kitchin の外観、中、お弁当各種


 

7 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: 青木・ジューン・美智子(ジューン・ミチコ・アオキ)さん

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日本の学校で使用する教材作成のために、全米日系人博物館でボランティアガイドをしている帰米三世の青木・ジューン・美智子さんにインタビューをしました。初めて出会ったその日、二世ウイークパレードで躍る音頭「WAになって躍ろう」の練習に誘ってくださりました。日本の故郷は和歌山だそうで、「さば寿司」もご自身でおつくりになる腕前だそうです。


 

5 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: ヘンリー・S・ヤスダ さん

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日本の学校で使用する教材作成のために、全米日系人博物館でボランティアガイドをしているヘンリー・S・ヤスダさんにインタビューをしました。第二次世界大戦開戦時には日本にいて戦後アメリカへ戻り、アメリカ軍として朝鮮戦争へ。日米の狭間で苦しんだ二世の想いを語ってくださりました。山口県人会の活動にも勢力的に取り組んでいるそうです。


 

4 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: サトウ シノブ(佐藤 しのぶ)さん

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日本の学校で使用する教材作成のために、ハワイ州ヒロのHawaii Japanese Centerでボランティアをしているシノブ・サトウさんにインタビューをしました。92歳まで地元放送局でアナウンサーとして活躍していただけあって豊富な昔語りをしてくださりました。日本語学校での「修身」の教えを今でも覚えていらっしゃいます。


 

3 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: トモエ・ニシ(西ともえ) さん

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日本の学校で使用する教材作成のために、ハワイ州ヒロのHawaii Japanese Centerでボランティアをしているトモエ・ニシさんにインタビューをしました。大好きだった日本語学校の思い出、真珠湾攻撃時の大砲の音、ハワイ100大隊から442部隊の一員として活躍したお兄さんの話、日本の敗戦を知って泣いてしまった時のことなどを語ってくださりました。


 

1 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: ソウジロウ・タカムラ(高村總二郎) さん

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日本の学校で使用する教材作成のために、ハワイプランテーションビレッジでボランティアガイドをしているソウジロウ・タカムラさんにインタビューをしました。真珠湾攻撃時の体験、三兄弟が日米に分かれて従軍することになってしまった悲劇、戦後のGHQでの活動などについて語ってくださりました。プランテーションビレッジで日本からくる若者にたくさんのメッセージを伝えています。


 

8 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: 吉永道也ジェイムスさん

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日本の学校で使用する教材作成のために、全米日系人博物館でボランティアガイドをしている吉永道也ジェイムスさんにインタビューをしました。8歳から23歳まで日本に滞在し、戦後帰米しアメリカ陸軍で2年間を過ごされました。率直に語られる言葉が印象的です。 >> インタビュー記録の印刷 (PDF) © 多文化社会米国理解教育研究会


 

2 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ:  2 エド・イチヤマさん

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日本の学校で使用する教材作成のために、ハワイ在住元442部隊のエド・イチヤマさんにインタビューをしました。真珠湾攻撃後、三兄弟が日米にわかれて従軍することになってしまった悲運を語ってくださりました。「戦争で何千もの若い兵士がこの世を去りました。何千もの母親たちや残された家族は凍りついたような感情を長くもち続けなければなりません」という言葉が強く印象に残っています。


 

asami kitchin のお弁当 その2

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2007年8月撮影(ハワイ島ヒロ) スパムむすび、おにぎり、筑前煮、魚のフリッター、コロッケ

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asami kitchin (Item 3 of 4)
Collected by: team-nikkei-usa


 

asami kitchin のお弁当 その1

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2007年8月撮影 スパムむすび、おにぎり、コロッケ、春雨炒め、鶏肉の甘辛煮

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asami kitchin (Item 4 of 4)
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asami kitchin

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2007年8月撮影(ハワイ島ヒロ)

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asami kitchin (Item 1 of 4)
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パサデナセミナー

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2008年8月30日、JACCにて ハワイのサトウキビプランテーションで働いた移民労働者が着た農作業着身につけた参加者


 

全米日系人博物館 - 夏のイベント: Courtyard Kids

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全米日系人博物館では、毎年二世ウィークの週末に、Courtyard Kidsという家族を対象にしたイベントを行っています。 ボランティアの帰米3世のジューン・アオキさん(蛙Tシャツ)と参加者たち 写真提供: 多文化社会米国理解教育研究会

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7 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: 青木・ジューン・美智子(ジューン・ミチコ・アオキ)さん (Item 3 of 8, “全米日系人博物館でボランティア”)
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62歳からこの博物館でボランティアをしています。写真を撮るのも旅行をするのも好き。キルトも習い始めました。仕事をしているときはそんなチャンスがなかったので。


 

おふくろの味: なれずし

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帰米3世ジューン・ミチコ・アオキ(青木美智子)さん手作りのなれずし。 写真提供: 多文化社会米国理解教育研究会

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7 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: 青木・ジューン・美智子(ジューン・ミチコ・アオキ)さん (Item 7 of 8, “おふくろの味”)
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母が生きているときは毎日日本食でしたけれど、今はリトル東京に来た時にお弁当を食べるくらいです。和歌山出身なので母から習ってさば寿司もつくれますよ。冷やしそうめんやざるそば、パスタなどの麺類が好き。お正月にはおせち料理もつくります。和歌山の御坊で有名な「なれずし」も好きです。  うちの「おふくろの味」は、和歌山出身なのでさば寿司です。「茶がゆ」はおばあちゃんの時代から。その他は肉じゃが、かぼちゃの煮物など。  1年前に母の法事で和歌山へ行った。4月に母のお骨をもって京都へ。おばさんが日本にいるので、元気な間に帰りたい。  


 

尋常小学校修身書

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尋常小学校修身書 (第二期 国定修身教科書) 初版 明治43年3月 文部省 戦前、二世らは修身の教育を受けた。 写真提供: © 多文化社会米国理解教育研究会

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4 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: サトウ シノブ(佐藤 しのぶ)さん (Item 4 of 5, “今でも忘れない修身の教え”)
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私たちの時代には修身がありました。日本も変わったでしょうが、ここも親孝行といっても日系の人はわからないのです。自分から就職したら親と同居することもないのです。私たちの間では修身がないからだなんて言っているのです。人には親切に、正直であれという教えは頭から離れません。修身は本当にいいことばかりでした。私は正直だからこうして仕事もやってこれて、みなさんに感謝しているんです。こちらでも今は正直ということがわからなくなっています。泥棒や殺人などの凶悪犯罪の報道を聞くと本当にいやになります。昔は日本語学校もありましたし、教育勅語を覚えなかったら帰してもらえなかったんですよ。公立学校を14時に終えてその後に1時間日本語学校に通ったのです。とっても厳しい先生で家でも何度も何度も練習しました。その先生はお寺のお坊さんと教員を兼ねていた人です。


 

灯籠

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ハワイ ホノルル市内 二世エド・イチヤマ邸の庭にある灯籠 写真提供: 多文化社会米国理解教育研究会


 

日系床屋家屋

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ハワイプランテーションビレッジ内に保存されている日系床屋家屋にて 中山京子撮影

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1 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: ソウジロウ・タカムラ(高村總二郎) さん (Item 5 of 6, “ハワイのプランテーションビレッジでボランティア”)
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今はハワイのプランテーションビレッジで日本からのお客さんにボランティアでガイドをしています。日本の若い人たちの中に同じアジアの国や人に対して軽んじている雰囲気をたまに感じるの。おかしいね。ハワイでは肌の色もいろいろあり、ルーツもいろいろだけれどみんな平等。


 

国立太平洋記念墓地 「パンチボウル」

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ハワイ、オアフ島  国立太平洋記念墓地「パンチボウル」にて 「パンチボウル」はアメリカ軍に従軍し、戦死した兵士らを称えるために創設された。 ここには、第2次対戦中に活躍した多くの日系兵士兵士が埋葬されているだけでなく、スパーク・マツナガ院議員やハワイ初の宇宙飛行士のエリソン・オニヅカ氏などの記念碑もある。 National Memorial Cemetery of the Pacific 中山京子撮影

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1 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: ソウジロウ・タカムラ(高村總二郎) さん (Item 2 of 6)
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町の近くに爆弾が落ちて,二人死にましたよ。それはアメリカ軍の対射砲が日本軍に向けて砲撃されたけれど当らずに落ちて来たものだったの。まさか日本が攻めてくるなんて思わなかったね。夜,灯火管制になってはじめて戦争だって実感したの。 ぼくはその後二ヶ月間毎日クヒオの救急センターに通ってけが人の手当や仕事をしながら,「いざ」に備えていました。当時はでたらめな噂があって,例えば日系人が多く働いていたミルク配達人は朝早くからハワイ中を動いているから彼らが日本軍の攻撃案内をしたとかね。二世は日本の攻撃後,困っていましたよ。道で会っても日本人流の振る舞いをやめていました。日本人と思われることが気になったからね。


 

周防大島の日本ハワイ移民資料館

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山口県周防大島の日本ハワイ移民資料館 1886年に始まった、ハワイへの第一回官約移民農地、約3割が山口県大島郡の人で、以後移民禁止になるまで、大島から多くの日本人が海外へ移住しました。 日本ハワイ移民史料館には、ハワイへの移民の貴重な資料がそろっています。 URL: 日本ハワイ移民資料館 写真提供: 多文化社会米国理解教育研究会

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3 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: トモエ・ニシ(西ともえ) さん (Item 1 of 6)
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父は日本からマウイ島に渡りました。そこからパプアノアに移り住み,そこで母と結婚しました。その後,ヒロの町に出てきました。父は大工をしていました。母は商売がしたくて,豆腐屋を始めました。その頃,私が生まれたんです。豆腐屋は朝が早くて大変でした。当時,一丁 5 銭で,日本人相手に売っていたんです。 写真:父の出身地、山口県の周防大島。多くの日本人が、この島からハワイへ移住した。


 

旧日本語学校の校舎、ヒロ

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ハワイ州ヒロ、旧日本語学校の校舎 写真提供: 多文化社会米国理解教育研究会

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3 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: トモエ・ニシ(西ともえ) さん (Item 2 of 6, “大好きだった日本語学校”)
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しばらくして、父が桟橋をかける仕事についたのでヒロを離れました。私たち家族もいっしょに行きましたよ。母は工事現場で働く独身者の洗濯を代わりにしてあげる仕事をしていました。一世の両親に育てられた私は,日本人に近いんですよ。小学校に入るまで,家の中では日本人として生活しているでしょう。アメリカのことは小学校に入ってから勉強しました。子どものころは学校が大好きでした。それぞれの村には日本語学校が一つずつあったんです。私は 2 時まで公立の学校で生活し,その後は隣にある日本語学校で 1 時間,読み方,書き方,修身を勉強しました。10 年で卒業する日本語学校に 2年残って,合わせて 12 年間通いました。勉強ができる友だちがライバルで,負けないように勉強しましたよ。


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