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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より

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『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)から抜粋したメキシコへの移民の写真コレクションです。 これらの写真から当時のメキシコへの移民について、その一部を見ることができると思う。 原本に掲載されていた写真は、どれも興味深い写真ではあったが、特に個人的に興味を持ったものを抜粋し、スキャンして紹介することにした。 写真をクリックすることで、オリジナルの写真のページにジャンプするが、そこでは各写真に添付されていた説明文のトランスクリプトを見ることができる。


 

アンゼス商会

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株式会社アンゼス商会は本店を福井県武生郡に置き、支店を神戸市とチリ国と秘露里馬市に2ヶ所有し居らる。写真は里馬市の本店と支店内の一部である。重に日欧米各国品の直輸入商で日秘人多数の定員を使用し、盛んに営業しておらる。里馬市の方は内藤茂一氏を本店に、佐々木長之助氏が支店の支配人である。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。


 

石丸・遠崎両氏

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石丸郷氏は山口県玖珂郡新庄村。40歳。明治41年渡秘。遠崎傳之輔氏は33歳。大正8年の渡航者で両氏は里馬市を離るる二里海岸住宅地バランコ市に呉服反物雑貨商店を共同にて経営せらる。聞けば両氏共に未婚で、故郷に夫人呼び寄せの運動中とか。事業は場所柄上流社会の貴婦人の来客が主なり。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。


 

西井 多治右工門氏

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岡山県川上郡牛粧村。49歳。三男二女を有せらる。其中、長男次男両君は日本の中学校に在校中である。22年前に秘露に渡航し種々の事業に従事し今日では里馬しに醤油とチーチャ酒製造を本業とし、農林業にも着手し、現に秘露農林株式会社社長で、又日本人会会計である。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。


 

福元 源四郎氏

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鹿児島県川邊郡枕崎町別府出身。42歳。24歳にして海外に活路の道を案じ、最初仏領ニューカレドニアに渡航し、10ヵ年前に秘露の有望なるを聞くや直ちに転じて洋食店を開業し、傍らサンニコラスとワチョ間のバス自動車業の認可を得て従事し居らる。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。 *漢数字はものによって算用数字に書き直してあります。


 

黒飛 辰次郎氏

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広島県御調郡粟原町。22年以前に渡秘し里馬市に各国食料品雑貨直輸入商を開業し、外に醤油と製麺業を経営し、さらにパルバーにて綿耕作にも従事して居らる氏は、事業に熱心なると同時に公共心にも富み、現に日本人会会長、広島県人会会長を主とし幾多の方面に尽力せらる。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。


 

森本 高一氏

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森本高一氏は20ヵ年前、秘露に上陸し、一時農業に従事し居られたるも、洋服商および裁縫業の有望なる事を研究し、今日の成功を見るに至った。其外自動車運搬業も兼ねて居らる氏は山口県玖珂郡麻里布村字今津の人で今年40歳。夫人と二男三女を有せられ、又同地日本人会の副会長の名誉職にある。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。


 

花久 国衛氏 

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福島県相馬郡小高町吉名。37歳。一男一女がある。14年前に渡秘し、現在所トルヒーヨ市に来り菓子製造業を開始せらるるや特殊の技術をゆうせらるる所から大いに繁盛し、今日では秘露人の同業者を遠く圧倒するような状態である。公共事業には日本人会副会長として尽力せらる。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。


 

松本 十吉氏

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山口県都濃郡富田町字政所。34歳。在秘十有余、一時労働し、後自動車運搬業を開業し、一方仲買商を兼業として居らる。日々多数の秘露人が柔道して居る。写真はスペイン系土人の常食である玉蜀黍(とうもろこし)を農家より買い込み、之れを整理して買出すので多額の資金を要するも亦た莫大の利益があると言う。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。


 

未富商会本店

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未富商会は未富啓之進、藤井忠三両氏を主として経営せらる。未富氏は山口県佐波郡防府町。藤井氏は広島県御調郡重井村で未富氏はペルー国へ日本移民最初の渡航者で23ヵ年になる。其間農に商に転々と各事業に着手し、遂に今日の成功を見るに至る。年齢五十六歳。防長海外協会秘露中央支部長である。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。


 

畑田 末雄 氏

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畑田末雄氏は熊本県益城郡小川町字東小川の人で39歳。夫人は墨国人で一男一女あり。農業を経営し傍ら、アイスクリーム製造業をなし居られるが、墨国人間に信用あるのみでなく、現に在エルモシヨ日本人会会長として公僕の為によく尽力せらる。在外十有一年との事。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 8 of 9, “メキシコ人と結婚”)
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メキシコでは、日本人男性とメキシコ人女性の夫婦は珍しいことではない。 日本人移民が少なかったというのが一番の要因だと思うが、日本人はメキシコ社会では友好的に受け入れられていた。 当時のアメリカのように、日本人と結婚したからといて、メキシコ人女性の市民権が剥奪されることはなかったし、日本人でもメキシコの市民権を得ることは可能であった。


 

徳山 宮次郎 氏

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熊本県玉名郡玉水村宇部田見。46歳。南米ペルーに渡航し、転じて墨国に入り、洋服商に着眼し、遂に先見を得て、今日では多数の職人を使用し、一方ダイオークにクリーニング業に着手し居らるが、元来日本人歓迎の墨国人の事とて、氏の事業は日々隆盛にむかいつつあり。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 3 of 9, “ペルーからメキシコへ入国”)
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アメリカと日本の間で結ばれた「紳士協定」(1908)ゆえに、日本はメキシコへの日本人の契約移民の入国を禁止せざる終えなくなった。 その前後、メキシコへはぺルーをはじめ他のラテンアメリカ諸国からの入国者が増えていた。 アメリカへの入国を夢見て、メキシコへと北上してきたのであるが、彼もその一人だったのだろうか・・・。


 

石渡 徳治 氏 (右) ・ 山根 喜三郎 氏 (左)

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石渡氏は福島県信夫郡飯板町。43歳。22ヶ年在墨中各地に事業経営し、時には成功し、或は革命の為に損害を受けたるも、今日では雑貨およびアイスクリーム製造販売等経営し、着々精巧に向いつつあり。山根氏は山口県玖珂郡北河内村。38歳。氏の事業は電気業および農産物仲買商を経営し居らるるが、曾ては墨国政府の税官吏または陸軍中佐として同国の軍籍にもあり。多趣味な活動家なり。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 2 of 9, “メキシコ革命と日本人”)
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1911年に始まったメキシコ革命。 この革命が日本人に与えた影響は大きく、日本人の革命における貢献も見逃せない。 右の写真、石渡氏のように革命の被害を受け、多大な損害をこうむったものも少なくない。後に、賠償金として、損害額のいくらかを国から返金されたものもいるが、当時のメキシコの生活は日本人コミュニティだけでなくメキシコ人にとっても非常に厳しいものであった。 一方、左の山根氏のように、メキシコ軍へ抜擢される日本人も少なくなかった。 当時の日本は軍事大国として着々と力を伸ばしている時期であり、日本人は実力のある勇敢な兵士であると考えられていたようだ。 実際、革命軍・連邦政府軍に所属する日本人は数多くおり、パンチョ・ビリャの暗殺に加わった日本人もいるくらいである。(これは未遂に終わっているが・・・)


 

岩田 権一郎 氏

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岩田権一郎氏は広島県佐伯郡是長出身。40歳。夫人は昨年日本より呼寄せられ、ロー加州チワナ(ティワナ)市に於て雑貨食料品店を経営す。12年以前、墨国の有望なるを聞き渡航し来られ、現在所に転じ、事業に熱心なるを以って、益々効果をきたし土地家屋等も自己所有のものなり。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 5 of 9, “El Sol Naciente (Rising Sun)”)
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こちらも北墨によくみられた食料雑貨店のひとつ。 ここで注目していただきたいのは、店の名前。 『El Sol Naciente』 「陽が昇る」を意味するこの店名は、当時の大日本帝国を意図してつけられたものと思われる。


 

北條・飯田 両氏

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北條隆一氏は長野県東築摩郡、飯田実氏は福岡県三井郡宮ノ陳村出身。両氏共未婚にして米墨中央の国境ノガレス市に於て歯科医を開業し、墨国人間に最も信頼厚く、多数の患者は結掛け非常に繁営しつつあり。又、北條氏は日本人間にも信用多く、同地にある日本人会会長である。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 1 of 9, “日本人歯科医”)
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1917年の日本とメキシコの条約により、日本の医師免許がメキシコでも有効になった。 革命のあおりを受け、医師不足であったメキシコの解決策のひとつでもあった。 当時、メキシコ社会に友好的に受け入れたれていた日本人であったが、彼もその一人であるといえるだろう。


 

石野氏 兄弟

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石野小三郎氏兄弟は弟君を河西登四郎と呼び、他家に籍を有す。同氏等は静岡県庵原郡由比町字寺尾生れ。22歳と20歳の青年奮闘家でチワナ(ティワナ)氏に雑貨商店を経営し、一方自動車を以って、毎日のごとく北米よりエンセナダ、或時はメキシカレ(メヒカリ)市に運搬卸業を営みつつあり。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 4 of 9, “国境をまたがるビジネス”)
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この兄弟はアメリカとメキシコを行き来する運搬業を行っていた。アメリカとメキシコの国境の町ならではのビジネスといえるだろう。 当時、日本人移民に対しても門戸を閉ざしていたアメリカとこのようなビジネスを行っていた日本人は、やっぱりいたんですね。 余談ではあるが、アメリカの日本人に対する移民政策が厳しくなると共に、カリフォルニア州南部からメキシコ北部へと移住するものが増えた。それはまさにこの時期の出来事である。


 

上嶋 久治郎 氏

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長野県上伊那郡美スズ村上大島出身。39歳。夫人は墨人にて非常に内助に努力の人である。現在のサルテヨ(サルティーヨ)市に於て、食料品雑貨商店を経営しつつあるが、人格者で市民の信用多く、従って商業繁営し、在墨30年間奮闘の結果、其の目的を達せられたのである。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 9 of 9, “メキシコ人女性”)
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一つ前のページでも述べたが、メキシコの一世移民がメキシコ人女性と結婚することは、決して珍しいことではなかった。 ここで私の目を引いたのは婦人を『内助に努力の人』と評価している面である。 当時のメキシコ社会では、このような女性はどのように評価されていたのだろうか。 どなたかご存知の方がいたら、ぜひ教えていただきたい。


 

林 興四郎 氏

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林興四郎氏は広島県佐伯郡沖村字是長生れ。40歳にして昨年雪子夫人を呼寄せられ、ロー加州チワナ(ティワナ)市に於て、雑貨食料品を経み居られるが、経営の宜しきを得て、大いに繁昌しつつあり。氏は温厚篤実の人なるが故に、在留民間にも又墨国人間にも多大の信用を博して居らる。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 6 of 9, “チワワの食料雑貨店”)
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他国の日本人移民と同じく、メキシコでも雑貨店経営を行う一世の方は多かった。 チワワという場所柄だろうか?写真の左側には「ABARROTES」とスペイン語で右側には「 GROCERIES」と英語で食料雑貨店であることを明記。 また、写真左隅にある樽は何の樽かわからないが、醤油樽に見える。


 

原田 一郎 氏

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福岡県京都郡白川村字鋤崎。36歳。在墨21ヶ年に及ぶ。其間資金を得、雑貨店を経営して居られしも、近来自動車の発展につれ、タイヤ業の有望なるを見て開業し、今日の所、墨人間に信用を博し、多数の職人を有し、非常に繁昌しつつあり。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931) *旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。 *読みやすいよう、句読点を足してあります。 *漢数字はものによって算用数字に書き直してあります。

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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より (Item 7 of 9, “タイヤ業”)
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『海外事情写真帳』にはメキシコでタイヤ業を営む日本人の写真がいくつか掲載されていた。 戦後の日本で、タイヤ業を始めて大当たり・・・という話は聞いたことがあるが、この当時より、日本人が海外でタイヤ業を営んでいるという事実にびっくりした。


 

濱口 武雄 氏

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和歌山県東牟婁分下里村明治26年生まれ。1901年ヴィクトリヤに上陸。バンクーバ市にて苦学し、公立学校卒業語、保険に従事する事二ヶ年。其後洋服裁縫を研究すべく北米に来り。洋服専門学校に入学卒業し、現在のバンクーバ市に再び帰り、洋裁学校開校、今日に至る。紀子夫人は技芸に堪能な方である所から共に教授の任に当って居らる。家族は長男誠也君があるのみ。 転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)


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