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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
Collection
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『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)から抜粋したメキシコへの移民の写真コレクションです。
これらの写真から当時のメキシコへの移民について、その一部を見ることができると思う。
原本に掲載されていた写真は、どれも興味深い写真ではあったが、特に個人的に興味を持ったものを抜粋し、スキャンして紹介することにした。
写真をクリックすることで、オリジナルの写真のページにジャンプするが、そこでは各写真に添付されていた説明文のトランスクリプトを見ることができる。
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長崎26聖人殉教壁画 - クエルナバカ
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『長崎26聖人殉教壁画』-16世紀の豊臣秀吉による長崎でのキリシタン迫害をつづった壁画。
メキシコ、クエルナバカにある大聖堂にあるこの壁画、現在のメキシコにいる日系人とはまったく関わりがないのだが、メキシコ人(当時のニュースペイン)と日本人の最初の交流の一つをつづる貴重なもの。
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畑田 末雄 氏
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畑田末雄氏は熊本県益城郡小川町字東小川の人で39歳。夫人は墨国人で一男一女あり。農業を経営し傍ら、アイスクリーム製造業をなし居られるが、墨国人間に信用あるのみでなく、現に在エルモシヨ日本人会会長として公僕の為によく尽力せらる。在外十有一年との事。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
*読みやすいよう、句読点を足してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 8 of 9, “メキシコ人と結婚”)
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メキシコでは、日本人男性とメキシコ人女性の夫婦は珍しいことではない。
日本人移民が少なかったというのが一番の要因だと思うが、日本人はメキシコ社会では友好的に受け入れられていた。
当時のアメリカのように、日本人と結婚したからといて、メキシコ人女性の市民権が剥奪されることはなかったし、日本人でもメキシコの市民権を得ることは可能であった。
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徳山 宮次郎 氏
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熊本県玉名郡玉水村宇部田見。46歳。南米ペルーに渡航し、転じて墨国に入り、洋服商に着眼し、遂に先見を得て、今日では多数の職人を使用し、一方ダイオークにクリーニング業に着手し居らるが、元来日本人歓迎の墨国人の事とて、氏の事業は日々隆盛にむかいつつあり。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
*読みやすいよう、句読点を足してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 3 of 9, “ペルーからメキシコへ入国”)
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アメリカと日本の間で結ばれた「紳士協定」(1908)ゆえに、日本はメキシコへの日本人の契約移民の入国を禁止せざる終えなくなった。
その前後、メキシコへはぺルーをはじめ他のラテンアメリカ諸国からの入国者が増えていた。
アメリカへの入国を夢見て、メキシコへと北上してきたのであるが、彼もその一人だったのだろうか・・・。
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石渡 徳治 氏 (右) ・ 山根 喜三郎 氏 (左)
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石渡氏は福島県信夫郡飯板町。43歳。22ヶ年在墨中各地に事業経営し、時には成功し、或は革命の為に損害を受けたるも、今日では雑貨およびアイスクリーム製造販売等経営し、着々精巧に向いつつあり。山根氏は山口県玖珂郡北河内村。38歳。氏の事業は電気業および農産物仲買商を経営し居らるるが、曾ては墨国政府の税官吏または陸軍中佐として同国の軍籍にもあり。多趣味な活動家なり。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 2 of 9, “メキシコ革命と日本人”)
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1911年に始まったメキシコ革命。
この革命が日本人に与えた影響は大きく、日本人の革命における貢献も見逃せない。
右の写真、石渡氏のように革命の被害を受け、多大な損害をこうむったものも少なくない。後に、賠償金として、損害額のいくらかを国から返金されたものもいるが、当時のメキシコの生活は日本人コミュニティだけでなくメキシコ人にとっても非常に厳しいものであった。
一方、左の山根氏のように、メキシコ軍へ抜擢される日本人も少なくなかった。
当時の日本は軍事大国として着々と力を伸ばしている時期であり、日本人は実力のある勇敢な兵士であると考えられていたようだ。
実際、革命軍・連邦政府軍に所属する日本人は数多くおり、パンチョ・ビリャの暗殺に加わった日本人もいるくらいである。(これは未遂に終わっているが・・・)
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岩田 権一郎 氏
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岩田権一郎氏は広島県佐伯郡是長出身。40歳。夫人は昨年日本より呼寄せられ、ロー加州チワナ(ティワナ)市に於て雑貨食料品店を経営す。12年以前、墨国の有望なるを聞き渡航し来られ、現在所に転じ、事業に熱心なるを以って、益々効果をきたし土地家屋等も自己所有のものなり。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 5 of 9, “El Sol Naciente (Rising Sun)”)
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こちらも北墨によくみられた食料雑貨店のひとつ。
ここで注目していただきたいのは、店の名前。
『El Sol Naciente』
「陽が昇る」を意味するこの店名は、当時の大日本帝国を意図してつけられたものと思われる。
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北條・飯田 両氏
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北條隆一氏は長野県東築摩郡、飯田実氏は福岡県三井郡宮ノ陳村出身。両氏共未婚にして米墨中央の国境ノガレス市に於て歯科医を開業し、墨国人間に最も信頼厚く、多数の患者は結掛け非常に繁営しつつあり。又、北條氏は日本人間にも信用多く、同地にある日本人会会長である。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
*読みやすいよう、句読点を足してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 1 of 9, “日本人歯科医”)
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1917年の日本とメキシコの条約により、日本の医師免許がメキシコでも有効になった。
革命のあおりを受け、医師不足であったメキシコの解決策のひとつでもあった。
当時、メキシコ社会に友好的に受け入れたれていた日本人であったが、彼もその一人であるといえるだろう。
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石野氏 兄弟
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石野小三郎氏兄弟は弟君を河西登四郎と呼び、他家に籍を有す。同氏等は静岡県庵原郡由比町字寺尾生れ。22歳と20歳の青年奮闘家でチワナ(ティワナ)氏に雑貨商店を経営し、一方自動車を以って、毎日のごとく北米よりエンセナダ、或時はメキシカレ(メヒカリ)市に運搬卸業を営みつつあり。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
*読みやすいよう、句読点を足してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 4 of 9, “国境をまたがるビジネス”)
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この兄弟はアメリカとメキシコを行き来する運搬業を行っていた。アメリカとメキシコの国境の町ならではのビジネスといえるだろう。
当時、日本人移民に対しても門戸を閉ざしていたアメリカとこのようなビジネスを行っていた日本人は、やっぱりいたんですね。
余談ではあるが、アメリカの日本人に対する移民政策が厳しくなると共に、カリフォルニア州南部からメキシコ北部へと移住するものが増えた。それはまさにこの時期の出来事である。
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上嶋 久治郎 氏
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長野県上伊那郡美スズ村上大島出身。39歳。夫人は墨人にて非常に内助に努力の人である。現在のサルテヨ(サルティーヨ)市に於て、食料品雑貨商店を経営しつつあるが、人格者で市民の信用多く、従って商業繁営し、在墨30年間奮闘の結果、其の目的を達せられたのである。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
*読みやすいよう、句読点を足してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 9 of 9, “メキシコ人女性”)
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一つ前のページでも述べたが、メキシコの一世移民がメキシコ人女性と結婚することは、決して珍しいことではなかった。
ここで私の目を引いたのは婦人を『内助に努力の人』と評価している面である。
当時のメキシコ社会では、このような女性はどのように評価されていたのだろうか。
どなたかご存知の方がいたら、ぜひ教えていただきたい。
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林 興四郎 氏
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林興四郎氏は広島県佐伯郡沖村字是長生れ。40歳にして昨年雪子夫人を呼寄せられ、ロー加州チワナ(ティワナ)市に於て、雑貨食料品を経み居られるが、経営の宜しきを得て、大いに繁昌しつつあり。氏は温厚篤実の人なるが故に、在留民間にも又墨国人間にも多大の信用を博して居らる。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
*読みやすいよう、句読点を足してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 6 of 9, “チワワの食料雑貨店”)
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他国の日本人移民と同じく、メキシコでも雑貨店経営を行う一世の方は多かった。
チワワという場所柄だろうか?写真の左側には「ABARROTES」とスペイン語で右側には「
GROCERIES」と英語で食料雑貨店であることを明記。
また、写真左隅にある樽は何の樽かわからないが、醤油樽に見える。
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原田 一郎 氏
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福岡県京都郡白川村字鋤崎。36歳。在墨21ヶ年に及ぶ。其間資金を得、雑貨店を経営して居られしも、近来自動車の発展につれ、タイヤ業の有望なるを見て開業し、今日の所、墨人間に信用を博し、多数の職人を有し、非常に繁昌しつつあり。
転載: 佐村 福槌、『御即位御大典記念-海外事情写真帳』(関門高等洋裁女学校、1931)
*旧漢字は現在の常用漢字に直してあります。
*読みやすいよう、句読点を足してあります。
*漢数字はものによって算用数字に書き直してあります。
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メキシコ: 『海外事情写真帳』(1931)より
(Item 7 of 9, “タイヤ業”)
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『海外事情写真帳』にはメキシコでタイヤ業を営む日本人の写真がいくつか掲載されていた。
戦後の日本で、タイヤ業を始めて大当たり・・・という話は聞いたことがあるが、この当時より、日本人が海外でタイヤ業を営んでいるという事実にびっくりした。
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壁画に描かれている「JAPON」の文字
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カテドラル入って正面(右壁)に記されている「JAPON」の文字。
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長崎26聖人殉教壁画 - クエルナバカ
(Item 2 of 5)
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疫病がはやった際に、まじないの意味をかねて石灰で塗りつぶされており、1959年になって上塗りの石灰を取り除いたときに、この壁画は発見された。
壁画自体は18世紀の前半に描かれたといわれている。
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長崎へ運ばれる聖人
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カテドラルを入って後方(左壁)。船に乗せられて運ばれる長崎へ運ばれる聖人。
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長崎26聖人殉教壁画 - クエルナバカ
(Item 5 of 5)
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長崎に向け船で移動する宣教師たち。
残念ながらこの写真ではわかりづらいが、宣教師たちは手を縛られている。
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太閤様 - Emperador Taycosama Mando Martirizar
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カテドラルを入って正面の壁画(右壁)
壁の上部には「Emperador Taycosama Mando Martirizar Por ~ (~のために皇帝太閤様が殉教を命じ)」とある。太閤様は豊臣秀吉のこと。
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長崎26聖人殉教壁画 - クエルナバカ
(Item 4 of 5)
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この写真で見えるように、『太閤様(秀吉)が殉教を命じ・・・』という意味のことが書かれている。
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日本人・外国人宣教師の処刑
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カテドラルを入って正面(右壁)の右下の拡大画像。宣教師が磔にされている様子が描かれている。
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長崎26聖人殉教壁画 - クエルナバカ
(Item 3 of 5)
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豊臣秀吉の命により日本人・外国人宣教師が処刑されたのは1597年2月15日。
この宣教師の中にはメキシコ最初の聖人フェリペ・デ・ヘススが含まれていたといわれている。
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クエルナバカのカテドラル
Contributed Item
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1597年に豊臣秀吉に処刑された26聖人殉教の壁画があるメキシコのクエルナバカにあるカテドラル。うち一人は最初のメキシコ人宣教師フェリペ・デ・ヘススが含まれていたといわれている。
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長崎26聖人殉教壁画 - クエルナバカ
(Item 1 of 5)
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クエルナバカまでメキシコシティからバスで約1時間。カテドラルはバス停から5分くらい歩いたところにある。
堂内はかなり薄暗らかったけれど、両側の壁面は殉教師に関する壁画に満たされていた。
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