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二つの国の視点から

ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人-その2

その1>>

次は、「線を引く」だが、その前にこの詩集の表紙について説明しておきたい。表紙に、ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所が描かれている。ハートマウンテンは中央が瘤のように膨れ上がっている山なので、一目見るとすぐにわかる。

『Drawing the Line』

イナダが収容されていたのはアーカンソー州のローワー収容所とコロラド州のアマチ収容所なので、この表紙には本人の体験とは違う特別な意味が込められている。

ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所は、徴兵を拒否した男たちがいたことで知られる。1944年の春、徴兵を拒否した63人が、ワイオミングの連邦裁判所で有罪判決を受け、懲役3年の刑を言い渡された。彼らは上訴したが、上級裁判所でも最高裁判所でも敗訴した。2年服役した後、トルーマン大統領が恩赦を言い渡した。

服役した1人に、ヨシ・クロミヤという男がおり、イナダは彼のために一篇の詩を書いた。それが、詩集のタイトルにもなった「線を引く」という13ページにも及ぶ詩で、同詩集の最後に掲載されている。

「線を引く」(抄訳)

あなたは持っていない
私の親を閉じ込める権利を
あなたは持っていない
私たちの自由を否定する権利を
わたしは持っている
正義のために立ち上がる権利を
私は持っている
自由のために立ち上がる権利を
ヨシはここに線を引く
一枚の紙に
アメリカ合衆国憲法が書かれたページに
残っているのは歴史上の事実
逮捕され 裁判にかけられ
刑を言い渡され 投獄された
二年間
「家族が収容所にいる間」という条件の
徴兵を拒否したために
やがて届いたのは
大統領からの恩赦
でも歴史は休まない
ヨシが紙に線を引いて
証言している

以上が詩の一部だが、日系映画監督のフランク・アベがこれをテーマとして「Conscience and Constitution(良心と憲法)」というドキュメンタリーを2000年に制作しており、イナダがナレーターを務めた。彼はもともとこの映画のロケに触発されてこの詩を書いた経緯があるので、映画のナレーションは感慨深い仕事になったであろう。ジャズが好きなイナダは、たとえテーマが重くても、いつも軽やかに言葉をつむいでいく。

言葉に流れるジャズのリズム

もっとジャズベースが上手かったらミュージシャンになっていた、というほどだから、イナダのジャズへの思い入れは相当強い。

 『戦前』の最後を飾っているのが、「偉大なべーシスト」という詩で、チャールズ・ミンガスのために、という副題がつけられている。以下、冒頭の部分。

「偉大なべーシスト」

私は偉大なべーシスト
音楽と人生は一体
そしてそれはすばらしいこと
でもいつもそういうわけにはいかない
私が若かったころ
音楽が私の血管に差し込まれた
でも流れてくれなかった
私はベースを買った
練習した
でもどうにもならなかった
鉄弦が
肉に食い込むだけ
中の痛みが
とれない

『収容所の伝説』には、「ジャズ」という章が独立してもうけられており、18歳のときのエッセイが綴られている。以下、末尾の部分。

見かけは学生風の18歳の若者が「ブラックホーク・クラブ」をうろついていた。まだ未成年だったが、ウエイトレスたちはそのことを知らない。それに彼はミュージシャンたちの「友人」に見えた。彼が「やあ、マイルズ。こんにちは、コールトレイン」と声をかけると、彼らも「よお」とか「どうしてる」などと応えていた。

ある夜、休憩の時間に彼は外に出た。寒くて霧が深く、街灯の下の壁に寄りかかっていた。周りには誰もいなかった。一人の女性を除いては。彼女も壁にもたれかかっていた。静かだった。車が通りかかり、タイヤのきしむ音が霧にまぎれていった。若者と女性は宙を見据えていた。

しばらくして、男は声を殺していった。「すみません。サインをお願いできませんか?」。女性は微笑み、顔が赤らんだ。「いいわよ。名前、何ていうの?」。彼が名前を告げると彼女は歌うかのようにその名前を声に出し、本にサインをした。そして笑みを浮かべながら、彼の目を覗き込んでいった。「あなた、昨晩もここにいたでしょう」「ええ、この一週間ここに来ているんです」

彼はその場に居続けた。本にはこう書かれていた。
 「ローソンへ 心をこめて ビリー・ホリデイ」

このエッセイの後に、ビリー・ホリデイを含め、ルイ・アームストロング、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、ジョン・コールトレインといった名だたるジャズ・ミュージシャンたちに捧げた詩が続く。

彼の詩には「コール・アンド・レスポンス」と呼ばれる黒人霊歌やジャズの影響が強く見られる。「コール・アンド・レスポンス」とは、呼びかけに対して応じる、いわば掛け合いの音楽である。日本の民謡でもよく見られる手法で、音楽を盛り上げるために使われる。私が訳した詩でも、あるキーフレーズをリフレインしながら、それに応えるように構成されており、声にだしてパフォーマンスをすることを意識して、あるいはそれを前提に書かれているように思える。

ジャズマンになることはあきらめたイナダだが、CDでは、中国系のフランシス・ウォンや日系のマーク・イズ、グレン・ホリウチ、ミヤ・マサオカ、アンソニー・ブラウンらのジャズ・ミュージシャンの演奏をバックに自作を朗読しており、、詩でとりあげる題材だけでなく、パフォーマンスでもジャズとの接点を持ち続けている。

少数民族に重ね合わせるアイデンティティ

『The Big Aiiieeeee!』

イナダの詩の題材を見ていくと、収容所やジャズを別にして、ネイティブ・アメリカン、黒人、アジア系アメリカ人、さらには日本のアイヌと、マイノリティを扱ったものがあり、少数民族への強い関心が伺える。それらの詩は、決して抵抗の文学ではなく、すべてを肯定して詠じているように思える。それは、おそらく彼がフレズノの西側で、マイノリティであることを自然に受け入れて育った環境が大きく影響しているのだろう。

アジア系アメリカ人文芸集『The Big Aiiieeeee!』に「アイヌ・ブルース」という詩が収録されているが、この詩は次のような言葉遊びから始まる。
Ainu, you knew, I knew, you knew, too. 訳せば、「アイヌ、知ってただろ、ぼくは知っていた、君も知っていた」となるが、言葉の洒落は訳では伝わらない。「アイヌ・ブルース」は10ページの長編詩で、以下は言葉遊びの後の冒頭部分。

「アイヌ・ブルース」

わたしは村に着く
背中に服をまとっただけで
私の状態は
それ以上でも以下でもなく
隣の人とかわらない
わたしはここに惹きこまれているのか
逃げているのか
呼び出されたのか
捨てられたのか
それは問題じゃない
わたしのこの状態は
隣の人と何ら変わらない
状況、行為
それ以下でもそれ以上でもない
住民は、もちろん
わたしをそのまま受け入れている
一人の男 皆のなかの
おそらく <あの人たち>の一人
でも、明らかに
一人の男
だから、
疑ったり
無関心でいたり
敵意を持ったり
うらやんだり
好奇心をもったりする
必要がない

多民族・多文化社会に慣れ親しんだイナダの人生観がよく現された詩だと思う。

俳句、家族……日本への想い

イナダにとって、日本は祖父、祖母、両親を含めた親類が大きな位置を占めている。詩やエッセイに親族のことがよく取り上げられていることでそれがよくわかる。だが、それだけでなく、日本の俳句や歌も影響を与えている。『収容所の伝説』に、「石の詩」という詩がある。オレゴン州、ポートランドにある「日系アメリカ歴史プラザ」にいくつも石が建てられており、俳句を意識したローソンの短編詩がそれらの石に刻まれている。以下、一例。

「黒い煙が 青空を横切っていく
冬の寒さが骨に沁みる ここはミニドカ収容所」

俳句風に訳すと
         「ミニドカで 黒煙上がる 寒さかな」
短歌風に訳すと
         「黒煙 冬の寒さが 身にしみる ここはミニドカ 収容所」

というような感じだろうか。同詩集にある「赤とんぼの歌」はもちろん日本の童謡から発想された詩で、赤とんぼ、という日本語がキーワードになって、「コール・アンド・リスポンス」が全編を貫く。

日系アメリカ歴史プラザにある石の詩

以上、いくつかイナダの詩を紹介したが、収容所、ジャズ、マイノリティ、家族など、イナダの守備範囲は広い。音楽的要素が強いのも特徴だ。イナダについて論じたものが少ないのはその懐の深さ故なのかもしれない。私は、収容所をはじめとした日系人の歴史にも、アイヌやネイティブ・アメリカンなどの少数民族にも、音楽にも強い関心があるので、彼の詩には親しみを感じる。

イナダの詩は決して激しいものではない。でも、その一つひとつに、対象への愛情が感じられる。そこが彼の文学の魅力なのだろう。

(敬称略)

※本文中に引用した詩・エッセイの翻訳はすべて筆者による。

著書
Before the war; poems as they happened. Morrow, 1971
Legends from camp, Coffee House Press, 1992
アメリカンブック賞受賞
Drawing the line, Coffee House Press, 1997

共著
The Buddha bandits down Highway 99: Garrett Kaoru Hongo, Alan Chong Lau, Lawson Fusao Inada, Buddhahead press, 1978

In this great land of freedom: the Japanese pioneers of Oregon. Lawson Fusao Inada, Eiichiro Azuma; edited by Akemi Kikumura, Lawson Fusao Inada, Mary Worthington. Japanese American National Museum, 1993.

編著
Aiiieeeee! An anthology of Asian-American writers. Frank, Jeffery Paul Chan, Lawson Fusao Inada, Shawn Wong, Frank Chin, Howard University Press, 1974
The Big Aiiieeeee! Frank Chin, Jeffrey Paul Chan, Lawson Fusao Inada, and Shawn Wong, Signet, 1991

参考資料
『日系アメリカ・カナダ詩集』中山容編訳 土曜美術社 1985
『現代アメリカアジア系詩集』水崎野里子編訳 土曜美術社 2003
『箸とフォークの間』 野本一平 邑書林 1996
「ジャズのリズム-ローソン・F・イナダ『戦前』」 新井弘泰 『思想の科学 93号』1987年9月
「リズムが語りだすもの:ローソン・イナダの"Two Variations on a Theme by Thelonious Monk as Inspired by Mal Waldron"を読む」 小坂恵理子 AALA News 2005/June No.26  
「詩と音楽のCrossroads-Lawson Fusao Inada: Denver Union Stationを聴く」 神田 稔 AALA News 2005/June No.26
Roots: an Asian American Reader, UCLA, 1971
Asian-american Authors, Kai-yu Hsu, Helen Palubinskas, Houghton Mifflin, 1972

参考映像
I told you so, 監督Alan Kondo 制作 Visual Communications, 18分 1974
Lawson Fusao Inada: What it means to be free, 制作 TTTD Productions,  25分 2004
Conscience and Constitution, 監督、制作Frank Abe, 56分 2000

参考CD
Legends & Legacies, asianimprov records, 2004

謝辞
イナダの処女詩集『Before the War』を今回、友人の神田稔さんから貸していただきました。ここに記して感謝致します。

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第4回目からの転載です。

© 2009 Association Press and Tatsuya Sudo

Lawson Fusao Inada literature poet poetry

About this series

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。