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3 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: トモエ・ニシ(西ともえ) さん

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戦争が始まって

1941 年 11 月,兄は 100 大隊に招集され,イタリアへと出兵しました。手紙が届くたびに母と「まだ生きているね。」と確認し,喜んでいました。その後,兄は戦地で凍傷になり戻ってきました。その頃,高校を卒業した私は,母が営む商店を手伝っていました。店には食べ物の他に布地や下駄など,日本からの品物も置いていました。真珠湾攻撃の後,日本軍が桟橋で撃った大砲の音は,今でも耳に残っています。当時は夜になると部屋の電灯に布をかけて,日本軍の空襲を警戒していました。
ある日,硫黄島から帰った米兵たちが街にやってきました。泊まるところがないので学校の体育館や教室が使われ,私たちの店には食べ物を買いにきたんです。きっとお腹が空いていたんでしょう,ウナギを残して棚が空っぽになりましたよ。そのとき店に来た米兵たちは目が泳いでいました。激しい戦場から戻ってきたからでしょうね。母と怖さのあまり息を殺しながら応対しました。でも,母は米兵たちが品物を買う様子を見て「この人たちは本当は柔和な人たちなのよ」と言っていました。

Based on this original

Attack on Pearl Harbor, Hawaii
uploaded by yn
Title: Naval photograph documenting the Japanese attack on Pearl Harbor, Hawaii which initiated US participation in World War II. This photograph was originally taken by a Naval photographer immediately after ... More »


ニッケイヒーロー:私たちの模範となり、誇りを与えてくれる人

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