1 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ: ソウジロウ・タカムラ(高村總二郎) さん
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町の近くに爆弾が落ちて,二人死にましたよ。それはアメリカ軍の対射砲が日本軍に向けて砲撃されたけれど当らずに落ちて来たものだったの。まさか日本が攻めてくるなんて思わなかったね。夜,灯火管制になってはじめて戦争だって実感したの。
ぼくはその後二ヶ月間毎日クヒオの救急センターに通ってけが人の手当や仕事をしながら,「いざ」に備えていました。当時はでたらめな噂があって,例えば日系人が多く働いていたミルク配達人は朝早くからハワイ中を動いているから彼らが日本軍の攻撃案内をしたとかね。二世は日本の攻撃後,困っていましたよ。道で会っても日本人流の振る舞いをやめていました。日本人と思われることが気になったからね。
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国立太平洋記念墓地 「パンチボウル」 |