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日系アメリカ人の地位回復を果たした「市民自由法」制定25周年を記念して、全米日系人博物館は、2013年7月4日から7日にかけてワシントン州シアトルで、第4回全米会議『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』を行いました。この会議では、民主主義、正義、尊厳をテーマに、新しい見識、学術的論考、コミュニティの観点を紹介しました。
このシリーズでは、今回の会議で発表されたさまざまな視点からみる日系アメリカ人の体験談だけでなく、会議に参加した方々の反応などを中心に紹介します。
会議についての詳しい内容は、全米会議のウェブサイトをご参照ください>>
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3.アメリカ民主義:排日からリドレスまで
排日
1907年のニューヨークタイムズの記事には、「白人の世界の日本人の侵略」と書かれています。やがて紳士協約が結ばれ、1913年カリフォルニア州外国人土地法、1920年の写真花嫁への旅券発給停止、1922年小澤孝雄判決による帰化不能外国人の決定、1924年移民法による日本人移民の停止と続きます。
短歌から三つばかり拾ってみました。法律とは別に、家を借りることができない社会的差別や、市民権がないばかりに泣き寝入りしなければならない経済的損失が詠まれています。
憤り心には燃ゆ貸家札 貼りたる家も我等には貸さず
(井上渭城 『新世界』1923年6月24日)とつくにの民とし指紋押すここち 國辱めらるる思ひにてありき
(臼井千曲 ...
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6.戦後のハワイ日系社会
戦争終結後は、日本人社会ではエスニック文化が一気に復活した。戦後のハワイ社会は日系文化にたいして非常に寛容で、「非アメリカ的」という激しい攻撃を受けることもなくなった。重要な制度であった日本語学校、仏教寺院、神道神社が再建された。日本人社会の生活習慣や行事等にも復活した。
久さびさに雛なつかしく飾りけり 川本恵子
なつかしき人の集ひや初句會 豊村
四年ぶり日本映画や初興行 恵子
戦後の日本人社会は、戦争中の軍需景気の恩恵を受けて蓄財がすすみ、好景気であった。人々は派手に消費した。大きなダイヤモンドの指輪が光っていたり、結婚式や出征祝いに多額の金が使われたりした。
五年目の友は成金Aクラス ...
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3.二世部隊
ハワイの日系二世といえば、第100大隊、そして第442戦闘部隊はあまりにも有名である。彼らの輝かしい戦功・犠牲によって日系人の忠誠が証明されたといわれる。息子を軍隊に送り出すことによって、一世はアメリカへの恭順を示した。しかし、二世兵士の心情を思いやる一世、また兵士の親たちの悩みは深かった。
生みの親と育ての親の争ひに二世は迷ふ荊(いばら)踏む道 相賀渓芳
割り切れぬ千々の悩みに踏み迷ふ二世の親の心淋しも 相賀渓芳
敵とならん子の入営を微笑みつ 横山松青
開戦時から存続していた正規の二世陸軍兵士1,432人は他と分離され、白人士官9名とともに「ハワイ緊急大隊 ...