日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に
日系日本語雑誌の多くは、戦中・戦後の混乱期に失われ、後継者が日本語を理解できずに廃棄されてしまいました。このコラムでは、名前のみで実物が見つからなかったため幻の雑誌といわれた『收穫』をはじめ、日本語雑誌であるがゆえに、アメリカ側の記録から欠落してしまった収容所の雑誌、戦後移住者も加わった文芸 誌など、日系アメリカ文学雑誌集成に収められた雑誌の解題を紹介します。
これらすべての貴重な文芸雑誌は図書館などにまとめて収蔵されているものではなく、個人所有のものをたずね歩いて拝借したもので、多くの日系文芸人のご協力のもとに完成しました。
*篠田左多江・山本岩夫 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。
このシリーズのストーリー
『若人』 -帰米二世文学の芽生え- その1/5
2011年2月4日 • 篠田 左多江
1. 『若人』創刊の地 ―ヒラリヴァー収容所― 『若人』が生まれたヒラリヴァー収容所、正式にはヒラリヴァー戦時転住所(以下ヒラとする)は、アリゾナ州のピマ・インディアンの居留地のなかにあった。第一次世界大戦中に戦死したピマ族の兵士の名に因んで名付けられたこの地には、アメリカ先住民が細ぼそと農業を営んでいた。ここはフェニックス市内から約64キロメートル離れており、外部の者との接触がほとんどないことから日系アメリカ人収容所の立地条件を満たしている。収容所は第一と第二の二つ区域に…
幻の文芸誌『收穫』-その4/4
2011年1月28日 • 山本 岩夫
その3>>4. 英語による作品『收穫』が二世の作品を掲載することによって二世の文学活動を促進し、二世文学者との交流を深めようとしたことは注目すべきことである。、このような試みは日系文学史において稀なことであった。山崎一心編『アメリカ文学集』(1937)に二世の英語の作品が10編収められていること、トパーズ収容所で発行されていた文芸誌『トレック』(Trek)第二号(1943)にトシオ・モリの短編『子供たちよ、明日という日はきっと来ますよ』の日本語訳が、また『南加文藝』第八号(…
幻の文芸誌『收穫』-その3/4
2011年1月21日 • 山本 岩夫
その2>>3.『收穫』の方針と内容『收穫』の方針を各号の巻頭言によって明らかにし、作品をジャンル別に検討してこの雑誌の内容上の特徴点を示しておきたい。 (1)巻頭言『收穫』を創刊した北米詩人協会の趣意については既に述べた。それがこの同人誌の趣意となり、方針ともなるわけであるが、各号に掲載された編集代表者執筆の「巻頭言」の中で『收穫』が目指すべき文学の在り方がもう少し具体的に述べられている。 加川文一は「創刊の言葉」の中で「特殊な事情と環境のうちに今かうして{アメリカで}生活…
幻の文芸誌『收穫』-その2/4
2011年1月14日 • 山本 岩夫
その1>>2. 『收穫』の誕生とその後の経過『收穫』は1936年12月、北米詩人協会の機関誌としてロサンゼルスで創刊され、第二号から文芸連盟の機関誌となり、1939年6月の第六号をもって休刊となった。創刊に当たっては加川文一(1911年生まれ)が中心的な役割を果たしている。 加川は呼び寄せ一世で、日本語と英語で詩を書いた。1930年に詩人で評論家のイーヴァ・ウィンターズの序文を載せた英詩集『ヒドン・フレイム』(Hidden Flame)を発表し、詩人として全米にその名が知ら…
幻の文芸誌『收穫』-その1/4
2011年1月7日 • 山本 岩夫
はじめに1930年代の半ばに刊行された同人誌『收穫』は長い間、幻の文芸誌だった。創刊当時から注目されていて、『加州毎日新聞』『羅府新報』などの文芸欄には『收穫』が発行されるたびにその知らせの記事が掲載され、それに対する批評もしばしば載せられている。 日本人移民に関する歴史書にも、その文学の頃には決まってこの雑誌への言及がある。『在米日本人史』(1940)に「一九三六年には林田、加川、伊丹、上山らにより北米詩人協会が設立され雑誌『收穫』が発行された」と記されている。この言及の…