ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/gifts/

ジチャンとバチャンからの贈り物


2020年5月7日 - 2020年9月16日

このシリーズは、私がジチャンとバチャン、荒木二作とマサから受けた魔法の贈り物の注釈付きカタログとして始まりました。若い頃から、無条件の愛がジチャンとバチャンが私にくれた最も貴重な贈り物だと気づきました。しかし、年をとって、ミニドカ収容所での収容前後の幸せな幼少時代を回想すると、ジチャンとバチャンが私にくれた他の多くの貴重な贈り物、その中には日本の明治時代の文化と価値観の贈り物もあったことに気づきました。このシリーズでそれらの贈り物について説明できればと思っています。



このシリーズのストーリー

日本からの贈り物

2020年9月16日 • スーザン・ヤマムラ

ジチャンとバチャンは日本旅行からたくさんの美しい贈り物を持って帰ってきました。母と妹のルイーズと私のために、それぞれ荒木家の家紋があしらわれた美しい手染めの絹の着物を注文してくれました。それぞれの着物セットには美しい帯も付いていました。ある年、彼らは銀糸がきらめく豪華な錦織の布を私にくれました。 じいちゃんとばあちゃんと一緒に育った私は、贈り物をしたり受け取ったりする習慣の複雑で愛情深いパターンを学びました。これはアメリカでも残っている日本文化の重要な部分です。誰も私に説明…

人形

2020年6月11日 • スーザン・ヤマムラ

おじいちゃんとばあちゃんからもらった最初の贈り物は、日本の文化、ひな祭り、つまり毎年3月3日に祝われる日本の祝日のお祝いでした。私が最初のひな祭りを「覚えている」のは、叔父の佐々木昭介が撮った写真のおかげです。叔父の昭介はプロではありませんでしたが、写真家としての経験があり、1941年3月にひな祭りの飾りの前で生後9か月の私の写真を撮ってくれました。おじいちゃんとばあちゃんはその頃裕福で、日本へのクルーズ旅行もしました。豪華なひな祭りセットを買う余裕もありました。突然、すべ…

ジチャンとバチャンが建てた家

2020年5月7日 • スーザン・ヤマムラ

じっちゃんが荒木になった経緯じっちゃんは福井県の金田家の4人息子の次男として金田仁作として生まれましたが、結婚の際、荒木姓を継ぐため、妻の荒木正の姓を継いで義理の娘となりました。27歳くらいのじっちゃんと20歳くらいのばっちゃんは、1913年12月にワシントン州タコマで結婚しました。バチャンは一人っ子で、女性であったため、父の荒木久蔵が開いた荒木家の東京支部の荒木姓を継ぐことはできなかった。バチャンは東京で育った。家族の話によると、彼女は人力車で学校に通っていたので、恵まれ…

ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら
このシリーズの執筆者

米国生まれ。大統領令9066により、2歳になる前に家族と共にハーモニー強制収容所(ワシントン州ピュアラップ)とミニドカ強制収容所(アイダホ州ハント)に収容される。強制収容に関する記憶の記述は、こちらから無料でダウンロードが可能(英語):Camp 1942–1945

「大統領令9066の発令にも関わらず、父方の祖父母、両親、夫、私はみな、アメリカンドリームを叶えられました。これは米国ならではのことかもしれません」。

元コンピュータープログラマー、コンピューターシステム・ネットワークアドミニストレータ―、アリゾナ大学教授兼理事だった故ハンク・ヤマムラ氏の妻、息子の母。現在はライター、粘土作家、水彩画家として活躍する。

(2017年3月 更新)