ディスカバー・ニッケイ

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二つの国の視点から


2009年11月16日 - 2010年10月22日

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。



このシリーズのストーリー

アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その3

2010年3月19日 • 須藤 達也

>>その2父の教えを受け継いでキクムラが自分史を完結させるためには、父、三郎のことも書く必要があった。三郎は1953年、アケミが9歳のときに不慮の事故で亡くなっていたため、母のときのように本人からの聞き書きができず、彼の周囲にいた人たち、すなわち、母、兄妹、日本の親類などから話を聞く必要があった。そのため、三郎のことをまとめた『Promises Kept(守られた約束)』を完成させるのに、一作目の『Through Harsh Winters』から10年を要した。守られた約束…

アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その2

2010年3月12日 • 須藤 達也

>>その1戯曲「賭博場」で扱った衝撃のテーマ 私がキクムラを知ったのは、1985年2月8日、当時、ロサンゼルスのサンタモニカ通りにあった EWP(現在はリトル・トウキョウにある)でのことだった。この頃、ロサンゼルスに住んでいた私はEWPの作品は欠かさず観にいっていた。この日、彼女が書いた戯曲、「The Gambling Den (賭博場)」という作品が上演された。アメリカ日系人社会における被差別部落の問題を取り扱った芝居で、私は椅子からすべり落ちるほど強い衝撃に襲われた。ア…

アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その1

2010年3月5日 • 須藤 達也

日系2世のアケミ・キクムラ=ヤノは、昨年(2008年)2月、ロサンゼルスのリトル・トウキョウにある Japanese American National Museum(全米日系人博物館)のCEO(最高経営責任者)に就任した。全米日系人博物館は、日系アメリカ人の体験を伝えるアメリカで初めての博物館で、1992年に開館し、1999 年には新館がオープンした。日系アメリカ人に関する資料の収集、展示会やイベントの開催、書籍やDVDの作成と販売、ウェブサイトの運営などを行い、日系人の…

ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人-その2

2010年2月26日 • 須藤 達也

その1>>次は、「線を引く」だが、その前にこの詩集の表紙について説明しておきたい。表紙に、ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所が描かれている。ハートマウンテンは中央が瘤のように膨れ上がっている山なので、一目見るとすぐにわかる。 イナダが収容されていたのはアーカンソー州のローワー収容所とコロラド州のアマチ収容所なので、この表紙には本人の体験とは違う特別な意味が込められている。 ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所は、徴兵を拒否した男たちがいたことで知られる。…

ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人-その1

2010年2月19日 • 須藤 達也

1970年。日本で万博が開かれた年だが、この年を基準にアメリカのアジア系・日系文学をとらえてみたい。 この年、中国系アメリカ人作家のジェフリー・ポール・チャンが日系人作家、ジョン・オカダの『No-No Boy(ノー・ノー・ボーイ)』という本をサンフランシスコの日本町の本屋で見つけた。ノー・ノー・ボーイとは、戦時中、アメリカに対して忠誠を誓わなかった日本人及び日系人のことである。日系社会はアメリカへの同化意識が強かったため、1957年に出版されてから、この本はずっと日系社会…

ロナルド・タカキ~「自分」を他の文化、民族の視点から問い続ける - その2

2010年2月12日 • 須藤 達也

>>その1第2次大戦とアメリカ国内の人種差別歴史を正そうというタカキの視点は、アメリカ国内のことだけでなく、第2次世界大戦にも強く表れている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』と『ダブル・ヴィクトリー』がそれに当たる。 原爆を投下することで、戦争を早期に終結させ、本土決戦になった場合に予想されるアメリカ兵の死者数50万人の命を救った、とアメリカ人が一般的に信じていることがいかに間違っているかを、タカキは歴史上の事実から解明していく。 では、なぜトルーマンは原爆を投…

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このシリーズの執筆者

神田外語大学講師。1959 年愛知県生まれ。 1981年、上智大学外国語学部卒業。1994年、テンプル大学大学院卒業。1981年より1984年まで国際協力サービスセンターに勤務。1984年から85年にかけてアメリカに滞在し、日系人の映画、演劇に興味を持つ。1985年より英語教育に携わり、現在神田外語大学講師。 1999年より、アジア系アメリカ人研究会を主宰し、年に数度、都内で研究会を行っている。趣味は落語とウクレレ。

(2009年10月 更新)