ディスカバー・ニッケイ

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二つの国の視点から


2009年11月16日 - 2010年10月22日

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。



このシリーズのストーリー

ブレンダ・ウォン・アオキ~日米の物語を語る3世のソロ・パフォーマー~ その2

2010年7月2日 • 須藤 達也

>>その1家族の死を受け止めるために 「汽車に乗って」は、ブレンダがアリス・ハギオという2世から直接聞いた話で、「Last Dance」(1998)に収録されている。第2次大戦中、日系人収容所に移送される電車の中で、看護師をしていた「私」は、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いていたが、友人のミチの赤ちゃんが病弱だったため、その子の面倒も見ることになる。汽車で揺られること3日間。食事が出たのは一度だけで、母乳も出なくなった。ミチの赤ちゃんは、やがて泣き声がやみ、亡くなった。それか…

ブレンダ・ウォン・アオキ~日米の物語を語る3世のソロ・パフォーマー~ その1

2010年6月25日 • 須藤 達也

2007年から2008年にかけて、ブレンダ・ウォン・アオキは、「日米芸術家交換プログラム」で、夫君でベース奏者のマーク・イズ、息子で打楽器奏者のカイ・カネ・アオキ・イズ(別名KK)とともに、日本に滞在していた。彼女の来日に合わせて、「Mermaid Meat and Other Japanese Ghost Stories(2007)」というテキスト付のCDがリリースされ、いくつかの場所でブレンダの一人芝居が上演された。 私が見られたのは、「Mermaid Meat(人魚…

ジャニス・ミリキタニ~言葉の力を信じて、奉仕活動を続ける詩人-その2

2010年6月14日 • 須藤 達也

>>その14世の娘へ伝えたいことSing the melody of your own life! (自分自身の人生のメロディをうたえ)という、ミリキタニのスピーチの締めくくりの言葉は、彼女が書いた「Letter to my daughter(娘への手紙)」という詩を思い起こさせる。以下、抄訳。 娘への手紙 怪我の痕は記憶されるにちがいない 物語に耳を傾けなさい 私たちは 自分たちが書く本の 自分たちが作曲する歌の そして自分たちが…

ジャニス・ミリキタニ~言葉の力を信じて、奉仕活動を続ける詩人-その1

2010年6月7日 • 須藤 達也

日系アメリカ人には、珍しい苗字の人が結構いる。先祖を辿ると、広島、和歌山、熊本、沖縄などの地方出身者が多いためだろう。以前、このコラムでとりあげたゴタンダもそうだが、ミリキタニも、私は今まで日本でその苗字の人に出会ったことがない。 2006年に東京映画祭で、日系2世画家、ジミー・ミリキタニの人生を描いたドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」が上映され、「日本映画・ある視点」部門で最優秀作品賞を受賞した。その後、あちこちで上映されたので、この苗字がいくらか日本に浸透した…

ダニエル・オキモト~日本を代弁する国際政治経済学者 -その2

2010年5月31日 • 須藤 達也

>>その1日本にかわって、その立場を世界へ説明1974年、オキモトは、博士論文を書くために再び来日して、東大社会科学研究所に研究員として約2年間在籍した。75年4月の「トーク・ショー」は、その時に行われた対談である。対談は彼の専門である日本の政治がテーマで、高校生の私には英語も内容も高度で、番組を見た後、文字に書き起こされたNHK のテキストを辞書を引きながら読んで、何とかフォローするのがやっとだった。 オキモトは、日本の政界にみられる閨閥、つまり血縁関係について具体的な数…

ダニエル・オキモト~日本を代弁する国際政治経済学者 -その1

2010年5月24日 • 須藤 達也

「アメリカに、地すべり的勝利という表現があるが、これは地すべりどころか、大地震といっていい」 国際政治経済学者で、日系人きっての知日派であるダニエル・オキモトは、今年(2009年)8月の衆院選での民主党の圧倒的勝利を、こう表現した。 この記事を読んで、オキモトはまだまだ健在、と私はうれしくなった。私がオキモトのことを知ったのは、1975年に「トーク・ショー」というNHKの英語教育番組を見たことがきっかけだった。 34年前に見せた、強制移住への問題意識 「トーク・ショー」は…

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このシリーズの執筆者

神田外語大学講師。1959 年愛知県生まれ。 1981年、上智大学外国語学部卒業。1994年、テンプル大学大学院卒業。1981年より1984年まで国際協力サービスセンターに勤務。1984年から85年にかけてアメリカに滞在し、日系人の映画、演劇に興味を持つ。1985年より英語教育に携わり、現在神田外語大学講師。 1999年より、アジア系アメリカ人研究会を主宰し、年に数度、都内で研究会を行っている。趣味は落語とウクレレ。

(2009年10月 更新)