ディスカバー・ニッケイ

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ニッケイ物語 4—ニッケイ・ファミリー: 記憶、伝統、家族観


2015年6月18日 - 2015年10月19日

ニッケイ・ファミリーの役割や伝統は独特です。それらは移住した国の社会、政治、文化に関わるさまざまな経験をもとに幾代にもわたり進化してきました。

ディスカバー・ニッケイは「ニッケイ・ファミリー」をテーマに世界中からストーリーを募集しました。投稿作品を通し、みなさんがどのように家族から影響を受け、どのような家族観を持っているか、理解を深めることができました。

このシリーズのお気に入り作品は、ニマ会メンバーの投票と編集委員の選考により決定しました。

お気に入り作品はこちらです。

  編集委員によるお気に入り作品:

  • スペイン語:
    父の冒険
    マルタ・マレンコ(著)

  ニマ会によるお気に入り作品

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ニッケイ物語(シリーズ) 遺産 (legacies)

このシリーズのストーリー

我々の人生: 現在と過去そして未来

2015年9月22日 • キヨミ・ナカニシ・ヤマダ

人生劇場で私たちはいろいろな物語の主人公になりますが、多くの場合、無名の役者のままで人生を終えます。 母方の祖父母は大阪出身、父方の祖父母は東京出身。コーヒー園で働くためにブラジルへ移住する1930年代まで故郷で暮らしていました。 母親のシズヨは現在89歳で、一族の中で、唯一存命です。70歳を迎えた時、移民として経験した厳しい生活の記憶を子孫に残したいと語りました。それを、娘の私がポルトガル語に翻訳しました。 《学問と仕事に励み、日本人であり、この物語の主人公でもある…

沖縄からハワイへ、そしてまた沖縄へ

2015年9月18日 • ラウラ・キナ

私はハパ、四世ウチナーンチュ(混血の4世沖縄系アメリカ人)で、1973年にカリフォルニア州リバーサイドで生まれ、ワシントン州のカスケード山脈のふもとで育ちました。母のルーツは、カリフォルニアのスペイン系バスク人移民とテネシーの南部白人です。父はハワイ出身の沖縄人です。私はあまり白人には見えないので、よく「あなたは何者ですか?」と聞かれます。幼い頃から、ハワイと日本は私にとって謎でしたが、これらの「エキゾチックな」場所との関係を説明しなければなりませんでした。子どもの頃、私た…

父の冒険

2015年9月15日 • マルタ・マレンコ

父タツゾウ・トミヒサ(Tatsuzo Tomohisa)は、毎日午後になると家の前の歩道に出て入り口に座るのが日課でした。静かに道路を眺めていると、近所の子供たちが待ち構えていたかのように寄ってくるのでした。子供が好きだった父はみんなを嬉しそうに笑顔で迎え、いろいろな話を語り聞かせました。父の話を楽しみにしていた子供たちは飽きることなく夢中になってそれを聞いていました。 父の故郷はとても遠く、私たちはあの広い海(太平洋)をどのように渡ったのか興味津々でした。私たちがそ…

両親への手紙

2015年9月9日 • メアリー・スナダ

愛するお父さんとお母さんへ ヤエコ & ヨネト・ナカタさん、娘のメアリーです。この手紙を書くまで長い時間がかかってしまったこと、申し訳なく思っています。仕事を持ち、結婚し、家庭を築く中、とても忙しくしていました。私の心からの感謝の気持ちをどのようにお二人に伝えるべきか、考えあぐねていました。そしてお父さんとお母さんが第二次世界大戦後に味わった苦しみを、私は理解していませんでした。 1948年の元日、私の日本の家族に最大の幸せが訪れようとしていました。私は午前…

長い間会っていなかった叔父に会って家族について学んだこと

2015年8月26日 • ミア・ナカジ・モニエ

日本に行くまで、叔父と話したのはたった2回だけだった。1回は日本人の祖母が亡くなったとき、もう1回は祖父が亡くなったときだ。定期的に家に電話をかけてきて、日本語で話す人は二人だけだったが、私はその二人の声をよく知っていた。年配の方は大叔母で、イギリスなまりの若い方は、母の古い友人であるマユミで、彼女自身も自分の名前を英語風に「Muh-you-me」と呼んでいた。だから、「もしもし」という電話特有の「こんにちは」が、カリフォルニアのさわやかさを微塵も感じさせない完全に日本語ら…

気軽

2015年8月12日 • バーバラ・ニシモト

我が家では、物語を語り、思い出を語りました。食事中や食事の後、特に理由もなくリビングに全員で座っていました。私たちはみんなとても固く結びついていたため、始まり、中間、終わりは必要ありませんでした。私たちのうちの誰かが一文、一句を口にするだけで十分でした。それが合図でした。「ああ、思い出した。」私たちは微笑んでうなずき、まるでコーラスのように一緒に思い出を再生しました。物語はいつも私たちのうちの誰か、または全員についてでした。時には教訓があり、時には性格の欠点が明らかになりま…

ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
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このシリーズの執筆者

フランク・エイブは、受賞歴のあるPBSドキュメンタリー「良心と憲法」のプロデューサー兼ディレクターです。彼は、補償を求めるキャンペーンを公にドラマ化したシアトルとポートランドでの2つの「追悼の日」メディアイベントの制作に協力しました。彼はサンフランシスコのアジア系アメリカ人演劇ワークショップとシアトルのアジア系アメリカ人ジャーナリスト協会の創設メンバーであり、NBC/ユニバーサル映画「さらばマンザナール」でJACLのようなキャンプリーダーとして取り上げられました。彼はシアトルのCBSラジオ系列局KIROニュースラジオの受賞歴のある記者であり、現在はシアトルのキング郡行政局の広報部長を務めています。

2015年4月更新


サラ・クミコ・コイケ・アビウシはフロリダ州ウィンターヘイブンで育ちました。ジョンズ・ホプキンス大学で機械工学の理学士号を取得しました。現在は夫と2人の子供とともにバージニア州アーリントンに住んでいます。サラはアクセンチュアのマネージングディレクターであり、米国最大のアジア系専門職開発非営利団体であるAscendの積極的なメンバーです。

2015年10月更新


レジーナ・アラカキ、1942年アルゼンチン、エントレ・リオス州コンセプシオン・デル・ウルグアイ生まれ。沖縄移民の娘。薬学と生化学の卒業生。 4人の子供の母親。彼は現在ブエノスアイレスに住んでいます。

最終更新日: 2015 年 10 月


マイア・ヒトさんは、幼いころから日本文化に魅了されてきた高校生です。彼女はヨーロッパにルーツを持つ日系ペルー人です。彼女は2014年に「両親への手紙」というコンテストに参加し、2位を獲得しました。彼女は、このコンテストが自分の本質に目を開かせ、自分の故郷に存在する多様な文化に浸るきっかけになったと考えています。「私は自分のルーツをもっと大切に思うようになり、現在は日本語を学び、スペイン語もさらに伸ばして、自分のルーツについてさらに学び続けています。」

2015年10月更新


チャンダ・イシサカさんは、カリフォルニア州ロサンゼルス郡のモントレーパークで生まれ育ちました。彼女は日系アメリカ人四世であり、メキシコ系アメリカ人でもあります。イシサカさんは、6年間シアトルに住み、日系コミュニティに喜んで参加し、ミニドカ巡礼企画委員会の一員として年に一度、第二次世界大戦時の強制収容所であるアイダホ州ミニドカ収容所への巡礼を実施してきました。イシサカさんは、現在カリフォルニア州オレンジ郡在住です。

(2014年11月 更新)


1995年11月栃木県生まれ。2002-2003年にかけて、カリフォルニア州サクラメント在住、Matsuyama Elementary Schoolに通う。 現在は国際基督教大学2年在学中。

(2015年9月 更新)


ローラ・キナは、デポール大学ヴィンセント・デ・ポール芸術・メディア・デザイン教授であり、『 War Baby/Love Child: Mixed Race Asian American Art』 (ワシントン大学出版、2013年)の共同編集者、隔年開催のCritical Mixed Studies会議の共同設立者、およびアメリカ大陸におけるアジア系ディアスポラ視覚文化のレビュー編集者です。彼女の展覧会「Sugar/Islands: Finding Okinawa in Hawaiʻi – the Art of Laura Kina and Emily Hanako Momohara」は、ベア・リバー・プレスから出版された展覧会カタログとともに、全米日系人博物館で最近開催されました。

キナは、シカゴ文化センター、インド・ハビタット・センター、インド国際センター、ネフル・アート・センター、沖縄県立美術館、ローズ美術館、スペルタス美術館、ウィング・ルーク・アジア太平洋系アメリカ人体験博物館など、国内外のギャラリーや美術館で展示を行ってきました。現在は、アンソロジー「Queering Contemporary Asian American Art」の編集と、リー・A・トノウチ著の児童書「Okinawan Princess: Da Legend of Hajichi Tattoos 」のイラストを担当しています。

2015年9月更新


退職した LAUSD 教育者。コミュニティ ボランティア。Iku はさまざまなプレゼンテーションやプログラムを行っています。(写真提供: Densho)

2015年1月更新


マイケル・タケオ・コイケはフロリダ州ウィンターヘイブンで育ちました。プリンストン大学で経済学の学士号を取得しました。ニューヨーク州スカーズデールに妻と2人の子供と暮らしています。マイケルはプライベートエクイティ投資家です。また、プリンストン サマー ジャーナリズム プログラムの創設者兼ディレクターでもあります。このプログラムは、低所得の高校生をプリンストンに招き、ジャーナリズムと大学入学に関する10日間のコースを受講させる、全額負担のセミナーです。

2015年10月更新


彼はペルーのハウハで生まれた日系四世です。 9歳から日本で育ち、日本の学校に通い、ペルーで通信教育を終えた。彼女はニュージーランドのインターナショナル・ユニバーシティ・オブ・ザ・パシフィック大学で国際関係学の学士号を取得し、現在はメキシコで日本企業に勤め、新たな文化の融合を成長させ適応させています。

最終更新日: 2015 年 8 月


マルタ・マレンコ氏は、1945年に7人兄姉の末っ子として父タツゾウと母エステルのもとに生まれた。父を9歳の時にんなくした。母は、イタリアのジェノバ出身の子孫。アルゼンチンの北部で育ち、後に職を求めてブエノスアイレスに転住し、それぞれがブエノスアイレスで家族を築いた。夫はアルゼンチン人の獣医で、すばらしい二人の息子はメキシコに住んでいる。現在リタイヤして年金生活者の人生をエンジョイしている。

(2015年9月 更新)


又吉マクシミリアーノは、1979 年にアルゼンチンのブエノスアイレスで日系人の家庭に生まれました。作家兼写真家。小説『ガイジン』 (Alfaguara 2003)の著者。彼は現在ブエノスアイレスに住んでいます。

最終更新日: 2015 年 10 月


キミコ・メドロックさんはUXリサーチャーで、現在ワシントン州シアトルに住んでいます。太鼓奏者でもあり、フリーランスで第二次大戦中の日系アメリカ人の体験に焦点を置いた執筆活動を行っている。近代日本史の修士号を取得、戦前日本の解放運動を専門に行った。

(2021年1月 更新)


ロサンゼルスを拠点に活動するライター、編集者。カリフォルニアで日本人の母とアメリカ人の父のもとに生まれる。京都、バーモント州の小さな町、テキサス州の郊外など、11の異なる都市や町に住んだ経験がある。ミア・ナカジ・モニエへの問い合わせ、本人執筆による記事の閲覧はこちらから:mianakajimonnier.com

(2015年7月 更新) 


レイモンド・ナカムラ氏は、ブリティッシュコロンビア州バンクーバー在住。娘のお使いに振り回されていない時は、ヴォゴン人の詩*を書き、『ニューヨーカー誌』に却下されたことのある漫画を描いている。また、戦前ナカムラ氏の母が育ったパウエル・ストリートのガイドも務めている。子供向けのスポーツ詩集『And the Crowd Goes Wild』に、アイスホッケーのキーパーになることを題材にした詩が掲載されている。www.raymondsbrain.com.

*注:ヴォゴン人はSFシリーズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場する架空の宇宙人。シリーズでは、「ヴォゴン人の詩」は宇宙で3番目にひどい詩とされている。

(2012年10月 更新)


バーバラ・ニシモトさんは、シカゴで生まれ、シカゴ西部の郊外で育ちました。彼女の両親は、サンホアキン・バレー(カリフォルニア州)で育ち、アーカンソー州ローワー強制収容所で収容されていました。バーバラさんは、現在テネシー州ナッシュビル在住です。 

(2012年9月 更新) 


メキシコ生まれの日系メキシコ人二世。筑波大学卒業後、ボストン大学大学院進学。国際関係学修士。現在はロサンゼルスでReiyukai Americaにて事務局長として勤務。

(2015年10月更新)


サンパウロ州、サン・ベルナルド・ド・カンポ出身。化学エンジニア、経営管理学・ビジネスマネジメント・環境教育専攻。1994年、千葉県に水処理を学ぶため留学。現在、観光会社の経営者。多数の非営利団体に活躍中、JCI – Junior Chamber International サンパウロ・チャプター元理事長及びJCIブラジル常任副会頭。ASEBEX – Associação Brasileira de Ex-Bolsistas no Japão(日本留学生・研修員ブラジルOB会)審議会会長。IPK – Instituto Paulo Kobayashi副会長。APNB – Associação Pan-Americana Nikkei do Brasil(ブラジル・パンアメリカンニッケイ協会)税務顧問。Associação Chiba Kenjin do Brasil(ブラジル千葉県人会)第二常任理事。ブラジル日本文化福祉協会コミュニケーション・マーケティング委員。

(2014年11月 更新)

 

 

 

 

 

 

 


ブランドン・シンドウは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の学部生です。心理学を専攻し、アジア系アメリカ人研究を副専攻しています。

2007年12月更新


メアリー・スナダ氏は夫のジョンと結婚して43年になり、ジェームズとデイビッドという二人の息子がいる。元小学校教員で、ロサンゼルス統一学区の小学校に36年勤めた。現在は、オレンジ郡仏教会、全米日系人博物館、ゴー・フォー・ブローク全米教育センターの会員。好きなことは、釣りやダンス、そして昔からの友人たちや新しい仲間と旅行をすること。ディスカバー・ニッケイへもしばしば寄稿している。

(2023年10月 更新)


マーシャ・タケダ・モリソンは、ロサンゼルス在住の作家兼アートディレクターで、コーヒーを大量に飲みます。彼女の執筆は、ロサンゼルス・タイムズ、ペアレンツ、ジェンラックス、ニッチ、Mom.com、その他のライフスタイル、教育、子育て関連の出版物に掲載されています。また、ポップカルチャーも取り上げており、パリス・ヒルトン、ジェシカ・アルバ、キム・カーダシアンなどのインタビューも行っています。ハリウッドで多くの時間を過ごしていますが、整形手術を受けたことも、俳優の子供を出産したことも、リアリティ番組に出演したこともありません。今のところは。

2023年5月更新


ジェリ・オカモト・タナカさんは日系アメリカ人三世で、両親はワイオミング州農村部の出身。自身の家族史やコロラド、ネバダ、モンタナ、オレゴン、カリフォルニアで過ごした幼少期、養母としての経験やコミュニティ・ボランティアとしての活動をもとに執筆活動を行っている。また、リトルトーキョーサービスセンターの役員の他、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の中国からの養子や孤児の支援プログラム、China Care Bruins Youth Mentorship Programのアドバイザー兼ペアレント・コーディネーターも務めている。現在ロサンゼルス在住。また、ジェリさんが執筆した記事は、以下雑誌および書籍に掲載されています。雑誌:Adoptive Families magazine, Guidepost's Joys of Christmas, The Sun, Loyola of Los Angeles Law Review, Journal of Families with Children from China, OCA Image, UCLA Chinese Cultural Dance Dragonfly Quarterly, China Care Foundation's Care Package; 書籍:Kicking in the Wall:  A Year of Writing Exercises, Prompts & Quotes to Help You Break Through Your Blocks and Reach Your Writing Goals

(2015年9月 更新) 


チャック・タサカ氏は、イサブロウ・タサカさんとヨリエ・タサカさんの孫です。チャックのお父さんは19人兄弟の4番目で、チャックはブリティッシュコロンビア州ミッドウェーで生まれ、高校を卒業するまでグリーンウッドで育ちました。チャックはブリティッシュコロンビア大学で学び、1968年に卒業しました。2002年に退職し、日系人の歴史に興味を持つようになりました。この写真は、グリーンウッドのバウンダリー・クリーク・タイムス紙のアンドリュー・トリップ氏が撮影しました。

(2015年10月 更新)


キャシー・ウエチは日系アメリカ人全米博物館のボランティアであり、ディスカバー・ニッケイの寄稿者でもあります。彼女は二世で、ボイルハイツで生まれ、沖縄出身の両親のもとでバレーで育ちました。彼女は、最新の人気店から人里離れた「家族経営」の店まで、ロサンゼルスの食文化を探るのが好きです。キャシーはカリフォルニア大学アーバイン校の卒業生です。

2014年9月更新


サンパウロ州ベベドウロ出身。サンパウロ総合大学看護学部卒業。2010年引退までロンドリーナ州立大学教授。同大学の高齢者向けのラジオ番組「Tecer Idades」のプロダクションの一人。コミュニティの高齢者化プロジェクトのボランティアとして活動。寝たきり高齢者と介護者のためのロンドリーナにあるサポートハウスの取締役会に参加。日本文化を継承する目的で成立された「グルッポ・ヒカリ・デ・ロンドリーナ」のメンバー。このグループのウェブサイト製作、編集を担当。

(2018年6月 更新)


リン・ヤマサキは、日系アメリカ人全米博物館の教育部門で学校プログラム開発者として働いており、博物館への学校訪問の企画と実施を担当し、同博物館の主要教育プログラムの 1 つである民主主義保存国立センターに関わっています。また、特別展や家族向けプログラムの教育活動の企画も担当しています。ロサンゼルスのロヨラ・メリーマウント大学で美術史とスタジオアートを専攻し、学士号を取得しました。

2015年7月更新


彼はペルーのチクラーヨで生まれました。彼は日系四世です。観光とホスピタリティを専攻し、広告デザインを学ぶ学生。彼はマジスボランティアの一員で、チクラーヨの日系青年に所属しています。彼女は書くことが好きで、日本食が大好きで、読書が大好きです。彼の夢は日本を訪れることです。

最終更新日: 2015 年 10 月