ニッケイ物語#4 — ニッケイ・ファミリー: 記憶、伝統、家族観

ニッケイ・ファミリーの役割や伝統は独特です。それらは移住した国の社会、政治、文化に関わるさまざまな経験をもとに幾代にもわたり進化してきました。

ディスカバー・ニッケイは「ニッケイ・ファミリー」をテーマに世界中からストーリーを募集しました。投稿作品を通し、みなさんがどのように家族から影響を受け、どのような家族観を持っているか、理解を深めることができました。

このシリーズのお気に入り作品は、ニマ会メンバーの投票と編集委員の選考により決定しました。

お気に入り作品はこちらです。

  編集委員によるお気に入り作品:

  • スペイン語:
    父の冒険
    マルタ・マレンコ(著)

  ニマ会によるお気に入り作品

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父の冒険

父タツゾウ・トミヒサ(Tatsuzo Tomohisa)は、毎日午後になると家の前の歩道に出て入り口に座るのが日課でした。静かに道路を眺めていると、近所の子供たちが待ち構えていたかのように寄ってくるのでした。子供が好きだった父はみんなを嬉しそうに笑顔で迎え、いろいろな話を語り聞かせました。父の話を楽しみにしていた子供たちは飽きることなく夢中になってそれを聞いていました。

父の故郷はとても遠く、私たちはあの広い海(太平洋)をどのように渡ったのか興味津々でした。私たちがそのことを聞くと、父は記憶にあるいろいろな秘話を、感情を込めていっぱい話してくれました。

私たちは静かに、父の記憶から溢れ出すことを待ちました。その逸話は、ときには笑いを誘い、ときには悲しみに打ち沈み、ときには驚きから恐怖に追い込みました。こうした話を聞く度に ...

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両親への手紙

愛するお父さんとお母さんへ

ヤエコ & ヨネト・ナカタさん、娘のメアリーです。この手紙を書くまで長い時間がかかってしまったこと、申し訳なく思っています。仕事を持ち、結婚し、家庭を築く中、とても忙しくしていました。私の心からの感謝の気持ちをどのようにお二人に伝えるべきか、考えあぐねていました。そしてお父さんとお母さんが第二次世界大戦後に味わった苦しみを、私は理解していませんでした。

1948年の元日、私の日本の家族に最大の幸せが訪れようとしていました。私は午前1時に長女として生まれ、メアリーと名付けられました。しかし、アメリカで始まるはずだった新たな生活は1948年5月28日、悲劇と共に閉ざされることとなりました。

父の訃報が届いた時、日本で私の世話をしてくれていたのは祖父母でした。父はまだ29歳 ...

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ドント・ウォーリー・ビー・“ハパ”

私たち姉妹の共通点は、皮肉の効いたユーモアセンスがあることと身長があまり高くないことです。その他には特に似ているところはありません。全員が沖縄系日系三世の母とフロリダ南部出身の父の子ですが、私たちは誰も互いに似ていません。小さい頃から「日本的なこと」とのつながりはほとんどありませんでしたが、私たちは毎食お米を食べ、お友達の家に遊びに行く時には必ず手土産を持参していました。親戚の家では、ピジン英語と標準英語両方が話されていましたが、日本語を話す人は誰もいませんでした。私たちは皆ハパの従兄妹やハワイに住む沖縄系の親戚が大好きですが、私たちが育ったのは遠く離れた本土の東海岸でした。そしてここにも日系人は居ませんでした。

二人種または多人種の背景を持つ自分自身を受け入れる方法の一つは、日本と白人のハーフという多面性のあるくくりを、1つの人種が分離した状態として捉えるのではなく、まとまりのある統一体として捉え直すことです。私たち姉妹が他者からどのように見られているか、そして日系の伝統とどのように関わっているかはそれぞれの外見や性格によって違いますが、全員がニッケイと白人のハパであることに誇りを持っていることは確かです。

とは言え、私が姉妹を代弁できるのはこのくらいです ...

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The Weight On My Shoulders

I don’t remember exactly how old I was when this happened—maybe nine or ten—but I distinctly remember what the hotel room looked and smelled like. The bedspreads were ugly and itchy. There was a musty smell to everything, and we figured it was because the housekeepers never really cleaned, just moved the vacuum a few times over the carpet and called it a day. I refused to drink out of any of the glasses because I swore I saw a distinct lip print on the edge of one of the ones wrapped in the crinkly white paper ...

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How I Remet my Mother

When thinking of the journal theme of Nikkei families, I thought of how much my family has shaped me but how little I have included them in my own involvement in the Japanese community. Even more, how much have I included my Mexican mother in my Japanese community?

Last year I was hit with a dilemma. My mother was coming to visit me in Seattle when I actually needed to leave for Idaho. My organization, the Minidoka Pilgrimage Planning Committee, was having our annual pilgrimage trip, bringing over two hundred people to the former World War II Japanese incarceration camp ...

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