ディスカバー・ニッケイ

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デカセギ・ストーリー


2012年6月18日 - 2024年4月18日

1988年、デカセギのニュースを読んで思いつきました。「これは小説のよいテーマになるかも」。しかし、まさか自分自身がこの「デカセギ」の著者になるとは・・・

1990年、最初の小説が完成、ラスト・シーンで主人公のキミコが日本にデカセギへ。それから11年たち、短編小説の依頼があったとき、やはりデカセギのテーマを選びました。そして、2008年には私自身もデカセギの体験をして、いろいろな疑問を抱くようになりました。「デカセギって、何?」「デカセギの居場所は何処?」

デカセギはとても複雑な世界に居ると実感しました。

このシリーズを通して、そんな疑問を一緒に考えていければと思っています。



このシリーズのストーリー

第二十三話 (後編)「来ないでいい」と言いたかったが

2014年12月31日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

ヒロユキは覚悟を決めて、早苗さんに本当のことを話した。ブラジルに居た頃、学生だった自分に子どもが生まれ、その子の母親マリア・ド・ロザリオと暮らすようになり、2年後、日本に単身で働きに来たことなどを打ち明けた。 早苗さんは黙って聞いてくれた。ヒロユキには、怒りを表さず、動揺を見せまいとする彼女の態度が意外だった。すると、早苗さんはタンスの引き出しから箱を取り出し、中の写真をヒロユキに渡した。 「彼はイランからの留学生で、私たちは大学で知り合ったの。交際を始めたけれど、突然…

第二十三話 (前編)「来ないでいい」と言いたかったが

2014年11月25日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

あの日、受話器を置いて、ヒロユキは驚きのあまり、一瞬、茫然自失となった。 「今度そっちに行くからね!」と、ブラジルに残してきた妻の言葉がキンキンと鋭く耳に響いた。最初は冗談だと思ったが、マリア・ド・ロザリオは本気だった。「前に言ったでしょっ!日本まで追っかけて行くからって!その時が来たんだよ」 ヒロユキは混乱した。今までは、妻が電話してくる理由は1つしかなかった。それは「もっとお金を送って欲しい!」との要求だった。しかし、今回は、お金のことは一切口にせず「とても楽しい。…

第二十二話 (後編)「グラウシャ」は今、何処?

2014年10月15日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

前編 >>12歳年下のジャクソンに惚れ込んだカズエだったが、ついに、DVに耐えかねて逃げだそうと考えていた。日曜日の夜のことだった。 翌朝、ファシネイラ1がマンションに着くと、カズエがリビングで倒れていた。ファシネイラは救急車を呼んだ。 病院に搬送されカズエは、顔や腕の怪我がひどくそのまま入院した。ジャクソンはマンションからジュエリーやパソコンやクレジットカードを奪い、カズエの新車で逃走していた。 2ヵ月後、日本に住んでいるカズエの兄が、心配して戻って来た…

第二十二話 (前編)「グラウシャ」は今、何処?

2014年8月27日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

「美容師になりたい」と、カズエは生まれ育った町を出てサンパウロへ向かった。高校を休学してまで、伯父が経営する美容院で1年ほど住み込みで修行した。その後、美容師の資格を取り、伯父の美容院で本格的に働き始めた。 ある日、伯父の勧めで全国美容師コンテストに参加して見事に優勝した。それをきっかけに、カズエは大きな目標を持つようになった。 40年前に伯父と伯母が始めた「サロン・ダ・ロザ」の外見は地味で、客のほとんどが、年配の日系人女性だった。彼女たちは流行を追わず、昔ながらのパー…

第二十一話 ミッちゃんと「日本のおばあちゃん」

2014年7月30日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

台風が通り過ぎた翌日のことでした。その日の朝は蒸し暑く、ミッちゃんは赤いランドセルを背負って、水筒を持って学校に向かって歩いていました。 「どっちが暑いのかなあ。ブラジルの夏と日本の夏では」と、まだはっきりと分からないようでした。ミッちゃんは、半年前までブラジルに住んでおり、日差しが強い日は、友だちと外で遊ぶよりベランダで本を読む方が好きでした。バチャン1の作るおいしいココナッツアイスクリームも大好きでした。ブラジルの生活の方が比べものにならないくらい良かったと思っていまし…

第二十話 「サッカーワールドカップで会いましょう」

2014年6月18日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

「Copa do Mundo1」がブラジルで開催されると決まった時、ケントは跳び上がって喜んだ。サッカー好きの少年は、学校から戻るといつも、宿題をするのも忘れて、近くの原っぱでボールを蹴っていた。母親はしかたのないものと受け入れるしかなかった。ケントの父親もサッカー好きで、プロになろうと思っていた頃もあったのだ。 「パパイ2が日本から帰って来られたらいいのになあ。そうしたら、一緒にテレビでプレーを見られるし、スタジアムにも行けたらいいなあ!」と、ケントは強く願った。 母親は…

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このシリーズの執筆者

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)