ブラジル国、ニッポン村だより
ブラジルサンパウロ州奥地の小さな町の日系社会。そこに暮らす人びとの生活ぶりや思いを、ブラジル日本人移民の歴史を織り交ぜながら、15回に分けて紹介するコラムです。
このシリーズのストーリー
大宅壮一の「名言」をめぐって
2007年3月29日 • 中村 茂生
大宅壮一というジャーナリストがいた。昭和を代表するジャーナリストのひとりと言ってよいと思うが、政治から社会風俗まで広範な仕事に携わってい て、耳にした人の多くが、なるほどうまいこと言う、と唸るような、物事の本質を的確に捉えた名言をいくつも残した人だ。毒舌家、という評価もある。 たしか、「明治を見たければブラジルへ行け」だったと思う。その大宅壮一が戦後ブラジルの日系社会を訪れた時に発したという言葉だ。戦後とはいってもずい ぶん古い話になるはずだが、日系社会のなかにはまだこの言…
カデイアと日本人移民
2007年3月1日 • 中村 茂生
第二次世界大戦中北米の日本人移民が、収容所生活を強いられたことは広く知られている。移民先国と祖国が敵同士となったのはブラジル日本人移民も同 じだ。ブラジルには収容所こそなかったが、やはり敵国人としての扱いは受けた。戦争中から戦後の一時期まで、ちょっとしたことでカデイア(監獄)行きとい うことも珍しくなかった。 戦争中のある時期、日本語は禁止されていた。 日本語禁止というのは、日本語をしゃべってはいけないということだ。しゃべってはいけない、というのは、しゃべったら注意や譴責を…
ワラと松と竹-ブラジル日系社会で新年を迎える
2007年2月1日 • 中村 茂生
サンパウロから500キロ離れた小さな町。12月にはいると、いつも7時には早々閉めてしまう商店が遅くまでやるようになる。 街の中心の辻々には、財政が厳しいなか、市役所が提供したという、小さいながらも凝ったデザインのクリスマスツリーが配置されている。 通りを横切って幾重にも渡された点滅灯の線と電飾の数々、巨大なスピーカーから流れてくる地元ラジオ放送の大音響のなか、家族やカップル、友人同士でそぞろ歩く大勢の人を眺めていると、ここが人口わずか2万ちょっとの町だとは思えないほどのにぎ…