サンパウロ市の中心にあるフレイ・カネッカ通りのサンパウロ産院で生まれたわたし。
幼いころ、母に連れられよくイピランガの公園を散歩していた。ピンク色のドレスを着て、日本の日傘を差しているわたしを見て、ブラジル人は「歩く日本のお人形さんだ」と言っていたそうだ。
ジョアン・メンデス広場にあったカーザ・ナカヤに行くのが楽しみだった。当時、ボンデ・カマロンという「えび」に似た電車が走っていて, それに乗っていくのが面白かった。その上、カーザ・ナカヤは大きな日本品店で、貴族の館(やかた)のように豪華な雰囲気があった。品物はとても上等なものでわたしは見とれていた。
はじめてサンパウロから出たのはパラナ州へ行った時だった。わたしは十二歳で、おばあちゃんの住んでいたロンドリナという町を訪れた。
母といっしょに、叔父さんの車で約十時間の旅だった。向うに着いたのは夜中。初めて会ったおばあちゃんはわたしを抱きしめ、涙ぐんだ。次々と叔父さんや叔母さんたちが出てきて、薄暗い玄関で大変な歓迎を受けた。
真夏で、長い旅の疲れもあったので、わたしはすぐに寝付いたが、突然、部屋がぱっと明るくなって、ひそひそと話す子どもの声が耳に入ってきた。「あっ、いとこたちだ」と気付いたときには、みんなは、わいわいがやがや、わたしのことをすでに観察していたようだった。内気なわたしは、恥ずかしくて、布団をすっぽり頭から…