ディスカバー・ニッケイ

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福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

@fukuda

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)


この執筆者によるストーリー

アメリカの日本語媒体
第3回 1902年創刊『北米報知』アメリカで現存する最古の日系紙

2021年9月13日 • 福田 恵子

9割が英語の紙面に アメリカで最も古くから発行されている日系新聞は、ワシントン州シアトルに拠点を置く『北米報知(The North American Post)』だ。ただし、創刊時の紙名は『北米時事(The North American Times)』であり、その創刊は1902年に遡る。古くから日系社会が形成されていたシアトルで、最初の発行人である隈元清氏ほか数名の1世たちが立ち上げた同紙は戦前までは邦字日刊紙として発行部数約1万2千部を誇っていた。地元シアトルだけでなく…

アメリカの日本語媒体
第2回 2004年創刊『週刊NY生活』- 独自取材を続ける無料紙

2021年8月30日 • 福田 恵子

読者がいる限り ニューヨークを中心に米国東海岸で2万部発行されている日本語媒体の『週刊NY生活』は2004年創刊。アメリカ生活が長い人は、同紙の歴史が20年も経っていないことを意外に思うかもしれない。筆者もその1人。理由は同誌の発行人兼CEOの三浦良一さんと社長兼COOの久松茂さんが共にアメリカで発行されていた『読売アメリカ』出身であり、『読売アメリカ』の印象が色濃く感じられるせいだ。筆者自身、90年代、勤務先に送られてくる『読売アメリカ』の生活情報からエンタメ、アメ…

アメリカの日本語媒体
第1回 1989年創刊『Lighthouse』 在米邦人の生活情報誌

2021年8月16日 • 福田 恵子

読者の課題解決のために 筆者が渡米したのは1992年。今も暮らすロサンゼルスで当時発行されていた日本語の紙媒体は、『羅府新報』、『Gateway USA』、『US Japan Business News』、『TV FAN』、『Bridge USA』、『Lighthouse』だったと記憶している。そして、私は渡米半年後に『Lighthouse 』に入社することになり、そこで独立するまでの11年間、編集者として働いた。私にとっての在米日本語媒体は、アメリカに残る道を与えてくれ…

1989年渡米、日本の書道と心をアメリカに広める藤井良泰さん

2021年7月5日 • 福田 恵子

基礎の積み重ね ワシントン州シアトルを中心に、ポートランド、ロサンゼルス、東京にも教室を置き、書道を教える藤井良泰さんが渡米したのは1989年だった。当時の目的は、ワシントン大学とミシガン大学で教えることになった師匠、明石春浦さんの「鞄持ち」だったと振り返る。91年には、大学だけでなくアメリカにも常設の教室を開いてほしいとのリクエストに応える形でシアトルに明石書道教室を開設、そこを藤井さんが任されることになった。以来30年、アメリカの地で指導した生徒の数は数千人に及ぶ…

1992年渡米、目標は「アカデミー賞」— 俳優の井上英治さん

2021年6月21日 • 福田 恵子

教師退職後にハリウッドへ  自分の人生は、選択と決断と行動で作られる。自分がどういう人間になりたいか、何をしている時が幸せか、それが分かっていればその方向に進めばいい。現在56歳、ハリウッドで30年の経験を持つ日本人俳優、井上英治さんは「世界を相手に自分の演技を表現できる役者になりたい」と思っていた。その心の声に従って、彼は教師という安定した職業を辞めて1992年2月にアメリカに渡って来た。 「周囲の人間の99.99%が僕の渡米に反対でした。親は僕に何かが…

米国で生きる日本人の選択
1991年渡米、日米に拠点を置く生活 ー 清水瑛紀子さん

2021年6月2日 • 福田 恵子

渡米当時の覚悟は「絶対に日本に戻らない」 清水瑛紀子(あきこ)さんは1990年代からアメリカと日本で活動している風水コンサルタントだ。もともとの仕事はIT関係。日本からドイツ勤務を経て、1991年以降、アメリカで生活していた。しかし、現在は主に日本を拠点にして、ロサンゼルス郊外の住まいに時々戻ってくるという生活スタイルだ。19歳の時に初めて来たアメリカに自由と可能性を感じ、アメリカに住みたいという願いを実現した彼女だが、再び日本に拠点を定めた理由と、日米を往復する中で…

米国で生きる日本人の選択
滞米40年後の京都暮らし — ラナ・ソーファーさん

2021年5月17日 • 福田 恵子

日米を往復するきっかけは米国の政治情勢の変化 ラナ・マリコ・ソーファーさんが渡米したのは1975年。ラナさんは、ロサンゼルスを拠点に主に機内上映の映画の字幕、さらには吹替の制作に長年携わってきた。私の自宅から近いこともあって時々、一緒にランチする仲だったが、そんなラナさんが京都にも拠点を設けて日米を行き来していることを知ったきっかけはSNSだった。聞けば、2017年に彼女は転機を迎えていた。 「まず、長年ロサンゼルスで生活していた姉がポルトガルに移住することを決断し…

1988年渡米、伝説的ゲームクリエイター、スコット津村さん

2021年4月28日 • 福田 恵子

最初は1年の滞米予定 ある雑誌の企画でアクティブなシニア世代を探していた時に、「僕の知り合いに、もうこれ以上ないと言うくらいアクティブなシニアで、尊敬している方がいます」とシアトル在住の友人に紹介されたのが、スコット津村さんだった。ゲームには詳しくない私はスコットさんのことを知らなかったが、その名前で検索すると彼が1980年代に一世を風靡したゲーム『スペランカー』の開発に携わった、ゲーム界では伝説のクリエイターだと呼ばれている人物だということが分かった。聞けば79歳の…

米国で日本野菜普及に取り組む米田純さん

2021年3月22日 • 福田 恵子

東日本大震災が転機に 山頭火ラーメンを米国に展開するFood’s Style USA社代表の米田純さん。彼から突然の連絡をもらったのは2020年の春頃だったと記憶している。私が以前書いた、南カリフォルニアの日本野菜農園についての「ディスカバーニッケイ」の記事を読み、農園の連絡先を問い合わせてきたのだ。それを機に米田さんとはSNSで交流するようになった。そして、2021年2月、東海岸デラウエア州のスズキファームの事業を米田さんの会社が引き継ぐことになったという投…

シニア世代の新一世によるチャランポランの会

2021年3月8日 • 福田 恵子

「何かやらなくちゃいけない」 ある時、元広告代理店の社長だった宮田慎也さんという知り合いがSNSにシニア向けの日本語媒体を投稿した。それは、彼も所属する「チャランポランの会」という、主にロサンゼルス在住のシニアの新一世たちが中心メンバーとなり立ち上げた団体の会報誌『かわら版』だった。オンライン版を覗くと、エッセイあり、川柳あり、レストランのコラムありと非常に充実した内容。すぐにこの会に興味が湧いた。そこで宮田さんにお願いして、同会の発起人である鳥居欣一さん、そして鶴亀…