ディスカバー・ニッケイ

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福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

@fukuda

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)


この執筆者によるストーリー

戦後の日本に引き揚げた満州生まれの母の記録
第1回 満州での生活

2022年10月5日 • 福田 恵子

「残留孤児だったかもしれない」 私が高校生の時、中国残留孤児と呼ばれる人々が来日し、記者会見を開いた。彼らは日本のどこかで暮らしているかもしれない親に対して、中国語で涙ながらに「会いたい」と呼びかけていた。日本語を理解しない人民服姿の彼らはどう見ても中国人にしか見えなかった。しかし、実際は戦後まもなく、当時の「満州」で親と離れ離れになり、中国人によって育てられたれっきとした日本人だった。私の母は、その記者会見の映像を見るたびに号泣しながら「私もあの人たちのように残留孤児に…

米市場で焼酎普及に取り組む麻生将人さん

2022年8月24日 • 福田 恵子

焼酎を世界の蒸留酒と肩を並べる存在に アメリカの日系マーケットでは、さまざまな日本の焼酎が販売されている。中でも大分県の「いいちこ」は、日本では超有名銘柄だが、アメリカ市場では在米邦人以外にもその知名度が高いとは現時点ではまだ言い難い。 そのような状況の中、Iichiko USA, Inc.のセールスマネージャーの麻生将人さんは「私たちは焼酎を世界の酒として認知されるように取り組んでいます。まだ世界に知られていないけれど、日本の焼酎を、ウィスキー、ジン、ウォッカ、テキー…

2016年渡米、夫の死を乗り越え新たな目標見つけたミカルペイン慶さん

2022年8月1日 • 福田 恵子

人と違いを指摘する日本、自由が認められるアメリカ ミカルペイン慶さんと知り合ったのは、彼女の夫の死後、2021年に彼女が立ち上げた事業を取材したことがきっかけだった。2020年の1月にがんを宣告された慶さんの夫は、同年3月に亡くなってしまう。短いが、しかし壮絶だった介護生活を終えた後、慶さんはまだ4歳半の幼い息子とアメリカに取り残された。 慶さんが渡米したのは、夫の死のわずか4年前のこと。「主人と私は日本で知り合い、13年に結婚しました。子どもが生まれた後、彼は家族…

ニッケイ物語 11—いただきます3! ニッケイの食と家族、そしてコミュニティ
寿司を介した異文化コミュニケーション

2022年7月18日 • 福田 恵子

寿司シェフいろいろ 在米ライターとして多くの寿司シェフを取材してきた。日本で修行、または実績を積んでからアメリカで寿司を握っている人、アメリカで初めて寿司シェフになった人、江戸前の伝統的なスタイルにこだわっている人、アメリカ人が好むロール寿司などの変化球型の寿司など顧客のリクエストに応じて伝統に固執することなく柔軟な姿勢で寿司を握る人。彼らの経験や寿司に対するポリシーは実に幅広い。もしかしたら、伝統にこだわるタイプの人は、寿司シェフではなく寿司職人または板前と呼ぶべきなの…

2001年渡米、スタント・キックボクサー経てLAで飲食店5軒経営の三浦大和さん

2022年7月11日 • 福田 恵子

ハリウッド目指して ロサンゼルス郊外のアーケディアはサウスベイからもダウンタウンからも多少距離があり、筆者にとってはあまり馴染みがないエリアだ。サンタアニータ競馬場があること、その近くに巨大なショッピングモールがあることは知っているが、そこに日本人が経営する居酒屋TonChinKanがあることは、実は最近取材に行くまで知らなかった。日本人があまり群れないエリアで居酒屋を盛業させていることに驚いたが、オーナーの三浦大和さんは他にもダウンタウンとサンゲーブリエルにラーメン店を…

多重国籍認めない日本への思い・米在住と仏在住者に聞く

2022年6月27日 • 福田 恵子

「改正しなければ子孫が苦労をする」 両親が日本人、もしくは片方が日本人の場合、海外で子どもが生まれると現地の公館に期限内に出生届を提出すれば、その子どもは日本国籍が取得できる。また、アメリカのように出生地主義を取っている国で生まれた場合、アメリカの国籍も取得できるため二重国籍となる。しかし、22歳になるまでにどちらかの国籍を選択しなければならないとの記載が、在外公館のウェブサイトにある(出典:「在シアトル日本国総領事館、各種届け出の受理」2022年現在、日本は国民に対して…

海外の日本語ラジオ放送の研究を続ける平原哲也さん

2022年6月13日 • 福田 恵子

北京放送やモスクワ放送から中南米諸国のラジオ放送へ 遡ること40年以上前、日本の深夜放送が終了した後、朝方近くに「北京放送」という日本語のラジオ放送が流れてきたことを筆者は思い出す。今回、話を伺った日本在住の平原哲也さんは、1970年から海外からの短波放送による日本語の番組を受信することに熱中し、モスクワ放送や北京放送などの日本語番組に始まり、さらに中南米諸国からの放送にも興味を持って聞くようになったと話す。 「当時はインターネットもありませんでしたし、現地のオンタ…

米国で生きる日本人の選択
1963年渡米、2018年に日本へ 再び帰米予定の白澤誠さん

2022年5月30日 • 福田 恵子

渡米のきっかけは『なんでも見てやろう』  白澤誠さんは、過去、ロサンゼルスのダウンタウンに本部がある南加庭園業連盟の活動に積極的に取り組んでいた。同連盟主催の家庭菜園の講義を、7年間受け持ち、日本語新聞の『日刊サン』でも野菜作りの連載コラムを担当していた。さらに連盟のYoutube動画にも登場し、家庭菜園に関する情報を一般向けに日本語で発信していた。 しかし、白澤さんはパンデミックを迎える前に、生活の拠点をアメリカから日本の鹿児島県に移し、現在も同県霧島市…

米国で生きる日本人の選択
2011年渡米、ヤクルトを全米に普及・コロナ渦中に帰国した清水実千男さん

2022年5月11日 • 福田 恵子

「ビジネスマンであれ」 アメリカではアジア系以外の人には馴染みがなかった健康飲料のヤクルトを、ヤクルトUSAのプレジデントとしての在任中に、50州中49州にまで普及させたのが清水実千男さんだ。清水さんは2011年に前任地のシンガポールからロサンゼルスに赴任し、同地で10年間を過ごした。その後、コロナ渦中の20年、ロサンゼルスから日本に帰国、ヤクルト本社を退職すると同時に故郷の鹿児島県霧島市に転居した。目的は、長らく離れて暮らしていた母親と同居するためだった。 「とこ…

1960年渡米、65年からオックスナードで農場経営・永利ファームの永利国光さん

2022年4月13日 • 福田 恵子

短期農業労務の後に再渡米 これまでにアメリカで日本野菜を栽培している農場のオーナーを取材してきたが、今回、ご紹介する永利さんはカリフォルニア州のオックスナードで広大な農園Nagatoshi Farmを経営し、さらに野菜果物の卸業であるNagatoshi Produceのオーナーでもある人物。福岡県出身の永利さんは1939年生まれ。21歳の時、短期農業労務者のビザで3年の期間限定でカリフォルニアにやって来た。 オックスナードの農園で研修という名の農作業に従事している間…