福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

migration ja

米国で生きる日本人の選択

1991年渡米、日米に拠点を置く生活 ー 清水瑛紀子さん

渡米当時の覚悟は「絶対に日本に戻らない」

清水瑛紀子(あきこ)さんは1990年代からアメリカと日本で活動している風水コンサルタントだ。もともとの仕事はIT関係。日本からドイツ勤務を経て、1991年以降、アメリカで生活していた。しかし、現在は主に日本を拠点にして、ロサンゼルス郊外の住まいに時々戻ってくるという生活スタイルだ。19歳の時に初めて来たアメリカに自由と可能性を感じ、アメリカに住みたいという願いを実現した彼女だが、再び日本に拠点を定めた理由と、日米を往復する中で見えてきたことについてzoom取材で聞いた。

「若い頃の自分は、日本ではブラックシープのように感じていました。日本は皆に合わせないといけないし、女性に能力があっても男性社会では引き上げてもらえない。夜10時になると他の男性は働いているのに、私は帰るようにと促されました。でも内心はもっと働きたいと思っていたんです。ところがアメリカに来て、自分が自分らしく生きられる場所を見つけることができました ...

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migration ja

米国で生きる日本人の選択

滞米40年後の京都暮らし — ラナ・ソーファーさん

日米を往復するきっかけは米国の政治情勢の変化

ラナ・マリコ・ソーファーさんが渡米したのは1975年。ラナさんは、ロサンゼルスを拠点に主に機内上映の映画の字幕、さらには吹替の制作に長年携わってきた。私の自宅から近いこともあって時々、一緒にランチする仲だったが、そんなラナさんが京都にも拠点を設けて日米を行き来していることを知ったきっかけはSNSだった。聞けば、2017年に彼女は転機を迎えていた。

「まず、長年ロサンゼルスで生活していた姉がポルトガルに移住することを決断しました。もともとヨーロッパに仕事で行くことが多かった彼女は、いつか現地に住んでみたいと思っていたようです。ちょうどその頃、トランプ政権になったアメリカで、イスラム教徒に対して入国規制(ムスリム・バン)が敷かれました。私たち夫婦はイスラム教徒ではありませんが、それでもこの先、アメリカは一体どうなってしまうんだろうという不安に駆られました ...

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identity ja

1988年渡米、伝説的ゲームクリエイター、スコット津村さん

最初は1年の滞米予定

ある雑誌の企画でアクティブなシニア世代を探していた時に、「僕の知り合いに、もうこれ以上ないと言うくらいアクティブなシニアで、尊敬している方がいます」とシアトル在住の友人に紹介されたのが、スコット津村さんだった。ゲームには詳しくない私はスコットさんのことを知らなかったが、その名前で検索すると彼が1980年代に一世を風靡したゲーム『スペランカー』の開発に携わった、ゲーム界では伝説のクリエイターだと呼ばれている人物だということが分かった。聞けば79歳の現在も現役で、今年の秋、Intellivision Entertainmentという会社から新発売されるビデオゲーム機「Amico」のプロジェクトに、アドバイザーとして関わっているということだ。

私の友人同様、ワシントン州シアトル在住。その名前から日系アメリカ人かと思ってしまうが、実際は88年、46歳の時に渡米してきた名古屋生まれの日本人だ。しかも ...

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business ja

米国で日本野菜普及に取り組む米田純さん

東日本大震災が転機に

山頭火ラーメンを米国に展開するFood’s Style USA社代表の米田純さん。彼から突然の連絡をもらったのは2020年の春頃だったと記憶している。私が以前書いた、南カリフォルニアの日本野菜農園についての「ディスカバーニッケイ」の記事を読み、農園の連絡先を問い合わせてきたのだ。それを機に米田さんとはSNSで交流するようになった。そして、2021年2月、東海岸デラウエア州のスズキファームの事業を米田さんの会社が引き継ぐことになったという投稿を見て、改めて彼がアメリカで何をやろうとしているのかに興味が湧いた。そして、2月のある朝、山頭火のボストン店にいた米田さんとのzoomを通じてのインタビューが実現した。

米田さんの前職は日本のプロ野球の球団代表だ。仙台に拠点を置く楽天イーグルスの代表を2004年から8年間務めた。その最中に、あの東日本大震災が発生した。「僕の中ではあの震災が転機になったほど、大きな衝撃でした ...

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community ja

シニア世代の新一世によるチャランポランの会

「何かやらなくちゃいけない」

ある時、元広告代理店の社長だった宮田慎也さんという知り合いがSNSにシニア向けの日本語媒体を投稿した。それは、彼も所属する「チャランポランの会」という、主にロサンゼルス在住のシニアの新一世たちが中心メンバーとなり立ち上げた団体の会報誌『かわら版』だった。オンライン版を覗くと、エッセイあり、川柳あり、レストランのコラムありと非常に充実した内容。すぐにこの会に興味が湧いた。そこで宮田さんにお願いして、同会の発起人である鳥居欣一さん、そして鶴亀彰さんにZoom取材の段取りをつけていただいた。

鳥居さんは会を起こした経緯について次のように説明した。「5、6年前、雲田さん(ミスター・豆腐として知られた雲田康夫さん)が僕のところに来て ...

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