小説家としてはもちろん、翻訳家としても知られる村上春樹の持論は「翻訳には賞味期限があり、どんな名訳といえども時々アップデートする必要がある」というもの。数十年前に日本語訳が出版された『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『ティファニーで朝食を』など、いまだ人気のある名著の「新訳」を数多く手がけている。
翻訳には賞味期限があり、時々アップデートが必要、というのは、例えば作品に登場する「若者言葉」を訳すとき、当時はまだ日本になじみのなかったモノの日本語訳を比較してみれば、すぐに納得できる。どんなに名作でも、「あいつ」のことを意味する「奴さん」なんていう、もはや誰も使わない言い回しが出てきた途端、それは「古典文学」として読まれ、現代文学の棚からは外されてしまう。また、作品で描かれる世界はその当時のまま変わることはないが、受け手であるわたしたちは、常に変化する世界を生きている。その時代のギャップを、時に翻訳が橋渡しをする役割を担うことで、ふたたび新鮮な味わいがよみがえることもある。村上春樹のいう「賞味期限」にはその二つの意味があるのではないかと思う。
『ノーノー・ボーイ』は日系アメリカ人二世、ジョン オカダが1957年に発表し、唯一残した小説で、物語は「1941年 パールハーバー」からはじまる。
「日本の爆弾がパールハーバーに落ちたのは、1941年12月7日のことだった。この瞬間…