山本 岩夫

(やまもと・いわお)

立命館大学名誉教授。専門は日系アメリカ・カナダ文学。主な業績は共著『ヨーロッパ現代文学を読む』(有斐閣、1985)、共編著『日系アメリカ文学雑誌集成』全22巻、別冊1(不二出版、1997-1998)、共著『戦後日系カナダ人の社会と文化』(不二出版、2003)、共編著『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)、共訳『ヒサエ・ヤマモト作品集―「十七文字」ほか十八編―』(南雲堂フェニックス、2008)。

(2011年1月 更新)

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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その4/5

その3>>

4. 『ハートマウンテン文藝』の内容

(1)短歌

この文芸誌の「歌壇」は一般読者にも投稿をよびかけたが、ほぼ心嶺短歌会の会員による作品発表の場であったといってよい。心嶺短歌会は毎週2回(後に週1回となる)の歌会を持ち活発な活動を行っていた。

高柳沙水が短歌を詠む人に求めるものは「現在我々が直面してゐる境地から取材」することであった(5月号)。彼の作品は自然や季節の変化をよく取り上げるが、時局にも強い関心を示している。戦況を常に意識し、劣勢な戦いを進める日本に対して連帯の想いを表す(「戦時遠流の我等に歌の一つあれ後世史家の心打つ歌」)。毎号、選者として示す3首のうち、少なくとも1首は時局を詠んでいる ...

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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その3/5

その2>>

3. 『ハートマウンテン文藝』の創刊とその後の経過

1943年12月8日付けの『ハートマウンテン・センチネル』(日本語版)で『ハートマウンテン文藝』の創刊が1944年1月と予告されている。しかし1943年12月18日付けの同紙の記事から判断して、1943年12月20日に創刊されたものと推測される。最終号となった1944年9月号を含め、全部で6号発行された。6月号と8月号は発行されず、また7月号(1944年8月2日発行)については、今回入手できなかった。

この雑誌は高柳沙水から指導を受けながら、岩室吉秋と大久保忠栄(おおくぼ・ただしげ)が編集者となって創刊された ...

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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その2/5

その1>>

また、ハートマウンテン収容所は10ヶ所の収容所の中で徴兵抵抗運動が組織された唯一の収容所である。その運動を推進したのが「ハートマウンテン・フェアプレイ委員会」(Heart Mountain Fair Play Committee)であった。

ハワイ出身の二世キヨシ・オカモトが1943年11月に一人でつくった「一人だけのフェアプレイ委員会」(Fair Play Committee of One)が支持を得て発展していった組織で、1944年1月から運動を積極的に展開した。彼らは、正当な手続きを経ない日系アメリカ人の収容は違憲であるとして、アメリカ市民としての権利が回復されない限り ...

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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その1/5

はじめに

アメリカにおける日本語文学は多くの人々にとって今なお未知の分野であるとはいえ、その太平洋戦争以前の状況については『在米日本人史』(1940)あるいは『アメリカ移民百年史』(1962)などの歴史書を通して、ある程度の知識を得ることができる。

しかし太平洋戦争中の日本語文学となると、これに言及する書物は極めて少ない。戦時中の強制収容所に関しては日米両国で多くの研究がなされ、回顧録も出版されているが、その中に住む人々の文学活動、とりわけ日本語による文学活動について触れるものはほとんど見られないのである。篠田左多江氏の一連の研究論文と山城正雄『帰米二世』(1996)、「鉄柵」(『羅府新報』1991年1月29日)、野沢譲二「『鉄柵』の思い出 ...

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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

幻の文芸誌『收穫』-その4/4

その3>>

4. 英語による作品

『收穫』が二世の作品を掲載することによって二世の文学活動を促進し、二世文学者との交流を深めようとしたことは注目すべきことである。、このような試みは日系文学史において稀なことであった。山崎一心編『アメリカ文学集』(1937)に二世の英語の作品が10編収められていること、トパーズ収容所で発行されていた文芸誌『トレック』(Trek)第二号(1943)にトシオ・モリの短編『子供たちよ、明日という日はきっと来ますよ』の日本語訳が、また『南加文藝』第八号(1969 ...

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この筆者が寄稿しているシリーズ