ディスカバー・ニッケイ

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当銘 貞夫

(とうめ・さだお)


1941年8月、沖縄県本部町生まれ。学習研究社などの勤務を経て1969年に渡米。グレンデール市立大卒、カリフォルニア州立大(CSULA)に編入・中退。2005年、6年の2年間北米沖縄県人会会長歴任。現在「北米沖縄県人会歴史書編纂」委員長。琉球新報アメリカ通信員。08年に日本エッセイスト・クラブ会員に認定される。著書「アメリカに生きる」。

(2011年1月 更新)


この執筆者によるストーリー

意欲に満ちた沖縄からのインターン生

2011年5月12日 • 当銘 貞夫

県の事業の一環として「日本の若者の海外留学が激減─内向きの危機感」など、日本のメディアが若者の将来に懸念を示すようになって久しい。留学が減ったのは、学生らが「海外留学などしていると就職面で立ち遅れる」という不安を抱いているためだろうが、沖縄県からロサンゼルスへ2月中旬から下旬にかけて2週間インターン(就業体験)をした4人の学生と接して、今の学生らに対する懸念は払拭しなければならないと考えを新たにした。前向きで真摯な彼らの態度から将来の日本の若者の姿が浮かび上がったと言えば言…

広がる「ゆいまーる」精神 -進出企業と沖縄系社会の「出会い」から- その2

2011年1月26日 • 当銘 貞夫

>>その1沖縄系社会との出会い大城さんは一人息子の博樹さんを副社長に据え、米国での事業を展開していった。博樹さんはまず、沖縄系の人たちの家庭を訪問、還元水生成器の機能について懸命に説明して回った。日夜こうした地道な努力を続けた。沖縄の人たちだったからこそ、訪問を快く受け入れてくれたのであり、説明を快く聞いてくれたのだった。こうして次第に販路を拡大していった。 その後、販売対象を日系社会へ、そして米国一般社会へと広げ、さらに努力を重ねていく。 2年後、ロサンゼルスに次いでニュ…

広がる「ゆいまーる」精神 -進出企業と沖縄系社会の「出会い」から- その1

2011年1月19日 • 当銘 貞夫

電解水生成器製造販売のエナジック社(大城博成会長、本社・東京)は2010年10月、米国支社(比嘉孝一郎副社長、トーレンス市)の創立7周年を記念して、ラスベガスでコンベンションを催した。同社は現在、世界11カ国に支社があり、販売活動は欧米やアジアの55カ国におよぶ。コンベンションには20カ国から1300人のエージェントらが参集、文字通りの「世界大会」となったが、大城さんが席上訴えたのが「地域社会に利益を還元しながら企業の拡大を図っていく」という経営理念だった。そこには、出身地…

今年の二世ウイーク女王ラニ・ニシヤマさん

2010年10月27日 • 当銘 貞夫

南カリフォルニア日系最大のイベント「二世ウイーク・ジャパニーズ・フェスティバル」で女王に選出される女性たちには、日系としての誇りや自信をうかがうことができるが、今年の第70回二世ウイークで女王に選ばれたラニ・クメ・ニシヤマさん(24)は、祖父との深い「心の絆」を感じさせた女性として、多くの人の記憶に残ることだろう。 今年の二世ウイークは7月下旬に華々しく開幕、8月14日に女王選出の「コロネーション・ボウル」が催され、西ロサンゼルス日系市民協会(JACL)とベニス日系コミュニ…

沖縄興南高校野球部の偉業

2010年9月28日 • 当銘 貞夫

甲子園春夏連覇を制した者だけに与えられる深紅の大優勝旗が、今年海を越え、初めて沖縄に渡った。甲子園史上6校目の偉業を、沖縄興南高校が遂に成し遂げたのである。那覇空港には5,000名が出迎え、沖縄住民が歓喜に酔いしれた。戦後65年、苦難の道を歩んで来た沖縄の人々が「一つの夢の実現」に一ページをしるし、足跡を残した明記すべき日であった。  沖縄興南高校の春夏甲子園制覇の興奮さめやらない9月上旬、同校から5人の選手が日本選抜代表としてアメリカを訪れた。日米親善高校野球に出場する興…

アメリカ東海岸で琉球芸能のすばらしさを伝える -フィッシャー長浜順子さん-

2010年8月20日 • 当銘 貞夫

ニューヨークの地において、琉舞のワークショップを開いたり、多くのイベントに出演、琉舞や琉球民謡を紹介、奉仕活動に情熱を注いでいる女性がいる。沖縄県出身のフィッシャー長浜順子さんである。順子さんの活動を通して、沖縄芸能がアメリカ東海岸でどのように受け止められているか紹介したい。 読谷村瀬名波出身の順子さんは、神田外大卒後、東芝のコンピューター部門、ゴールドマン・サックス社などで通訳業についた。1988年12月、英語留学の為に渡米、その後はニューヨーク大学、フォーダハム大学に…

ヨセミテ紀行 - その2

2010年6月11日 • 当銘 貞夫

>>その130分すればヨセミテに着くルート120は雪のため閉鎖、往復4時間も遠回りしてレイク・タホまで行き、ネバダ州側のホテルに一泊を余儀なくされた。日本全国とほぼ同じ面積を持つカリフォルニア州、ヨセミテは青森県とほぼ同じ緯度にある。北部は新緑がまぶしく、南カリフォルニアとの違いが鮮明だ。 ヨセミテは白人パイオニアに征服されるまではアメリカ先住民が住んでいた所である。大氷河によって切り開かれた山頂にできた谷間で100メートルを越す高いredwood(アメリカ杉)が林立、ハー…

ヨセミテ紀行 - その1

2010年6月4日 • 当銘 貞夫

娘のエミーが結婚したのは去年の9月だった。エミーは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を卒業後、南カリフォルニア大学(USC)の修士課程へ進学。そこで2歳下のジュン・アーンと出会った。彼は韓国系アメリカ人で東部ロードアイランドの出身。アイビー・リーグのブラウン大学を卒業後、同リーグのコロンビア大学で修士課程を修了し、南カリフォルニア大学の博士課程へ在学していた。二人はジュンの在学中の結婚だった。 ジュンは高校時代に日本語の授業を取得、日本文化に興味を持つようになっ…

カリフォルニア大学バークレー校の大学院ジャーナリズム研究員 -修士論文に「沖縄の過去、現在、未来」を取り上げる- その2

2010年5月12日 • 当銘 貞夫

>>その160年代のベトナム反戦運動で、フリースピーチムーブメントの拠点となったバークレーで学んだことは、三重さんに「政治参加」の重要性を再認識させた。財政難に陥るカリフォルニアでは、公立教育の予算が大幅に削減され、バークレーは現在、70億ドルの赤字を抱えている。こうしたことから、学費値上げや人員カットなどが行われているが、それに対し、今年3月、学生達が大規模なストライクを行った。政治に興味があるないに関わらず、学生達は、自分を取り巻く環境に興味を持ち、積極的に発言している…

カリフォルニア大学バークレー校の大学院ジャーナリズム研究員 -修士論文に「沖縄の過去、現在、未来」を取り上げる- その1

2010年5月5日 • 当銘 貞夫

カリフォルニア大学バークレー校の大学院修士課程に学ぶ三重綾子さんがLAを訪れ、北米沖縄県人会会員らにインタービューを行った。ジャーナリズムを専攻している三重さんは、卒論に「沖縄の過去、現在、そして未来」を取り上げる。ここでは、私たちを取材してくれた三重さん自身のアメリカでの活動について紹介したい。 三重綾子さん(31、東京出身)が立教大を卒業、働き始めたのは2001年。勤務先のTBS(東京放送)で初めて担当したのが、筑紫哲也さんのニュース23という番組だった。仕事を始めて…

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