郷 崇倫

(ごう・たかみち)

オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。

(2016年12月 更新)  

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日系史における「勇者」 -日系アメリカ人兵士の活躍をふりかえる- その3

>>その2

トラウマを忘れてはならない

アメリカ国内では、従軍を経験した人々が深刻な心身症に悩まされることが良く知られています。特に、昨今のイラクやアフガニスタンでの軍事行動にかかわったアメリカ人の多くが、戦争からくるトラウマに悩まされていることは周知の事実だと思います。このことは、日系人にとってもまったく同じことだと私は思います。従軍を経験した日系人も、戦争を原因とするトラウマに悩まされているのです。

私は、ある日系二世の退役軍人から、今でも戦友を亡くしたことを原因とするトラウマに悩まされているということを聞いたときは、強いショックを隠せずにはいられませんでした。日系人の従軍の歴史においては、その輝かしい戦績ばかりが議論や学習の対象となりますが、その裏には、戦友の死や戦闘の悲惨さなどからくるショックやトラウマに悩まされる日系人の姿があるのです。

この事実があまり知られていない背景の一つとして、アメリカ社会において日系人を含むアジアおよび大洋州系のアメリカ人が、模範的少数派というレッテルを貼られたために、ネガティブな日系人のイメージが「盲点」になってしまったことです ...

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日系史における「勇者」 -日系アメリカ人兵士の活躍をふりかえる- その2

>>その1

諜報部隊(MIS)と進駐軍

第442部隊の次に日系人が所属した部隊としてよく知られているのは、MISと呼ばれる諜報部隊です。従軍を経験した日系人のなかには、日本語を習得して日本軍や日本国内の情報を収集する役割をになった人々や、進駐軍として日本の民主化政策にかかわった人々がいました。さきに挙げたマツモト氏は、MISを経験した日系人のひとりとしてよく知られています。また、男性だけでなく女性も従軍しており、そのなかには、先に挙げた上村さんの母親であるバーバラ・所方(しょほう)さんのように進駐軍として東京に駐留していた人々もいました。ここで、MISが関わったものをいくつか紹介しましょう。

日本軍の情報を集めるための部隊に所属していた日系人の多くは、東南アジアやオセアニア、そして南太平洋の地域で活躍しました。彼らのなかには、マツモト氏のように ...

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日系史における「勇者」 -日系アメリカ人兵士の活躍をふりかえる- その1

はじめに 退役軍人との出会い

JAリビングレガシーのスタッフになって1ケ月経ち、さらにオーラル・ヒストリーを使ってオレンジ郡の日系社会の研究に取り組み始めてから1年ほど経った時のことです。その頃の私は、日系史に魅力を感じ、研究活動においては順風満帆な日々を過ごしていました。もちろん、現在も横浜で順風満帆な生活を送っています。

JAリビングレガシーの一員となった私は、初めて、従軍経験のある日系人のリユニオン、日本で言うところの同窓会に参加しました。リトル東京のホテルニューオータニで行われたこの盛大なイベントには、第二次世界大戦から湾岸戦争が終結するまでのあいだに従軍した多くの日系人らが参加していました。このとき、私は生まれて初めて従軍を経験した日系人の皆様に会いました。

イベントに参加した人々には、アメリカ陸軍から表彰を受けたワシントン州在住のロイ・ヒロシ・マツモト氏もいました。マツモト氏は、第二次大戦中はMISと呼ばれた諜報活動をする部隊に所属し、東南アジア戦線で活躍した方です ...

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オレンジ郡は「海の向こうの日本」ーオレンジ郡の過去を振り返るー

地平線の果てまで続いている海岸線。
まぶしい太陽の光。
宝石のようにキラキラと輝く海の水。
世界中から訪れる人々を魅了するテーマパーク。
一日じゅう歩き回っても、飽きることのない大型ショッピング・モール。
物語やドラマに出てくるような、大きくて綺麗な家。
健康で文化的な生活を容易に営むことの出来る経済的な豊かさ。
非の打ち所の全くない、一年を通した温暖な気候。

カリフォルニア州南部にある、オレンジ郡をひとことで表すのならば、「極楽」という言葉が最もふさわしいと思います。しかし、多くの人々はこのオレンジ郡の歴史に目を向けることがありません。オレンジ郡が、ロサンゼルスのベッドタウンという印象だけが根付いていることは、私自身にとってはとても残念なことです。というのも、オレンジ郡は、日系人や日本人と非常に関わりの深い地域なのです。それは ...

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マンザナーへ、そしてマンザナーから

第4回 風のように過ぎ去った1日目

ロン・パインの資料館から戻ると、キャリーさんは、私にジョッシュさんを紹介してくれました。彼は、私がマンザナーに来る数ヶ月前から、マンザナーでボランティアとして働いていました(この数日後に、彼はデス・ヴァレーにある国立公園に移り、そこでもボランティアとして活躍しました)。私は、彼から、ボランティアの仕事のひとつである、手紙などのデジタル化のやり方を教わりました。「デジタル化」と格好良く書きましたが、これは、収容された日系人が残した手書きのメモや手紙を、パソコンに打ち込むという作業でした。そして、日本語の出来る私は、とある日系二世が、一世である父親にあて、日本語で書いた手紙を英訳することになりました ...

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