ディスカバー・ニッケイ

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高木(北山)眞理子

(たかぎ きたやま まりこ)


愛知学院大学文学部教授。専門はアメリカ研究、特にアジア系アメリカ人の歴史と社会。早稲田大学第一文学部西洋史専攻卒業。東京外国語大学大学院にて国際学修士取得。ハワイ大学大学院にてM.A. in sociology とPh.D. in sociologyを取得。主要論文「俳句・短歌から見る日系移民の姿(1930年〜1960年)——ハワイ島を中心に」(2007)、「俳句・短歌・川柳を通して見る一世女性の心情——ハワイ社会史の一ページとして」(2008)、「芙蓉会——ワシントン大学における日系女子学生会と日米戦争」(2013)など。

(2013年 9月更新) 


この執筆者によるストーリー

Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity
働いて、働いて、働いて、そして立ち上がったハワイの人びと: 歌句に詠まれた日系一世の声 - その2/2

2013年9月26日 • 高木(北山)眞理子

その1を読む >> 4.第二次大戦後 反共の中、労働者の平等をめざして 組合の組織化や労働争議も、アメリカが世界大戦に参戦するにいたって、一旦足踏み状態になる。だが、終戦後間もなく、ハワイの労働者は、正当な権利を手に入れるべく立ち上がるのである。労働者の組織化をすすめた港湾労働者の組合ILWU(International Longshoremen’s and Warehousemen’s Union)のトップにはアメリカ本土からの白人アメリカ人、そし…

Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity
働いて、働いて、働いて、そして立ち上がったハワイの人びと: 歌句に詠まれた日系一世の声 - その1/2

2013年9月25日 • 高木(北山)眞理子

1.はじめに 19世紀末から20世紀始めにかけて、アメリカ西海岸と同様、ハワイにも多くの日本人移民が渡った。そして1900年にはすでにハワイ全人口の40パーセント近くを日系が占めるまでになっていた。 1910年代までは、砂糖プランテーションの労働者の多くが日本人移民であった。19世紀末から20世紀初頭は労働条件が特に悪く、砂糖プランテーションでは、日本人移民が中心となった特に大規模なストが1909年と1920年の2回にわたって行なわれた上、他のエスニック・グループのス…

この執筆者が寄稿したシリーズ
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