私にとって自分のアイデンティティについて話すのはかなり面倒である。おそらく誰にとっても「自分は何者なのか?」という問いは容易く答えられるものではない。移民、すなわち国家間で移住した人とその子孫にとっては更に答えるのが複雑な問いである。私はブラジル、日本、アメリカにわたる「三重」の移民であり、「出身は?」という質問に答えるのも一筋縄ではいかない。昔から悩ましく思うアイデンティティや出身に関する質問に対して、近頃は三段階に分けて説明することにしている。まずは両親の出身地から始め、それから私が生まれ育った場所、そして最後に私が今住んでいる場所の順で話す。それぞれが全て違う国であり、そうなった経緯を説明できるからだ。このエッセイでは、この私のアイデンティティに対するアプローチの利点と難点について考えてみる。そして最後には母として、自分の子どもたちへと引き継いでいきたいアイデンティティとの接し方についてまとめてみる。
初めに私の両親、私の出生地、私の現住所について簡単に紹介する。私の両親は、日本の関西地方で生まれ育ち、結婚後1980年に日本の移住事業の一員としてブラジルに移住した。日本人両親の長女として、私はブラジルで生まれ、14歳まで日系「二世」として過ごした。その後家族で日本へ「帰国」し、日本の公立の高校と大学を卒業した。日本の学校では教師やクラスメートからは「帰国子女」と呼ばれ…