増岡 幸子

(ますおか・さちこ)

広島県出身の被爆者。日系アメリカ人二世と見合い結婚をし、1962年にアメリカ、シカゴへ移住、二人の子供をもうけた。現在は、そよ風コーラスグループ、シカゴ広島県人会といったグループに所属している。彼女の作る蒸かし饅頭は、どれも一寸違わぬ大きさ形をしており、シカゴの日系コミュニティの中で良く知られている。2009年の新年会では1000個ものお饅頭を作った。

(2010年6月 更新)

 

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シカゴの声

広島 -その3

*この話は、シカゴ在住の増岡幸子さんの広島での被爆体験のスピーチを書き下ろしたもので、先週のストーリーからの続きです。

>>その2

何度か収容所にも行きましたけど、その惨状は目を覆うばかりでした。手当てなど行き届く筈もなく、焼けただれた所へ蠅が止まり卵を産みつけると翌日にはそれが蛆となり日を経たずして体中が蛆だらけになってしまいます。が、自分ではどうする事も出来ず、そういう事が原因で亡くなられた方も多いと思います。

皆さん水を欲しがられるのですが、火傷には水を飲むと駄目だとか。どんなに喉が渇いても水の飲めない苦しさは如何ばかりだったでしょう。「水を下さい。水を下さい」と悲痛な叫び声を上げられた方々の、切ないその叫び声が今も耳に残っております。

ただ、もう寿命が尽きると思われる方には、水をあげておられました。「ああおいしい」と言いながら飲まれるのですよね。ところが本当に飲まれて間もなく息を引き取られるのです。

ひどい火傷を負いながら ...

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シカゴの声

広島 -その2

*この話は、シカゴ在住の増岡幸子さんの広島での被爆体験のスピーチを書き下ろしたもので、先週のストーリーからの続きです。

>>その1

その夜(つまり7日の夜)遅くに帰ってきました母より、妹の死を知らされました。14才の妹は、中学校の校庭に並んでいて被爆しました。その中学校は爆心地の近くにありました。ピカッと光ると、周りは真っ暗になり、どうしようかと思ったところ、再び明るくなった時にはまわりに皆さんがおられて良かったと思ったそうです。

しかしその時には、着ている服が燃えていて、手で消そうと思っても消えることはなく、服は全部焼けてしまい、火を被った手の皮膚は焼けただれ、皮はぶら下がり、辛うじてパンティだけが焼けずに妹の体に残っていました。光線が後ろから当たったのでしょう。顔は火傷せず、きれいだったそうです ...

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シカゴの声

広島 -その1

このエッセイは、シカゴ在住の増岡幸子さんによる被爆体験のスピーチを書き下ろしたものです。

皆様よくいらっしゃいました。只今ご紹介して頂きました増岡幸子と申します。今日は63年前、広島へ原爆が落とされました時に、私の体験しました事などを思い出すままに話させて頂きます。

8 月6日午前8時15分、朝礼といいまして、当時日本の学校では毎朝全校生徒が校庭に並んで朝の行事が行われていました。丁度その時に爆弾が落とされたのです。爆音を聞き空を見上げますと、澄み切った青空にたなびく白い飛行機雲が目に入りました。とその時、ピカッと光り、頬に熱いものを感じ、思わず頬を覆いました。学校は爆心地から3.5キロ位離れておりましたので、その程度で済みました。

校舎の窓ガラスが爆風で壊され、近くを歩いておられた方にその破片があたり、顔から血が流れている姿を見ました時、一体何が起こったのかと思いました ...

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この筆者が寄稿しているシリーズ