大西 比呂志

(おおにし・ひろし)

1955年香川県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学大学院政治学研究科博士課程日本政治史専攻単位取得退学。現在、フェリス女学院大学国際交流学部教授。首都圏形成史研究会常任委員、横浜開港資料館外国人社会研究会代表、横須賀市史編集委員ほか地域史活動に従事。

著書に『横浜市政史の研究』2004年、共著『相模湾上陸作戦』1995年(以上、有隣堂)、編著『伊沢多喜男と近代日本』(2003年、芙蓉書房出版)、共編著『大東京空間の政治史』(2002年、日本経済評論社)『横浜をめぐる7つの物語地域からみる歴史と世界 』(2007年、フェリス女学院大学)ほかがあり、『横浜市史Ⅱ』『横須賀市史』など多数の自治体史にも執筆している。

(2013年11月更新) 

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横浜山手・インターナショナルスクールの人々

横浜山手には明治期以来、いくつものインターナショナルスクールがある。あるいはあった。日本最古といわれるサンモール(St. Maur、創立1872年、山手83)、横浜インターナショナル(YIS、1924年、同258)、惜しまれながら2000年廃校になったセントジョセフカレッジ(SJCのちSJIS、1901年、同43)などのスクールである。

ここには日本人子弟も一部在籍したが、横浜や東京に居住した外国人子弟が中心である。様々な国籍の家庭に育った生徒からなり日本語の使用を禁じた学校生活はきわめて国際色豊かなもので、卒業後の彼らの進路は世界に広がっている。横浜のインターナショナルスクールに通った人々の家族史は国際港都横浜の典型的な一面を表すものである。

ある出会いから

昨年2月下旬、カリフォルニア州北部のカーメルを観光で友人たちと歩いていたときのことである ...

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横浜とカリフォルニア 埋もれた現代史を求めて - その2

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日米間に生きた母と娘

占領期の横浜に来たのは軍人ばかりではない。ロサンゼルスの南にある港湾都市ロングビーチ市に住むユニス・サトウ(旧姓ノダ)さんは1921年、北部のリビングストン生まれ。父は静岡県で養蚕業に失敗し、母は写真花嫁で横浜からサンフランシスコに渡った。家族はカリフォルニアの入植地として有名なヤマトコロニーで農業を営んだが、戦争勃発後、コロラド州、ミシガン州、ワシントンDCなどを転々とし、兄と弟はイタリア戦線で大きな犠牲を出しながら戦果を挙げたことで有名な日系人部隊第442連隊戦闘団の兵士となった。

ユニスさんは苦学した後、地元で教師となり、ニューヨークにある大学院にも進学した。そこで日本で教師募集があることを知り、1948年秋、ロサンゼルスから船で横浜へ渡り、当時は横浜山手女学院と名乗っていたフェリス女学院(1950年名称復活)に赴任したのである ...

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横浜とカリフォルニア~埋もれた現代史を求めて~ その1

カリフォルニアと横浜

ペリーやマッカーサーを持ち出すまでもなく、横浜とアメリカの関係は長く深い。とくにアメリカ西海岸カリフォルニア州諸都市は横浜と航路で結ばれ、多くの人々が太平洋を行き来した。

私は昨年7月から今年3月までの8か月間ロサンゼルスに滞在し、そこで戦前から戦後という日米の激動の時代に横浜と関わった何人ものアメリカ人と会い、私たちがよく知る表舞台のそれとは異なる歴史の物語に接することができた。カリフォルニアにはそうした人たちの現代史がいたるところに埋もれている。そのいくつかを紹介したい。

日系二世の横浜

ロサンゼルスのダウンタウンにあるリトルトーキョーは、アメリカで最大規模の日本人街である。渡米してすぐ8月のある日、そこにある全米日系人博物館でボランティアガイドをするヒトシ・サメシマさんに出会った。

ヒトシさんは1921年、ロサンゼルス郊外のパサデナ市生まれ、鹿児島県からの移民二世である。雑誌売りなど苦労して進んだ南カリフォルニア大学在学中に日米開戦となり、家族とともに日系人を隔離する強制収容所に送られた。悪名高い日系人の忠誠を試す質問で、アメリカへの忠誠を宣誓してデンバー大学に入るが、卒業間際の1944年7月に召集され、フォート ...

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